地獄耳
オダ 暁
地獄耳
ここは、とあるアパートの一室。
川村美里が自宅を出て初めて一人暮らしをするお城だ。
三階建ての木造ワンルームの一階の真ん中、バストイレに猫の額程のガス台と流し台がくっついている。
扉を開けると、すぐに靴箱と狭い玄関。
横開きの硝子戸を開けると、古い小型冷蔵庫やベッドに二人用テーブル、そして二つカラーボックスを置いたワンルームに続く。それらは全て友人からの頂き物だ。アパートの部屋も友人が借りていた部屋。彼女は美里の勤める工場の仕事仲間で社内恋愛、いや工場内恋愛だ。結婚するから捨てるというモノをそのまま美里が殆ど貰い受けた。入籍だけの超地味婚で彼の自宅で両親や祖母と同居らしい。工場の仕事は夜間、皆が寝静まった時間帯だ。黙々と作業をこなす合間に見つけた結婚相手らしい。結婚相手の事は見知っていたが美里と直接会話したことはなかった。
兄弟の多い手狭な自宅から持ってきたモノもむろんある。膨大なマンガ本やDVⅮ、それに少量の洋服だ。できるだけ他人と関わらない暮らしをしたかった。共同の洗濯機や干し場は建物の隅にある。
美里は結婚した友人と同じ三十路坂、年の数だけ恋人はいない。貯金をいくばくか貯めたので自立しようと決めたのだ。3人女ばかりの長女。両親や妹たちは美里の顔を見るたびに愚痴るように言う。
「おまえが結婚してくれないと妹たちも結婚しにくいから誰でも反対しないから早く結婚してくれ」
「そうよ、3人とも短大まで出したのだからうちはお金もうないから結婚式や新婚旅行の費用は自分たちで貯めてね、うちは借家だし。家に少ししかお金入れてないのだから大丈夫でしょう?お父さんも定年でアルバイトだし私は腰痛でパートを辞めて無職だし、妹たちは正社員なのにおまえはすぐに会社辞めてしまって・・・どうして良いとこに入社できたのに夜中の警備なんかに転職するのよ、誰とも喋らないし出会いもないでしょうに」
「お姉ちゃん、今まで彼氏いたことないよね~仕事もアルバイトだし結婚もむつかしそう・・・もう31だよね、結婚相談所いや、お金かかるからマッチングアプリでもしたら?」
と、ひどい言われようだ。大声で説教されたら頭が痛くなる。
だから、とにかく家を出て一人暮らしをしたかった。家族は誰も反対しなかった。私が虫がつくのを期待しているのだろう。しかし1匹の虫も寄り付かない私は何?友人も平凡なタイプだが相手をちゃんと見つけているのに。
誰にも内緒にしているが、転職した理由はビルの一室にある会社が狭くて10人程いる社員が騒々しいからだ。
音・・・
普通の人なら当然耐えられる音が、美里には騒音でしかないのだ。小さいころの聴力は並み以上ではあったが、まだ我慢できた。大人になって人の多い雑踏やコンサート、映画の音響ですらうるさく感じるようになった。
病院にも通院した。検査した結果、聴力が人の倍近くあるらしい。原因は不明、レアなケースだと医者の診断。
「音に過敏になるでしょうけど難聴よりは恵まれていますよ。50メートル先の話でも聞き取れるのですからね。うるさく感じる時は耳栓でもしてください」と、涼しい顔で言う。
医者も治療方は無いとはっきり答えるから、美里はあきらめた。全く聞こえないよりは、ずっと良いのだろう。
引っ越し先のアパートの隣横のリサーチもしたが、友人いわく
「両脇はオタクっぽい中年の男性と、私たちより若いロングヘアの美人。二人とも独身だと思う。男性は近くのコンビニで働いてる、早番遅番のシフト制らしいよ。女性の方は何やってるか謎なの、付き合いないし。でも誰かお客さんが来るの見たことないから静かなものよ。テレビや音楽の音もしないし」
「まあ、ここだったら家賃も安いし家具も揃っているし・・決まり!」
美里が友人のアパートで交わした会話だ。
引っ越しするまでに、たまたま在宅だった両隣に挨拶に行ったが、二人とも「どうも」と無愛想な返事。
だから無口なタイプに見えた。
男性は根暗なオタク、女性はアンニュイで陰のある雰囲気を漂わせていた。
しかし、そんなに単純なものでないことに、すぐ気付くことになる。
引っ越し当日。
工場は休みを貰っていた。
そのかわりというか友人は出勤している。
他に人の都合があるから、そうそう休めないのだ。
荷物は何回かに分けて小分けにしてアパートに運び込んでいる。
大きな鞄ひとつで会社の近くにある引っ越し先のアパートに向かう。
家族に挨拶をして実家を出たのは皆で済ませた朝食のあとだ。
「いい人見つけて結婚してね」
「お姉ちゃんの部屋貰おうっと」
「やっと広くなるわ~」
母や妹は機嫌がいい。
父だけが無言で寂しそうだ。
実家からバスを乗り継ぎ、最寄りの停留所で降りる。
アパートまで徒歩で10分。
いつもはスーパーや衣料店が立ち並ぶ大通りを通るが、ショートカットで小道に入り、歩いたことのない道路を歩く。
住宅街の目新しい風景が広がる。
昭和の時代からありそうなレトロなタバコ屋売り場の窓口に70くらいの女性の顔が覗く。
その隅の路上に、椅子に腰かけたタバコ売りの女性と同じ年配の女性が座っている。
椅子の前に、小さいテーブルがあり{占いします2000円~}と、青いマジックで大きく書かれた紙が貼られている。
占い?
えらく平凡な占い師さんだな、着てるものも普通の服だし全く演出してないけど
意外と当たるかもしれない
美里は占い師さんの方に歩み寄り、
「みてもらえますか?2000円ので」
占い師さんは居眠りをしてたのか、はっと顔を上げ
「はいはい」と、言いながら美里の顔を凝視する。
「あなた・・」
占い師さんの声は水のようだ。
他の人のように耳障りではない。
耳栓はしていなかった、実はどさくさに無くして買い忘れたのだ。
占い師さんがきっぱりと言う。
「今日は運命的な日ね」
美里は驚いて叫ぶ。
「どうしてわかりますか?今日この近くに引っ越してきます」
占い師さんは指をさして椅子をすすめる。
「今日、引っ越し?いきなりいろいろな人間に出会いますから気を付けて」
「いろいろな人間?」
「これ以上はわからない、急に頭痛がしてきたからあとは次に。お代は引っ越し祝いで今日はサービスでいいわ」
「え、ありがとうございます!」
「くれぐれも気をつけて・・今日は店じまいして寝よう。二日酔いで睡眠不足だ」
占い師さんは折り畳みテーブルと椅子をかかえてタバコ屋の裏口から入っていく。窓口のとうのたった看板娘と姉妹なのだろうか?
注意しなければいけない何が起こるというのか・・・と、不安になる。
美里は気を取り直して、アパートの方向に向かった。
すぐに到着し、荷物の整理にとりかかった。
なんだかんだで夜までかかり、その日は風呂も入らず早めに就寝した。
・・・泥のように眠る。
翌朝ようやく目覚めた美里は、すぐに男性のキンキン声に気が付く。
薄い壁沿いに聞こえてくる。
向かって右側の部屋からだった。
「・・金は半分ずつにしたじゃないか。タカシはさんざん浪費したからもう無いのだろう、俺はある場所に隠してあるから。老後の資金さ。急に贅沢になったらおかしいから、前のアパートのままだしコンビニの仕事もしている。なのにタカシは仕事やめてマンション買ったりギャンブルに使ったりキャバクラ行ったり、そりゃ金もなくなるわな」
タカシ?友達だろうか。
美里の耳にはっきりと聞こえてくる。
「あんな山道にジュラルミンケースに入れて落ちてて誰も拾得物の名乗りもないのだから、後ろめたい金だよ。結局、遅いか早いか俺たちのものになった金さ。でもタカシが使い果たしたと言われてもなあ」
美里は電話の話がみえてきた。隣の男性とタカシという友人は山道で大金を拾ったのだ。タカシは隣の男性に金の無心をしているのだ。
「少しでもいいから?断るよ、タカシは俺のようにきちんと働いた方がいい、まったく鳴れない大金手にしたら人間変わっちまうなあ。そうだ、マンション売れば?」
隣の男性は面倒くさそうに話している。
「・・・とにかくお断り!!好き勝手したツケが回ってきたな、じゃあばよ」
電話は切られたようだった。
「まったくキリギリスみたいな奴だな、朝っぱらから叩き起こしやがって。どこまで甘え腐ってる~」
フアーという男性のあくびが聞こえる。
「今日は遅番だからもうひと眠りしようっと」
すぐに男性の盛大な鼾が美里の耳に届く。
凄い音!
ゴーゴゴーガーガガー
ゴジラのいななきのようだ。
ぜったい寝るときは耳栓せねば・・・美里は固く誓った。
正午になり美里は鼾を聞きながら、カップの温かいソバを食べていた。
いちおう引っ越しソバのつもりだ。耳栓は引っ越しのどさくさで、やはり見当たらない。
ズルズル音をたてて麺をすすっていると今度は左側の女性の部屋から声が聞こえてくる。
低い、くぐもった声。
「Aさんは粉10グラムね、オーケー。Bさんは5グラム?しょぼいね。前は羽振り良かったのに、最近セコクなったこと。そうか、営業している風俗の店暇だからか。ま、コロナで需要多いし皆うちにこもっているから仕方ないか。粉も高騰してるしね」
粉?
高騰?
まさか噂に聞くヤクでは・・
「いつもの場所で取引でいいのね、時間は3時。2時間後ねオーケーオーケー」
女性の声が消えて、反対側の男性の鼾の音だけが依然部屋に響いている。
キンキン声といいゴジラの鼾といい、オタクっぽい見かけと違って騒がしい男性だ。
2時が過ぎて玄関で女性の出かける気配がする。
硝子戸を開く音。玄関の扉を締める音。
同時にカランカランと鈴のような音がする。
美里は扉を開けて外を覗きたい衝動に一瞬かられたが、怪しい動きは御法度と断念した。
しばしして男性が起きたようだ。
「よく寝たなあ。今日のシフトは夜の12時からか、まだたっぷり時間あるから風呂でも入ってメシでも食おう」
浴槽に湯をためる音がする。
少しして男性が風呂場に入ったようだ。
鼻歌が聞こえてくる。
密室だからエコーがかかって美里の耳の穴を魅了する。
なかなかの美声。
いいえ、おいらはふたご座の男~
替え歌を機嫌よく歌っている、おそらく本人の星座なのだろう。
鼻歌は風呂場をカラオケに変えていた。
男性は延々と熱唱している。そうとう歌いこんだ十八番かもしれない。
電話のキンキン声といいゴジラのいななきといい十八番といい、本当にけたたましい男だ。
拾得物の金をネコババするのはマズいが、タカシという男よりは実直のようだ。
あのあとタカシはどうしたのだろう。
金の無心をあきらめず、また電話してきそうだった。
30分以上たって男性は風呂から出てきた。
「あ~いい風呂だった!」
洗い髪をタオルドライしながら、つぶやく。
冷蔵庫から缶ビールをとってくる。
口をあけて喉を鳴らして一気に飲み干す。
「ハ~うめえ、さあ枝豆ゆでて野菜と豚の細切れを炒めようか」
ジュージューとフライパンで炒める音がする。けっこう家庭的な男性のようだ。
いちおうコンビニで真面目に働いてるし、家庭的だし、拾ったという金も何処かに隠し持って堅実だしオタクでオッサンだけど、もしかしたら結婚相手にそう悪くないのかもしれないと美里は思い始めていた。男性とつきあったこともないのに結婚には実は憧れがある。子供時代の夢はお嫁さんになりたかった。
「いただきまーす」
男性は夕食を始めた。舌鼓しながらテレビのプロ野球を観戦しているようだ。
「さよなら満塁ホームラン」
「ぎゃおー!」
アナウンサーと喚き声が交錯する同時刻。
左隣の女性がアパートに戻ってきた。
ガチャガチャと扉を鍵で開けて入ってくる音がする。
粉の取引に行ってきたのかな、ドラマでは見るけれどまさかお隣さんが密売人だなんて・・・
おーこわっ!
引っ越し初日からびっくりした。
占い師さんの言う通りだ。
右隣りの男性はネコババ男だし。
こんなボロなアパートの住人がアンビリバボー!!
と、その時玄関に足を踏み入れた女のあとから押し入る、しわがれた男の声がした。
「静かにしろ」
「あんたはBさん!あたしのあとを、つけてきたの?」
「変なことはしない、約束する。粉の代金は次に払うから分けてくれ」
「ダメ!現金主義です。粉は高騰しているから需要が増えてるから・・それにしてもどうしたの?すっかりしおれちゃって」
「コロナで会社が倒産しそうなんだよ、女房はヒステリーになるし。粉が欲しい」
「それは、貴方の都合です」
「そこを何とか頼むよ」
男は涙声だ。女性に必死に懇願する。
「仕方ないですね、向こうには内緒ですよ。あなたは常連さんですから特別」
「助かるよ、恩にきるよ」
「一回きりですよ」
右隣の扉を叩く音がする。
トトトンと連続に叩いている。
「はいはーい」
「僕だよ、タカシ。開けてくれ、開けなきゃ隣近所に大声で暴露する。おまえ一人がネコババしたと言われてもいいのか?」
「おまえバカじゃない?マンション買ったり豪遊してヤバいのはタカシだよ。俺は前の通りボロアパートに住んで仕事もちゃんとしてるからな」
「あ・・そうか」
「仕方ないな、部屋に入れてやるよ。俺の忠告を聞くなら」
「わかった、僕を助けてくれよ」
タカシの声は涙声だ。男性に必死に懇願する。
扉が開いて、タカシは部屋の中に入っていく。
さあ、今から両隣はどのような話が続くのだろうか?
川村美里は右の耳と左の耳をダンボにして彼らの会話を一言も聞き逃さないように努める。
「でも粉の代金はしっかり取りたてるからね」
「はい、もちろん」
「百万貸してやるけど返してもらうからな」
「はい、もちろん」
ドヤ顔と平身低頭している姿が目に浮かぶ。
面白い、ゾクゾクするわ!
「うふふ、この耳があれば当分退屈しなさそう。こんな刺激も私が地獄耳だったからね。
あんがい世間は知らぬが仏が多いのかしら」
「はい、もちろん」と答えるように、両耳が大きく震えた。
(TO BE CONTINUED)
地獄耳 オダ 暁 @odaakatuki
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