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 アカデミア附属魔法学園の最終試験は、コロッセウムを貸し切って挙行される。

 最前列の席を占めるのは、試験官を務める、学園長をはじめとした学園の講師たち、アカデミア総長以下のお歴々、さらに高座には、パラティウムにおわすグラン・マエストラの名代として、三賢者のお方々までもがお顔をお見せになる。

 その他の座席は、広く市井の魔女たちにも開放される。

 アカデミアに進学することになる――引いては将来の魔女国を導いていく人材となることを目指す若い魔女たちの晴れ姿を皆で讃える、これは祝祭でもあるのだ。

 わたしたち学園生も優先的に前列の席をあてがわれ、自分の順番が巡ってくるまでは、同輩たちが各々鋭意専心努めあげた成果である魔法の技の出来栄えを、緊張と昂奮をもって見守る。

 マローネは、土塊つちくれから造り出した小さな兵隊たちの軍団の行進を、見事に指揮してみせた。

 ブルーナは、みっつの竜巻を生み出し、それが時に絡みあいひとつになってはまたほどけ、まるで輪舞曲を踊っているかのような演技を見せた。

 オウラは、鉛から始まり、徐々に精錬を進めてついには金の塊を生み出す錬金術の技を披露した。古典的な魔術だが、彼女ほどの精度でこの術を操れる生徒は他にいない。

 そして、いよいよわたしの番。

 控室で名前を呼ばれ、コロッセウムの演舞場内に足を踏み入れるわたしは、正直に言ってまったく緊張などしていなかった。

 いつものようにやればいい。

 そうすれば、みんな拍手と歓声を送ってくれる。

 なにしろわたしは“黒髪の君”なのだから。

 自嘲気味にそう思いながら、やはりわたしはグリシャのことに思いを馳せていた。

 この最終試験の場で、彼女がいったいどんな魔法を見せてくれるのか。

 それをわたしは子供のように心待ちに――そう、とっておきのし物を観る前の子どものように愉しみにしているのだ。

 歓呼の声を浴びながら、わたしはコロッセウムの中央にまで足を進め、正面の席に居並ぶ審査官の面々と、高座におわす三賢者の御三方に向かって礼を執る。

 そして、短杖を掲げ、詠唱を始める。

 紡がれるわたしの術式に従い頭上に現れるのは、ぽぅ、ぽぅ、と閃く火の欠片。

 だが、それらが次第に火勢を増し、渦を巻いて、火焔を噴き上げる紅蓮の光球へと姿を変える。

 場内から上がる、おぉ、という嘆声を感じながら、わたしは詠唱の次の節に入り、短杖を鋭く揮う。

 途端、光球が弾け、現れるのは幾頭もの炎の龍。

 それらが演舞場いっぱいに、所狭しと荒れ狂うように飛び回り、観客席から悲鳴とも歓声ともつかない声が上がる。

 もちろん、そのすべての炎の動きを、わたしは完璧に制御している。観客に危険はない。

 そして、詠唱は次節に。

 炎の龍たちが一転、ぴたりと円を描いて整列し、演武場の外周をぐるぐると巡り始める。

 そこから、詠唱に合わせて揮われるわたしの短杖の動きに従って、一頭の龍が空に昇り――弾ける。

 わっ、と沸き起こる観客たちの歓声。

 わたしはさらに詠唱を続け、次々と杖を揮う。

 また一頭、一頭、今度は続けて二頭、炎の龍たちが夜空を駆け登っては、漆黒の中に紅い華を咲かせてゆく。

 最後に残った三頭が絡み合って天に昇り、一際大きな炎の大輪を描いたところで、わたしは腕を下ろし、詠唱を終える。

 再び御三方と審査官の方々に向かって礼を執ると、割れんばかりの喝采がわたしに浴びせられる。

 それを背に受けながら入場門に戻ると――わたしは一散に廊下を走り抜け、階段を駆け上がった。

 自分の魔法の出来など、すでにわたしにはどうでもよかった。

 次はグリシャの番なのだ。

 この大舞台で、グリシャがいったいどんなに素晴らしい魔法を見せてくれるのか。

 それを思うだけで、わたしの胸は躍った。

 息せき切って自分の席に戻ってきたわたしを、皆は唖然とした顔で迎えたけれど、そんなことなど気にもならず、わたしは食い入るように演武場を見下ろす。

 演武場の中央には、丁度グリシャが歩み出てきたところだった。

 グリシャもわたしや他の生徒たちと同じように審査官たちへの礼を執ると、短杖を構えて詠唱を始める。

 その呪文の一言一句聴き漏らさないように、わたしは観覧席から身を乗り出さんばかりにして、風の精霊たちに願う。

 “風よ、風よ、音を運んで。わたしの小さな耳にも届くように――”

 そうして耳にするグリシャの魔法の言葉の一言一言の、なんと甘やかで、凛として気高いことか。

 グリシャの魔術に従って、演武場の石畳が白く凍てついてゆく。

 そこから徐々に霜柱のように氷の結晶が立ち上がって、グリシャの眼前に緻密な造形を作り上げてゆく。

 それはいつか見た、パラティウムの模型の言わば拡大版だった。

 そうとは言え、もちろん本物のパラティウムの大きさに比べれば、依然ささやかな小模型と言えるものだったけれど、その造形の緻密さと言ったら、なんとすばらしいことだろう!

 コロッセウムの外壁の高さに比肩するほどに聳え立つ大尖塔。そして、それを取り囲む三基の尖塔を備えた雄大な佇まい。

 純度の極めて高い氷晶のみで造り上げられたその姿が、場内の照明を浴びて綺羅綺羅しく輝く。

 そして、最後に大尖塔の頂上に、猛り吼える竜の勇壮な姿が戴かれたところで、グリシャは詠唱を終えた。

 遠目でもわかるほど大きく肩で息しながら、グリシャが再度の礼を執る。

 そして、彼女が短杖を一振りすると――場内から歓声とも、悲痛な嘆声ともつかない声が上がった。

 グリシャの腕の一振りで、ひとつの芸術品ですらあったパラティウムの氷の似姿が、どっ、と崩れて、粉雪となってコロッセウムの中に舞い散る。

 その、あまりに儚く、美しい光景――

「ちょっと、ネッラ! ねえ!」

「え」

 気づけば、ブルーナがわたしの肩に手を伸ばして、観覧席のほうに引き戻していた。

「大丈夫? ネッラ?」

 なんでそんなことを訊くのだろう。

 わたしがまだ心の半分を、グリシャの氷のパラティウムが細かな氷の粒に砕けて消えてゆく情景に奪われたまま、ぼんやりそう思っていると、わたしの顔を気づかわしげな表情で覗き込みながらブルーナが言う。

「だって、ネッラ、泣いてる……」

「え」

 そう言われて初めて、わたしは自分の瞳が滔々と涙を流していることに気づいた。

「え……なんで、こんな……」

 拭っても拭っても、涙はあとからあとから溢れてくる。

「心配ないよ、ネッラ」

 大柄なブルーナの逞しい腕が、わたしの体を抱き締めてくれる。

「グリシャの魔法もすごかったかもしれないけど、大丈夫、わたしたちみんな、ネッラの魔法のほうがすごかったって、そう思ってるからさ?」

 そうよ、そうだよ、とマローネもオウラも、声を揃えてわたしのことを励ましてくれる。

 だけど、そういうことではないのだ。

 この涙を溢れさせる心の動きを、いったいなんと名付ければいいのだろう。

 やっぱりわたしは、グリシャの魔法には敵わない。

 あんなにも美しい魔法を、わたしの声は、腕は、揮うことができない。

 けれど、それを口惜しいと感じさせることなんてまるでなく、むしろ甘やかに心臓を刺し貫いてくるようなこの情動の、いったい名前はなんと謂えばいい――

 わたしはそれからもしばらく涙を流し続け、ブルーナの腕はそんなわたしを優しくなだめるように、肩を、背中を、撫でさすってくれた。


 最終試験の結果、わたしは主席の栄冠を得た。次席には、グリシャが。

 わたしはアカデミアの士官候補生養成課程に進むことになった。

 グリシャは、アカデミアの一般課程へ。

 グリシャと席を並べて学を競うことは、もうなくなった。

 わたしはそのことにどこかほっとした思いを感じながらも、それにもまして深い寂寥感せきりょうかんを覚えていたのだった。

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