百二十三 ふたり


 オウリはカナシャといることで危険にさらされるのではないか。それがカナシャの一番の不安だった。

 ナルカが求めたのはカナシャ自身ではなく、クチサキとしての才能。カナシャが生きている限りそういう欲望にさらされることになる。そんなことはもうない、と言い切ることは誰にもできないのだ。

 そうなれば、オウリは何を置いてもカナシャを守ろうとするだろう。それを疑うことはない。だからこそ。

 カナシャだって、オウリを守りたい。


「だけど私には何の力もないの」


 カナシャは泣き笑いした。

 風や土、水。ハリラムの島の声を聴き彼らに愛されているカナシャだが、人としてはただの少女なのだった。


 今回、先見によりオウリの命は救えた。だがカナシャはナルカに連れ去られ、それに激昂したオウリは誤ってカナシャを傷つけた。そしてその後悔に押し潰されている。その気持ちをカナシャは、村に泊まった夜も帰路の馬でもひしひしと感じていた。


「オウリがあんなに辛そうなのは、もう嫌」


 いつも穏やかに強いオウリなのに、彼を最も追い詰めるのは自分の存在なのだと思い知ったのだ。

 憔悴したカナシャを可哀想には思ったが、フクラは前から真っ直ぐ顔を覗き込んだ。


「だからって離れるっていうのは、よくわからない。オウリさんはそんなこと望まないでしょ?」

「……カナシャ、何かあった? その、カナシャをさらった人と」


 小声で尋ねるサヤにカナシャの肩が強ばった。フクラはサヤを振り向いた。


「……」


 カナシャは迷うようにして答えられずにいる。なるほど。本当に女としての力量はこの中でサヤが一番上らしい、とフクラは感心した。どうやらオウリにも両親にも言えない何かがその男との間にあり、それもこの状態の一因なのだろう。


「……き、きもち悪かった」


 カナシャが突然ボロボロと涙をこぼして二人は仰天した。


「な、なに!?」

「どうしたのカナシャ」


 カナシャの涙は止まらない。からやり場がなかった感情が堰を切って溢れ出してしまった。


「ぎもぢ悪っ、くて、怖かっだよぉ……」

「え、ちょっとカナシャ。何されたのよ」


 泣きじゃくりながら訴えるカナシャなど久しぶりだ。フクラもサヤもとにかく両側から肩を抱いて寄り添った。

 背をさすり慰めて、ポツポツとカナシャが話す。そうして聞き出したことをフクラは震え声でまとめた。


「心中する気で海に入って行きつつ、抱きすくめられて口づけされた上に……」


 舌を入れられた。

 結婚前の少女達としては言葉をはばかる顛末ではあった。それに最後の部分を除いても十分に恐怖体験だ。

 カナシャはすごい勢いでうなずきながら首を振るという器用さをみせた。


「もう、オウリに会えない……」

「何言ってるの、一緒に帰って来たんでしょ」

「サヤ、カナシャが言うのは顔向けできないってことよ」


 文字通り、ずっとオウリの顔を見られなくて身振り手振りだったし、胸に顔を埋めて隠していたのだった。

 だがこの経緯に対して友人達が言えることはあまりない。サヤは耳年増だがまだ恋の相手がいないし、フクラもシンと結婚するんだろうという展望はあるが手を取ったり頭に触れたりがせいぜいだった。うーん、と考え込んでしまう。


「――でもカナシャ、それオウリさんにも言わないと」


 意を決して言ったフクラの提案に、泣きやんでいたカナシャはまたベソをかきそうになった。


「……嫌われちゃう」

「離れようとしてるくせに?」


 膝を抱えて黙り込んでしまったカナシャをサヤは庇った。


「でもわかる。可愛くて綺麗な思い出のままでいたいよね」

「……思い出になってしまっていいの、て私は訊きたいんだけど」


 何もかも知った上で嫌悪するならオウリもそれまでの男だ。だがそうと決まったわけではないのに恐れて動けなくなるのはカナシャらしくない。


「私らしいってどんなの?」

「すっ飛んで行っちゃう感じ」


 情けない顔で尋ねるカナシャにフクラは事も無げに答えた。もう一度、すっ飛んでごらんなさいよ、と。




 次の日、カナシャが一階の板間に出て行くとリーファがひょいひょいと何かに糸を通していた。

 そこに散らばっている珠を見てカナシャは立ちすくんだ。見覚えがありすぎる。そんな娘を見てリーファは微笑んだ。


「直してくれって頼まれたの。なんだか突然糸が切れたんですってよ」


 カナシャの周りで空気が笑った。いたずらっ子のように。

 がやったのか、とカナシャは思った。どんなつもりなのかはわからないけれど。


「すぐできるから、あなた届けてちょうだいね」

「え」

「届け先の居場所、わかるんでしょう」


 わかる。でもそういう問題ではないのに。不満そうな娘にリーファは厳しく申し渡した。


「逃げ回っても仕方ないのよ。何かあったなら、きちんと二人で向き合いなさい。一緒に戦わなくて何のためのホダシなの」


 ――言い返せなかった。

 そうなのだ、カナシャとオウリはホダシの間柄。距離を取ろうとしても結びついている。今でも、はっきりと。

 オウリはカナシャを受け入れてくれるだろうか。いや、たぶんすべてを受けとめてくれる。カナシャもわかっているのだ。だけどだからこそ、そこに甘えたくなかった。

 でもそれはただ逃げていただけなのかもしれない。カナシャは自分に言い聞かせた。


 逃げるな。戦え。

 オウリに対してカナシャの方から踏み出さなければ駄目だ。


 カナシャは歯を食いしばった。

 ――するとまた周りの誰かが、笑ったような気がした。




 オウリは仕事を怠けていた。

 御杜の、ガジュマルの裏。ぼんやりと座り空を透かし見る。

 ここでは、カナシャといろいろなことがあった。


「でももう、無理かな」


 さすがに心が折れそうな気がする。

 とはいえ終われないのはわかりきっていた。二人がホダシであることは生涯変わらない。だからせいぜい一時撤退ぐらいか。

 しばらくパジを出るのもいい、と思った。サイカに戻るか、タオにでも行くか。カツァリでルギの族長ぶりを眺めても楽しかろうし、言葉を学びアニの復興に噛むという手もある。さすがにカダルに行くのは腹立たしくて嫌だと考えて、一人で笑った。狭量なことだ。


「――なに、笑ってるの」


 不意に声を掛けられてオウリは立ち上がった。


「――カナシャ」


 垂れ下がるガジュマルの根の向こうからおずおずと顔をのぞかせるカナシャは少し悲しげで、緊張しているようだった。


「ええと、お届け物です」


 懐から首飾りを出されてオウリは寂しく笑った。やっぱり返されるのか。だがカナシャはもじもじと続けた。


「お届けの前に、話していい?」

「――もちろん」


 こちらへ入れ、と身ぶりで示してオウリは一歩下がった。そういうところ。カナシャの胸はぎゅっとなる。カナシャが怖くないようにと離れてくれたのだろう。

 微笑んで従いながら、カナシャは花石をしっかり握った。勇気を出さなきゃ。


「……ナルカさんのこと、教えるね」


 兄にこだわり兄に認められたくて、その夢にカナシャを巻き込んだ男。何もかも失くしながらカナシャに取りすがるしかなくなった男の物語を、カナシャは語った。



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