第1章・いくつもの奇妙な出会い(7)

 

 給餌なんて初めての経験だから、想像もつかない。しかも仕事中は一番エネルギーを使うわけだし。今回は飛ぶ距離が百キロメートルくらいだから、悪天候や遠回りをしない限りは大丈夫だとは思うけど。


 そんな不安な僕の心情など知るよしもないトンビは、のんきにゲップをしながら地面に足でしっかりと立つ。その姿と表情は、僕の気のせいかもしれないけど少しだけ凛々しくなったような感じがする。


「キミが食べ物を食べさせてくれたおかげで元気が出てきた。ありがとう。俺の名前はアサヒ。朝日が昇るのと同時に卵から孵ったから、そう名乗ってる」


「僕はツバサ」


「あぁ、なるほど、納得! キミはハトにしては大きくて立派な翼を持っているもんね」


「ハトじゃなくてレース鳩だってば」


 僕は思わず苦笑する。


 トンビにはレース鳩もハトも同じように見えるんだろうな。あるいはアサヒがそういうことにあまりこだわらない性格ってだけかな?


「ツバサはこの辺じゃ見かけない顔だけど、どこに住んでるの?」


「ここから何十キロメートルか南にある街。これからそこへ帰るところなんだ」


「それはわざわざ足止めを食わせて悪かったね。ぜひ良い旅を!」


「……レース鳩を気遣うなんて、ホントにアサヒは変わったヤツだね」


「そうだ、南へ向かうんだったら急いだ方が良いと思うよ。ここから南西へ五キロメートルくらい先、雨の気配がするから。風は西から東だから、モタモタしてると雨の中を飛ぶことになる。一気に真南を突っ切るか、スピードに自信がないならやや東寄りに進路を取るといいんじゃないかな」


 アサヒの真面目な顔を初めて見るような気がした。そこには一人前のトンビと変わらない雄々しさがある。


 正直、睨まれたら僕は身がすくみ上がってしまうだろう。だからもしアサヒが最初からこの顔つきだったら、地面に倒れていたとしても決して彼に近付こうとしなかったと思う。



 ――それよりも、気になるのはアサヒの言葉だ。雨の気配なんてするかな?



 僕も空気の流れはそれなりに感じ取れるけど、匂いも気温も湿度も変化は感じられない。確かに気圧に関しては、ごくわずかに低いように思うけど。


「僕には雨の気配なんて感じられないけど……」


「俺たちトンビは体が大きいから、飛行に影響を及ぼす『湿度』に敏感なんだ。羽が湿気ると重くなって、飛ぶのがやっとになるからね。特に俺は面倒臭いことと同じくらいに疲れることが嫌い。だから雨が来る前にさっさと逃げるために、湿度を察知する感覚が研ぎ澄まされちゃってさ。俺にとって唯一、それが周りに自慢できることなんだ」


「ふーん、そうなんだ」


「俺が空腹で動けなくなっちゃったのも、雨から逃げ続けてたからさ。おかげで濡れずに済んだけど、それを優先していたばっかりに空腹なのを忘れてて。気付いたらエネルギー切れを起こしちゃってた。今後は気をつけるよ」


 アサヒはケロリとしているけど、僕はそんなお気楽なことじゃないと思った。だって一歩間違えば命を失っていたかもしれないんだから。やっぱり変わったヤツだなぁ、アサヒは……。


 ただ、彼がそこまで雨が嫌いで湿度に敏感だというのなら、信用してもいい情報なのかも。


「分かった。騙されたと思って少しスピードを上げて、一気に真南を突っ切ってみるよ」


 そう答えると、アサヒは満足げに頷く。


 ツバメみたいに体の小さなトリが湿度に敏感なのは知ってたけど、トンビにもそういう感覚があるなんて知らなかった。彼らと話をしたことがあるレース鳩なんて、滅多にいないだろうから当然かもしれないけど。


 だからこそ、湿度に敏感なのはトンビ全体じゃなくて、アサヒだけの特殊な能力という可能性もある。真相はどうなんだろうなぁ……。


「それじゃ、ツバサ。元気でねぇー!」


「アサヒこそ地面に横たわるのは、もうやめなよー!」


 僕はアサヒに見送られながら、その場から飛び立った。彼のアドバイス通り、羽ばたかせる力を強めて真南へ進む。スピードはいつもより五割増しくらいだろうか。もっとも、これでも全然本気で飛んではいないけど。


 だって万が一の時のために余力を残しておかないと危険だから。胃の中がかなり軽くなっちゃってて、エネルギー不足になる可能性も考えておかないといけないし。




 その後、僕は三分ほど飛んだ辺りで進行方向右側の奥に漆黒の雲があることに気が付いた。


 まだ小さな塊だけど、一秒ごとにその勢力を拡大している。その膨張するスピードは、僕の飛ぶスピードよりも速いくらい。あんなに急激に成長する雨雲なんて初めて見た。


 程なく後方から雷の轟音と稲光がするようになる。風も雨雲へ向かってやや強く吹くようになる。つまりもしアサヒが雨雲のことについて教えてくれなかったら僕はいつも通りのスピードで飛んで、豪雨や雷の中を進む羽目になっていただろう。


 そう考えると、彼との出会いはラッキーだった。そういえば、ヤマオ爺さんは僕のことを『強運』って言ってたなぁ。




 …………。


 強運……か……。


 いずれにしても、今はアサヒに対して感謝しておこう。僕は彼のことを想いつつ、南へ向かって飛び続けたのだった。



(つづく……)

 

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