第1章・いくつもの奇妙な出会い(8)

 


 その後は大きなアクシデントもなく、順調に飛び続けることが出来た。不安視していたエネルギー残量も全く問題ないみたい。確かにお腹が空いてきてるけど、長距離レースの時は何日も食事をせずに飛び続けるから、その苦しさと比べれば全然楽だ。



 そして眼下には記憶にある景色や目印が多く現れるようになる。つまり鳩舎はもう近いということ――。



 また、これだけ東京に近付けば天敵であるタカやハヤブサなどの絶対数は限られる。カラスの集団だけは厄介だけど、空はほぼ安全と言っていい。


 地上も注意するのはネコくらいだ。ただ、ヤツらは木には登ってくるけど、電線や高所にある足場の狭い場所までは来られない。だから僕は電線の上に降り立ち、休憩をすることにする。というのも、このまま鳩舎へ戻るとちょっと到着が早すぎるし、自由な時間をもう少しだけ満喫したいから。


 こうして僕は電線の上に留まってひと息ついた。そして視線を北東へ向ける。相変わらず風はそちらに向かって吹いているけど、見える範囲内に目立った雨雲はない。ま、雨の気配があっても、この位置から鳩舎までは数分だから、濡れずに帰り着くことが出来るだろうけど。


「んっ?」


 その時のことだった。一羽のレース鳩が北から西へ向かい、空を横切るように飛んでいくのを僕は発見する。


 藤色の体色と頭頂部の白い模様。なによりあの飛び方、空気を切り裂かんばかりのスピードと羽ばたきの力強さには見覚えがある。


「シップウ……」


 足輪番号はJP-21-08831。以前、彼とは八百キロメートルレースで戦った。その時、優勝したのが彼だった。


 当然ながら僕はぶっちぎりの選外。リタイアを除けば、下から数えた方が早いんじゃないかという順位だ。だから僕が彼のことを覚えていても、彼は僕のことなんて歯牙にもかけていないというか記憶の欠片すらないと思う。


 確か彼の鳩舎は東京の中でも西の地域、多摩というところにあるから、そこへ帰る途中なのだろう。


 ちなみに今まで彼とは短距離のレースで顔を合わせたことはない。短距離のレースは飼い主の所属する集団ごとに行われるのがほとんどで、彼の飼い主とヤマオ爺さんはそれが異なるから。


 ただ、長距離レースの場合は事情が違ってくる。長距離だとそれなりに体力がないと帰還できないから、必然的にその条件を満たすレース鳩の数は限られる。そのため、集団の垣根を越えて各地からレース鳩が集まって、レースが実施されるのだ。





 と、そのことを最初から知っていれば、僕はこんなにも苦労してないんだよなぁ……。


 飼い主が定期的に僕たちを出張させるのは、どれだけの距離を飛べるかというのを見極める意味合いもある。だからスタミナがないと飼い主が思い込んでくれれば、長距離レースに参加させられることはない。


 でも僕はレースデビューしてすぐの頃は何も知らなかったから、真面目にすぐ鳩舎へ帰ってしまっていた。出張の仕事から帰っても元気でいる様子を見せてしまっていた。つまりヤマオ爺さんは、僕が長距離を飛べることを知っている。


 そのせいで僕は今も長距離レースに参加させられている。本当に憂鬱だ。だって放鳩されたらどんなに遠い場所でも鳩舎へ帰るしか選択肢がないもん。そう思うと、自然とため息が漏れる。


「……そろそろ帰るか」


 今、太陽は真南から西へ少し移動した位置にあるから、戻るにはいい頃合いだろう。だから僕は翼を羽ばたかせ、鳩舎へ向かって飛び始めた。そして数分で鳩舎が見える位置まで到達する。


「っ? えっ!?」


 思わず僕は息を呑んだ。なぜならベランダにカケルの姿があったから。眉を曇らせ、ソワソワしながら周囲を見回し続けている。


 当然、僕が帰ってくるタイミングなんて分かるわけがないから、おそらく家に戻ってからずっとあそこで僕の帰りを待っているのだろう。つまりもし軽トラックがいつも通りのスピードで走ったとすると、カケルは何時間もあの場所で……。


 確かにカケルは『ずっと待ってる』なんて言っていたけど、それが本気だなんて僕は思っていなかった。すぐに疲れて家の中で待ってるんだろうと高を括っていた。だからどうしても僕は当惑してしまう。


「――あっ! おーい、ツバサー! 良かったー、帰ってきたー!」


 程なくカケルは僕の姿を見つけたのか、ヒマワリの花が咲き誇ったかのように表情が明るくなった。さらに両手をこちらに向かって大きく何度も振っている。


 そして僕が鳩舎の中に入ると、カケルは満面の笑みで中を覗きこんでくる。


「おかえり、ツバサ! ご飯も水も用意してあるよ! いっぱい食べてね!」


 その言葉通り、鳩舎内の奥には大豆やトウモロコシ、玄米、麦などが混ぜられている食事が山盛りになって置かれていた。空腹だった僕はそのことに気付いた瞬間、夢中でそれにかぶりつく。



 う、うまいっ! なんてうまいんだっ!



 いつもより何倍も美味しく感じる。やっぱり胃の中が空っぽだったからかな? でもそれなら長距離レースから帰った時の方が美味しく感じるはずだけど。


 ――まぁ、そんなことはどうでもいい! 今は目の前のご馳走を平らげることだけを考えよう! 美味しすぎていくらでもお腹の中に入りそうな気がするッ!!


 結果、僕は胃の容量の限界を超えるくらいまで食事を頬張り、出張の疲れからかその夜は泥のように眠ったのだった。



(つづく……)

 

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