ガール・ミーツ・エイリアン

ヤチヨリコ

ガール・ミーツ・エイリアン

「同性同士ならともかく男女の友情が成立するにはそれ相応の理由が必要なんですよ」とは、中学時代の担任の言葉である。

 いつもピリピリしていて、質問などしようものならこんなこともわからないのかと明らかな軽蔑を視線に含ませて「教科書を読みなさい」と冷たく切り捨てた。教科書に掲載されている文学作品ばかり読み漁り、曰く「コンテンツとして消費される文芸作品」は下劣だし、読む人間は品性が欠けているのだそうだ。

 いかにも真面目そうで初心そうな、勉強一筋で生きてきたことが察せられる新卒の男性教師だった。

 学歴コンプレックスを態度に顕著に表し、自分より賢そうな生徒を明らかに差別し、自分よりレベルの高い大学を卒業した教員を「学歴を無駄にしている」と見下し、はっきり自分より下だと理解した人間には明らかな嫌悪を示した。ただし、下だと判断した若い女は特別贔屓してわざとらしく親しげな態度で接していた。

 後に、その国語教師は生徒との交際が発覚し、教師を辞めたという噂が流れた。私の卒業後であったのが幸いだったかなんなのか……。


 たかが公立の学校の教員のスタンスではない。

 なるほど、みっともない男である。まあ、どうでもいいけれど。


「あたし、レナちゃんのこと、好き」

 いかにも愛していますと言いたげな唇。荒れても、乾燥してガサガサでもない。

 なんだろうか、気持ち悪いわけじゃないのに。

 なんだろう、嫌いじゃないのに。

 なんで? 私、好きじゃないのに。

 どうでもいいわけでもないし、私は彼女のことが好きだ。

 でも、何故だろう。胸が高鳴らないんだ。

 マンガみたいな状況だ。私の心情を表すように雨がサーサーと降り出した。

 私の部屋なのに、私の部屋じゃないみたいだ。

 隣に座る彼女の顔をよく見られない。


 彼女、高橋桜は中学時代からの親友だ。いや、親友だった、と言ったほうがいいかも。桜がいつから私を想っていたのかと思うと、親友だと思っていた時間が急に嫌になった。胸の中は不定形のモヤモヤが渦巻いていて、桜がいきなり宇宙人に乗っ取られたような気もしてきて、そう思ってしまう自分が一番嫌だった。


「……ごめん」

「……こっちこそ、ごめんね」


 寂しそうに目を伏せ、下を向く桜。

 こういうとき、美人ってのは得だなあ。いや、いけない。こう思うのは友だちとしてやっちゃいけないことだ。

 桜は、大きな目に、すらっと長い色白の手足、大きな胸、男ならきっと自分のものにしたいと思うようなものを全て持っている女の子。たしか、あの中学の担任に贔屓にされていたと思う。


 あの教師に質問してみたい。

 「同性同士の友情にもそれ相応の理由が必要なんですか」と。

 男女の関係に理由が必要なのは恋愛が関わってくるからだと思う。でも、同性の桜は私に恋愛感情を抱いている。だから、この友情には恋愛は関わってくる。つまり、私と桜の友情は男女の友情と同じ?

 自分で考えててわからなくなってきた。

 だって、私が私である限り、桜と恋をすることは難しい。

 でも、この告白を受け入れなかったらこの友情は消えてなくなるだろう。


 雨の臭いが妙に生々しい。

 ノイズ混じりの沈黙は私の心を一人ぽっちにしてくれない。


 桜がバッと顔を上げた。

「同情で付き合ってほしくないからね。それじゃレナもあたしも報われないじゃん」


 そういうわけじゃない、と言いたくて言いたくない。結局、言わなかった。

 私は私という女の子の皮を被ったナニカだろうとずっと思っている。

 『女の子らしく』なりたくないから、ジーンズとスニーカーを履くんじゃない。

 『男の子らしく』なりたいから、男子に混ざってスポーツをしているんじゃない。

 『女の子』になりたいわけじゃないし、『男の子』になりたいわけじゃない。

 私は私という生物でありたい。

 日本産の、哺乳類霊長目ヒト科ホモ・サピエンス。それが私。

 男でも女でもなくて、皮の中はエイリアン。それが私だった。


「あのさ」

 私が口を開くと、桜は私の目をまっすぐに見た。それも嫌ですぐ逸らした。


「嫌いじゃないんだ。嫌いじゃ」

「知ってる」

「でも、好きじゃない」


 あ、しまった。

 雨の臭いは更に強まる。湿気で私の髪はボワボワだ。


「好きだけど、好きじゃない」

「うん」


 やっぱり、桜は綺麗だ。好きだけど好きじゃないのは、私のせい。


「あのね」

 年相応の背伸びした表情で桜は言う。

「あたし、女の子が好きじゃなくなる薬があるんだったら飲みたい。治せるんだったら治したい」

 私も女の子を好きになる薬があるなら飲みたいよ。

 桜は語る。

 女の子が好きだから、女の子たちの恋バナに混じれないこと。

 女の子が好きだから、女の子と手が触れると心がときめくこと。

 女の子が好きだから、すれ違ったときの残り香でドキドキすること。

 女の子が好きだから、親に孫の顔を見せられない、と。

 女の子が好きだから、親不孝な娘になってしまった、と。


 雫が空から陰気に降り続く。

 顔を伏せて、わずかに嗚咽をこぼす桜はやっぱり素敵な女の子だ。

 隣にある女の子は温かくて、うっすら湿っぽい。女の子という生き物だった。


 私は桜に自分の正体を打ち明けた。

 女の子の皮の内側の得体の知れぬ生き物がいる、と。

 桜は真剣な顔をしてそれを聞いてくれた。

 私の中の生物Xは彼女を随分と好きなようで、聞いてもらっているうちに心がジンと温かくなった。その熱が移った涙が目から滲み出てきそうになったので、グッとこらえて天井を見る。そうすれば心の体温が少しは落ち着いた。


「あ」

 桜が声を上げる。

「帰らなきゃ! 門限五時なの」


 桜は玄関に向かって駆け出した。そして、ローファーを履いて、傘立てに差していた傘を持って、ドアから出ていった。


「待って!」


 追いかけても、桜の姿は遠くにある。

 走って、足がもつれても走って、追いついた。


「送ってくよ。近所だし」

 息を整えながら、少し背の高い桜の隣に並び立つ。

 そんな私を見て、桜は笑った。


「傘、忘れてくればよかったんだ。そうすればレナだけびしょ濡れにならなかったでしょ」


 そう言って、私を真っ赤な傘に入れてくれた。

 濡れて張り付いた制服も不快じゃない。


 また中学の担任に質問したいことが増えた。


「エイリアンと女の子の友情にも、理由は必要ですか?」


 それを聞いた彼はどんな顔をするだろう。まあ、どうでもいいか。

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ガール・ミーツ・エイリアン ヤチヨリコ @ricoyachiyo0

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