第2話

 部屋について、エコバッグを玄関に置くとぼくはとりあえず麦茶を二杯飲んだ。

「夏場の麦茶は水出しが一番いい。煮出してしまうと冷やすまでの間に傷んでしまう。氷水を張ったボウルをにつけるという手もあるが、手間を考えたら断然水出しだろう。これは豆知識」

 一人暮らしでひとりごとが癖になってしまった。出てくるのはたいていライフハックの類だ。ぼくは生活をよくするのが好きだから。

 冷蔵庫に早く食材をしまわねば、と思いつつ、椅子に座ったぼくの手はポケットのスマホを取り出していて、無意識にSNSのアイコンをタップしている。友達の家の猫の写真が流れてきて、反射としていいねをタップする。梅干しを見たら唾液が出るし、友達の猫の写真が流れてきたらいいねする。

 そこでぼくはスーパーで撮った猫探しのチラシを思い出して、写真フォルダを開いた。眺めているうちにどこかで見たはず、という気持ちから、絶対に見たという確信に変わっていく。猫の顔と毛色が、見かけた方はコチラ、という11桁の携帯番号と混ざりあう。脳内で声に出して数字を読んでいると、音楽めいてきて、リズムに合わせて踊る猫の姿とともに11桁の番号はすっかり脳に染み込んでしまった。

 スマホが熱くなって画面が落ちた。無理もない。気付くと一時間以上が経っていて、部屋は蒸し器の中のようになっていた。室温計には29度と表示されているが、体感としてはもう33度くらいある。だが体感よりも室温計が正しいだろうから29度だ。29度の室温に一時間以上置かれた二割引のしゃぶしゃぶ肉と合いびき肉はどうなるか。エコバッグを開けてみると、ひき肉はわかりにくいが、しゃぶしゃぶ肉は明らかに買った時と色が変わっていた。そして本来ひき肉の方が傷みやすいことを考えると、どちらもアウトだろう。徒労のままぼくは冷凍庫の隙間に肉を放り込んだ。

「腐ったものは一旦冷凍庫に入れて、ゴミの日まで時間を止める。夏場には特に重要」

 そうつぶやいて、ぼくは節をつけて11桁の番号を歌った。合間にニャンニャンネコチャン、と入れると愉快になって、窓を開けて風を入れる気になった。

 期待した爽やかな風は入ってこず、熱風が顔に吹き付けたので、すぐさま窓を閉めて今年初エアコンをつけることにした。

 エアコンは大袈裟な作動音をたてながら、カビ臭いぬるい風を吹き付けてきた。掃除をしないと駄目なようだ。途端にすべてのやる気を失って、水を浴びて寝た。

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