第1章・いくつもの奇妙な出会い(6)
いずれにしても興味が湧いた僕は近くの電線に降り立ち、休憩を兼ねて様子を窺うことにした。ちなみに普通の真面目なレース鳩は悪天候や暗くなって視力が利かない状態にでもならない限り、途中で休むことはしない。特に百キロメートル程度の短距離なら体力が尽きることも少ないからなおさらだ。
単に僕は全力で飛ぶのが疲れるし、帰還までの所要時間に執着がないから、いつも適度に休みながら飛んでいるだけ。そういう僕みたいなタイプの方が異質だということに過ぎない。
「アイツ、全然動かないな。このままだとそのうち本当にネコとかに襲われそうだ。もしかして怪我でもしていて、『動かない』んじゃなくて『動けない』のか?」
事実、すぐ隣をネズミが走っていったのにトンビはピクリとも反応しない。いや、翼はわずかに動いたか。ただ、襲いかかろうという素振りや気配は全くない。
……そうか、ネズミはあの場所を通っても安全だと判断したから、堂々と通り過ぎていったのかも。よっぽどのマヌケや怖いもの知らずだったら、その限りじゃないけど。
それならもっと近くで様子を窺ってみるか……。
僕はトンビ自身や周囲に潜んでいるかもしれない天敵に警戒しつつも、彼のすぐ横へ降り立った。やはりトンビは動かない。
そこで今度は声をかけてみることにする。
「キミ、余計なお節介だろうけど、こんなところで横になってたらそのうち地上の獣に襲われて死ぬよ?」
「動きたくても空腹で力が出ないんだよぉ……」
意外なことに、すぐに返事があった。声は気だるそうで少し投げやりな感じ。ただ、依然として動こうとはしない。
――いやいやいや、空腹で動けないってそれまで何をしてたんだろう?
もし僕たちレース鳩ならそういうことがあっても納得できる。なぜなら仕事中は水たまりなどで喉を潤すことはあっても食事はしないから。それがどんなに長距離であっても。鳩舎に戻って飼い主が用意してくれたものだけを食べる。
このトンビは狩りが下手だとか、何かの事情があるのかな?
…………。
……ちょっと待てよ? もし狩りが下手だとすると、これはやっぱり待ち伏せのワナっ!?
思わず僕はトンビから数メートルほど距離を取った。いつでも飛んで逃げられるように身構え、警戒を一気に強める。
トンビは体が大きい分、僕たちレース鳩と比べれば小回りが利かない。飛行スピードも上がりにくいから、的を絞らせないように飛べば翻弄できる。
だからこの位置なら逃げ切る自信はある。それこそ僕が本気を出せば……。
「やっぱりこれは僕のような獲物を待ち伏せるワナだったのかっ?」
「ハトなんか大きすぎて、肉を噛み千切らないと食べられないから嫌いだよぉ。抵抗されたら疲れるし、怪我をする可能性だってある。それはネズミも同じ。だから俺は狩りみたいな面倒臭いことはしないの。死肉とか、一口で飲み込める小さな虫なんかが好みだね」
相変わらずトンビは地面とハグしたままで、ほとんど動かない。喋る時くらい、顔をこっちに向ければいいのに。
なんにせよこのトンビは嘘を言っているようには感じない。そもそも殺気や敵意みたいなものを感じないし、覇気もやる気もゼロだ。
「変わったトンビだなぁ……」
「トンビに話しかけてくるハトのキミも、かなり変わってると思うけど」
「う……。そ、それは否定できないかも」
「というわけだから、虫かなんかを捕ってきてくれない? 今の季節なら弱ったセミがいっぱいいるから、キミでも簡単に出来るでしょ?」
「図々しいヤツ……」
「お節介ついでに頼むよ」
トンビがレース鳩に食べ物を捕ってきてくれと頼むなんて話、聞いたことがない。しかも寝転んだままなんて、頼みごとをする態度じゃない。
…………。
……だからといってこのまま放っておくのも気が退ける。キツネやネコなんかに見つかって、襲われてしまうのは時間の問題だからだ。
ただ、虫を捕ってきてと頼まれても困るなぁ。どうやって捕ればいいんだろう?
「残念ながら、僕は虫どころか食べ物の捕り方を知らないんだよね。食事に困ったことがないというか、朝と夕方の決まった時間になると食べ物をもらえるから。一日二回」
するとその直後、トンビは急に起き上がって目を丸くした。
初めて大きく反応したから僕は驚いて、思わず心臓が止まりそうになってしまう。
「はぁッ!? なにそれっ? キミってまだヒナ鳥なの? そうは見えないけど?」
「ヒナ鳥じゃないよ。僕は仕事をすると『飼い主』っていう人間から食べ物がもらえるんだ。説明をしても分かってもらえないだろうけど」
「へぇ、共生関係みたいな相手がいるわけか! それは羨ましい! そういえば、タカの中にも人間と一緒に暮らしてるヤツがいるって聞いたことがあるなぁ。俺、トンビじゃなくてタカに生まれたかったなぁ」
「もしキミがタカだったら、こうして話をすることもなかっただろうけどね……」
「あははははっ、そりゃそうだっ! じゃ、この際だからキミの吐瀉物で良いよ。胃の中に今朝食べたものが半消化状態でまだ残ってるだろ? それを食べさせてよ」
「…………。キミの方こそヒナ鳥みたいだね……」
「まぁ、巣立ってから二、三か月だしね」
ということは、予想通りこのトンビは僕よりも年下ということだ。体は何倍も大きいけど、心はまだまだ子どもだな。
僕は半ば呆れながらため息を漏らす。
「レース鳩から胃の中の半消化物をもらうなんて、トンビとしてのプライドはないのかい?」
「俺はプライドよりも腹が満たされる方を選ぶ。っていうか、レース鳩? ハトと違うの?」
「説明が面倒臭いから、似てるけど違うとだけ言っておくよ」
「あはは、了解。俺も面倒臭いのは嫌いだし。なんか俺たち気が合うね。というわけで、早く何か食べさせて」
「しょうがないな……」
不本意ながら僕は胃の中から半消化物を吐き出してトンビに与えた。ただ、彼は体が大きいこともあって、ねだられるままにあげていたら僕の胃の中はほとんど空っぽになってしまった。
それにしても、まだ子どもどころか奥さんもいないっていうのに、しかもトンビに給餌をすることになるなんて思ってもみなかった。こんなこと普通はあり得ないから、それも当然だけど。
鳩舎に帰るまでエネルギーが足りるかなぁ?
(つづく……)
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