終話 太陽を恋う
連れ去られていた間、暗い執念と対峙していたというカナシャの話をオウリは静かに聞いた。
ナルカへの怒りで腸は煮えくり返ったが、カナシャが言葉を選びながら懸命に話すのをむげにはできない。だが最期の瞬間にされたことを苦しげに告白されて、さすがに吐息が震えた。
それは、俺だってまだしていない。
殺してやりたいと思った。だがもう殺していた。くそ。
「……だからね、オウリが怒るのもわかるから、もう一緒にいられないな、て」
「いや、待て」
オウリはそこで話を遮った。
「俺はナルカに怒ってるだけで、おまえには何も」
「やっぱり、そう?」
ふふ、とカナシャが笑う。緊張が解け、何だか力が抜けたようだった。オウリは怪訝な顔になった。
「やっぱりって何だよ」
「オウリなら、そう言うだろうと思ってた」
「じゃあどうして――」
「逃げたの、私が。私じゃオウリを守れないから」
妙な台詞を聞いた、と思った。カナシャがオウリを守る、とは。逆ならばもちろんそうするが。
「おまえに守られるつもりはないぞ」
「そうね――守ったり守られたりじゃないんだわ。二人で戦いなさい、て母さんに叱られた」
――オウリはガツンと殴られた気分になった。
いつもカナシャのことを庇護する対象として見ていた。年下で、小柄で、まだ子どもだと思っていたから。二人で歩くために強くなりたいと言われた時でさえ、手を引いて歩くようなつもりでいた。
だがそうだ、二人で生きていくのならオウリとカナシャは対等なのだ。どちらが何をしているから上だとか守らなきゃとか、そんな関係ではない。
オウリにはカナシャ。
カナシャにはオウリ。
二人、並んで。
「――さすがだな」
心地よく打ちのめされて、オウリは笑った。カナシャも微笑んで、そして右手を差し出す。
「だから、これ」
そこには花石の首飾りが載っていた。
「もう一度、私に贈ってくれますか」
やや震える声でカナシャは言う。
オウリはゆっくり歩み寄った。二人、真っ直ぐに笑み交わす。
「――じゃあ、もう一人で飛んでいくなよ」
「うん。一緒に歩きたい」
オウリは首飾りを手に取り、あらためてカナシャに掛けた。
――よく似合う。これまでより、ずっと。
するとカナシャが右手をオウリの頬に伸ばした。
「ん?」
引かれて屈むオウリに向けて背伸びする。その柔らかい唇が、オウリの唇に重なった。
「――!」
すぐに離れたカナシャの顔は少し赤らんでいる。
これがカナシャの精一杯。オウリに対して踏み出さなければと考えた末にしてみたことだった。
恋とか愛とか、いつも受け身だったけれど、カナシャだってオウリがほしい。今度のことでそれがよくわかった。他の誰かでは嫌なのだ。
ここは御杜、不思議な気配の濃いところ。だがカナシャの予想に反して、笑い声や祝福してくすぐりにくるような悪戯はなく、ひっそりと鎮まっていた。
みんな、心配して見守ってくれてたのかな。カナシャは思った。花石の糸を切ったのも、こうしてカナシャが頑張れるように後押ししてくれたのか。
だがオウリの意見は違う。
「カナシャを傷つけたから、怒られてるんだとばかり」
心の傷のこともだが、手のひらに大きな怪我をさせたのはオウリなのだ。
オウリはまだ痛々しい包帯の左手を避け、静かにカナシャを抱きしめた。
「これからも、よろしく」
「ん」
満ち足りたようなカナシャの頬を上向かせる。そして今度はオウリから口づけた。
深く。
カナシャの右手がビクリとして背中を掴む。それでも解放せずにいたらズルと力が抜けて腕が落ちた。そこでようやく放してやる。カナシャはぼうっとオウリを見つめた。
「気持ち悪かったか?」
ささやいてみたら、カナシャはオウリの胸にうつむいた。
そして、ぶんぶんと首を振った。
カダルはマカトの下で落ち着きを取り戻していっているらしい。大変な迷惑をこうむったシージャ族として賠償を吹っ掛けたからね、とイハヤからの伝言があってカフランがニヤニヤ笑っていた。どう儲けるつもりだろう。
カナシャのために船を走らせたりしたシンはフクラに対して株が上げられたようで何だか機嫌がいい。ズミは飄々と、歩き出そうとするファイをかまって遊んでいた。これまで通りだが、皆少しずつ、変わっていく。
カナシャの手の経過はタイアルが診てくれている。姉を実地研修に使っているだけだが立派なものだ。ちょうど最中に遊びに来たサヤに尊敬の目で見られてえらいこと照れていたが。
そしてルギも再び訪れた。すっかり腰が軽くなってとオウリは笑ったが、本人は大真面目だ。シュナのことだが、と切り出されてすわ再婚する気になったのかと思いきや逆だった。アヤルに送り出すことになりそうだが、キサナという男は信用できるのかと訊かれ仰天する。あいつらいつの間に。
本当にすべてが移ろっていく。そしてそれは、悪いことでもない。
あちこち仕事にも出るようになり忙しく過ごすうち、いつの間にか時おり汗ばむほどの暖かさがやってきていた。
春、
一日の休みをもらい、オウリは川縁にカナシャを連れ出した。町からわずかに溯るだけだが、
そこでは
ザアと吹く風に綿毛が顔にまとわりつく。一度目を閉じたオウリは、細目を開け先を行くカナシャを柳絮に透かし見た。
幻がそこにいた。
手をつなぎ歩く、幼い兄妹。
隣で笑う、大人びたカナシャ。
その胸に抱かれる赤子。
彼らの上に降りかかる白いものは柳絮、それとも雪。
二人で見ようと約した、雪なのか。あの約束は、子らも共に果たしてくれるのだろうか。
瞬きをすると、子ども達の姿はかき消えていた。少女の面影を残す、いつものカナシャだけがそこにいて振り返る。
「――オウリ?」
我知らず立ち止まっていたオウリは、こみ上げるものを呑み込んでカナシャに追いついた。
「一人で飛んで行くなって言うんなら、ついてきてくれなきゃ困る」
「わかってるよ」
――今のを、カナシャは見なかったのだろうか。俺たちの、これからの家族の姿を。
それならそれでいい。知らずに歩いていくのが人生だ。だがもしあれが真実になるとしたら俺は、一人ずつ家族が増えるたびにホッと安堵するのだろう。この先にあるはずの姿を違えずにいられたことに感謝しながら。
俺だけが見せてもらったということは、たぶんそういうことなんだ。カナシャと生きろ、と。もう傷つけるな、と。
そうだろう、ハリラムの大地よ。
歩いていたあの男の子の名はハルなのだろうか。女の子の手を引き、頼もしい様子だった。そして赤子と、大人になったカナシャ。
何だろう、この果てしない幸せは。
オウリはそっとカナシャの手を取った。矢傷はほぼ癒えたが、痕が痛々しい手のひら。
「大丈夫、痛くないよ」
先回りしてカナシャは言った。
カナシャを傷つけるようなことになって、むしろ心を痛めているのはオウリの方だとわかっている。こうして笑ってみせることで常にオウリを救おうとしてくれるカナシャの気持ちを、オウリはうなずいて受けとめた。
カナシャは真実太陽だと、オウリは思う。オウリにとっては。
頑なで上っ面だった自分に、命の意味を示してくれたのはカナシャだ。カナシャがいなければ自分は空に向け伸び上がる芽を出すことはできず、地中で種子のままだったのかもしれない。
だけど太陽はカナシャだけではないのだ。いつか産まれる
彼ら家族のすべてが、太陽となり、道を教え、共に歩いていってくれるから。
ずっと前に根なし草だったオウリは、もういない。
ここに根をおろし、根づき、そして太陽の光を恋いながら、大きな木になっていく。この島の大地に、深く根を張ろう。二人で。
カナシャの手を取りながらオウリは陽光を見上げた。
柳絮が、風に笑った。
〈終〉
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