番外編
番外編・鎹と刃
「絆され商人は太陽を恋う」番外編
かすがい と やいば
本編三十六話の途中のこと。
やっとこさカナシャに首飾りを渡せたオウリと、ナモイが揃って町から旅立つ。その道中で語られた昔話です。
◆ ◆ ◆
ジンタンで手に入れた茶葉を持ってイタン村へ向かうオウリは、親馬鹿ナモイの子ども達の話を聞かされていた。
可愛いだの賢いだの、父親のことが大好きだの、そんなことをくどくど言われても、ぶっちゃけ右耳から左耳に抜ける。
こちとらつい先刻、あらためてカナシャに結婚を了承させて、ずっと離さないと宣言してきたところだ。大事な仕事だから旅立ちはするが、本当はへたりこんで安堵のため息をつきたい気持ちなのだ。
ホダシという運命的な相手だからといって、共にいなくてはならないわけではない。
隣に立つに相応しい者として常に選ばれ続けていたいと望むカナシャの心は、とても真っ当で真っ直ぐで、オウリへの想いに溢れていた。オウリとしても、それに応えられる自分でありたい。
オウリがくだらない男に成り下がったら、カナシャは運命に抗ってでもオウリに別れを切り出すだろう。型にはまらないあの娘はきっとやる。
そうさせないためにオウリは努力するしかなかった。仕事を放り出す男よりも、責任を果たす男の方がカナシャから見て好ましいだろうと思うから、今は立ち止まったりしないのだ。
子煩悩なナモイのとろけそうな顔を横目に歩きながら、ふと思いついた。
「そういえばカフランさんには子どもがいないんですね」
あまり聞き流してばかりなのもどうかと思い話をふってみたのだが、ナモイはやや苦い顔をした。
「そのへんについては、いろいろあったんだぞ」
「微妙なことですから、本人には言ってませんよ。話題にしない方がいいんでしょうか」
「うんまあ、あまり言わないのが吉かな。若かりしあいつのやらかしの一つだ。十二、三年ほど前だよ」
本人には言うなと釘を差しながら、ナモイは笑って話し始めた
タオで商いを始めたカフランは、ソーン語の力を活かしてツキハヤの貿易政策に絡むことになった。その後ろ楯を得て拠点を交易港パジに移し、個人商会主となる。その時まだ二十四歳、早熟な才走った男だった。当時は商会に雇った者も少なく、カフラン自身もナモイも各地に飛び回っていた。
そんなある日、ナモイはタオから戻るなり小声でカフランを問い詰めた。
「おまえ、タオに囲ってる女がいるのか」
カフランは片眉を上げた。心底迷惑そうな顔をして、冷たく言う。
「そんなことより、業務報告だろう」
「そんなことじゃないぞ」
ナモイは呆れ果てた。
カフランの妻タリとは、ナモイも長い付き合いだ。タオ時代に結婚してパジについてきて、カフランを支えてくれている大切な女性だと思っていた。それを裏切っておいて「そんなこと」とはいただけない。
カフランは渋々ナモイと視線を合わせた。
「タオで何を言われた」
「カスクの両親が、嫁と孫を心配してるんだよ」
「……そっちか」
カフランは舌打ちして吐き捨てた。こんなに冷ややかなこいつは珍しい、とナモイは不審に思った。浮気とはこんなに冷えびえとやるものだっただろうか。
カスクというのは二人の共通の友人だった。気っ風のいい大工だったが、一年前に仕事中の事故で死に、まだ二歳の息子と嫁が残された。
ナモイはその嫁のことは知らないのだが、カスクの両親によれば機織ができるのでなんとか暮らしていたらしい。だがどうやら、ちょくちょく男が出入りするようになった。それがカフランだというのだ。
カフランがとうに結婚しているのはカスクの親も知っている。パジに住んでいるが、商いをしにタオまで頻繁に来るのもわかっている。そして、まだ若い寡婦に女一人でずっと子どもを育てろなどと言えないことも承知だ。
だから当人同士が納得していることに文句を言う気はないのだ。ただ、この先どうするつもりなのかが知りたい。ずっと囲い者にしておくのか、嫁と別れて結婚するのか。血をわけた孫の行く末にも関わることなので、ナモイに訊きに来たのだった。カフラン夫婦はどうなっているのか、と。
「さすがに直接おまえを詰問するのは嫌だったらしいぜ。おかげでこんな、けったくそ悪いことに巻き込まれた」
迷惑をこうむっているのはナモイの方なのだ。鬱陶しそうに睨まれるのは筋違いである。
「おまえはつけこまれやすいからな。気をつけろよ」
「俺の人当たりの柔らかさで商売しやすくなってるんだろうが」
元凶の男に白々しく注意されてナモイは苛々した。カフランにぶつかる所まで膝を詰めると不機嫌に問いただす。
「で、どういうつもりなんだ」
「……うちは子どもができないんだ」
カフランは静かに言った。タリと結婚してもう五年近いだろうか。確かにそういう報せは受けたことがなかった。
「あれが石女なのか、僕に子種がないのか、どっちかなって思ってね」
カフランは淡々と続けた。
産める腹があるとわかっている子持ちの女に通えば、どちらが原因なのか知れる。女が子を孕んだらタリに、孕ませられなければカフランに何かしらあるのだ。それを試したのだという。
「おまえ……!」
ナモイは怒りに駆られてカフランの襟首をつかんだ。
子どもの頃からずっと友人付き合いをしてきたが、さすがに今回の所業には嫌悪感を抱いた。娼婦を買うのとはわけが違う。どんな結果になっても誰も幸せにならない。
「それで子ができたら、タリを捨てるつもりなのか」
「そんなわけはないよ」
心外だという顔でカフランは首を振った。
「……おまえ、子がほしいんだろ? 産んだ女を嫁に迎えないのか。子だけ引き取ってタリに育てさせるのか?」
「そんなふうにタリを傷つけるつもりはないさ。僕は子なんて無理にほしくない」
「……じゃあどうしてこんなことをした」
話が噛み合わなくて埒があかない。ナモイはカフランを放り出して頭を抱えた。カフランは襟を直しながらため息をついた。
「余計なお世話だよ」
「なら、どこからも文句の出ないように上手くやれ」
他人事のように言われてナモイは噛みついた。本当にこいつは……一度ぶん殴ってやりたい。
カリカリしているナモイを見て、カフランは頬杖をつきながら面倒くさそうに言った。
「……子がほしいのはタリなんだ。僕の種が悪いなら、他の男に嫁ぎ直せば子を産めるかもしれないし」
ナモイはポカンと口を開けた。何か言ってやろうと思ったが言葉が出ない。こいつはこんなに馬鹿だっただろうか。
カフランはぶつぶつと説明した。
向こうの女も小さな子を抱えて困っていたわけで、金銭の心配をしなくてすむなら、と話にのったのだ。カフランに子種がないと見切りをつけられれば関係を解消、なんなら再婚の世話をする。もし子ができたら金銭的援助はずっとするし、父の違う子二人を抱えてだが再婚する気があるなら面倒をみるつもりだった。
「僕もちょっとは金を動かせるようになったからね」
「……おまえ、すごく感じ悪いこと言ってるぞ」
ナモイが呟くのを無視してカフランは続けた。
そんなふうに関係を持って、もう七ヶ月ほど。わりと無理をして頻々と通ってみたが、結果が出ない。判断するには早いのかもしれないが、子のできない原因はカフランなのではないかと前から薄々思っていたのだ。もうタオの女の方をきれいに片付けて、それからタリとも別れる算段をしようと思ったと言う。
「だからおまえ、そこがおかしいんだよ。浮気の子ができなかったから妻を捨てるってな、普通と逆だ」
ナモイは眉間を揉みながら言った。
「だけど他の男となら、子を授かるかもしれないからな」
「タリがほしいのは、おまえの子だろ」
は? という顔のカフランだが、ナモイの方が、は? と言いたい。こいつは馬鹿というより情緒が壊れているんだろうか。
「子を成すにはそれだけの事をしなきゃならん。おまえはタリが種付けのためなら誰にでも脚を開く女だと思ってるのか」
「失礼だな」
カフランがムッとするがその反応は正しい。ナモイは理解させようと畳み掛けた。
「だろ? 彼女は子が産みたいからって、例えば俺を咥えこんだりはしない」
「いや、おまえならいいんじゃないか。いい子が産まれそうだ」
「そうじゃねえ!」
ナモイはダンッと卓を叩いた。ああやっぱり本気でぶっ飛ばした方がいいんだろうか。
「俺はタリを抱かないし、タリもおまえ以外に抱かれたくないってことをわかれよ」
まだギリギリ殴り飛ばすのを我慢しながらうめくナモイを前に、カフランは戸惑った様子で座り込んでいた。
「あの、思ったよりカフランさんがポンコツでクズで、引いてるんですが」
雇用主のことではあるが、オウリは飲み込みきれずに口に出した。こんなの黙っていられるか。
「だろう。俺もドン引きだった」
当時を思い出してナモイがげっそりする。
オウリの情緒も相当おかしい方だが、オウリはそれを常識を総動員して誤魔化してきた。だがカフランは一番身近な妻に対しての理解ですら完全に欠如していたのだ。
タリが子を産みたがったとしてもそれは愛する夫カフランの種だ。そこまで本人が口にしなかったとはいえ、どうしてそこを誤解したまま、別人の種で子を成せばタリが幸せになれると思うのか。相当頭が悪い。
「あいつなりに、タリのことを考えての行動だったらしいんだけどなあ」
傍から見ればただのクズだ。信じられないほどの愚行だと思うが、オウリがそこまで言うのは角が立つ。深呼吸して抑え、その後どう始末をつけたのか訊いてみた。カフラン夫妻の前でうっかりした一言を言いたくない。
タオの方は早々に手を回して、再嫁する男を見つけたそうだ。元々が明るくおおらかなカスクと一緒になっていた女だ、裏表のある策士カフランより気の合う男と
タリには、すべてバレた。
「え……」
「怖いだろう?」
ナモイが怪談を話すような顔で視線を配る。策に溺れる策士よりも、女の方が余程凄いのだ。夫に関する勘や行動力で敵うものではなかった。
バレた上で、夫婦の間でどんなやりとりがあったのかは決して教えてくれないのだが、カフランは一言だけ洩らしたそうだ。
「ちょん切られるかと思った、てよ」
ナモイとオウリは一瞬押し黙った。
「……股間がヒュンとすること言わないでください」
「だって、そう言ってたんだよなあ」
ナモイはケタケタと笑った。
ちょうどその頃遅めの結婚直前だったナモイはもう、妻を裏切る勇気など欠片もないし、次々に授かった子らがありがたくて仕方ない。子が産まれたことをカフラン夫婦も心から祝ってくれてホッとしたそうだ。
「あのぐらいから、あいつもヌメッと人当たりよくすることを覚えたな」
それまでは少しヒリついた危うさのある奴だった、とナモイは振り返る。やはり人間、急所の危機にあうと変わるのだ。
「オウリのとこもさ、最近何があったのか知らないが頑張れよ。おまえら二人共ちょっと変わり者だから、どっちがカフランみたいに突拍子もないことを仕出かすかわからん」
「……」
否定しきれないのが悔しい。
最近あったこととは、自立心溢れるカナシャと手の内で可愛がっておきたいオウリのすれ違い、とでもいおうか。
まだまだすれ違い続けている気がするし、お互いに好きだという一点のみに準拠して妥協しただけだ。この後どんな突飛な考え方でカナシャが飛んで行ってしまうか、オウリは不安だらけなのだ。
オウリとカナシャはたぶん、結婚まで最低あと一年はかかる。しかしこの上司達の話を聞く限りでは、結婚できたとしても次は子どものことで悩むはめになるようだ。
これまでオウリは子どもなど興味がなかったが、カナシャと自分の子、と考えると見てみたい気もする。
だがまあ授からなければ、それはそれでいい。子どもができればカナシャは全力で愛し育てるだろうから、その分オウリはほったらかしになるだろう。それも少し、嫌だ。
まだ見ぬ自分の子にまで嫉妬して、カナシャを独占したい男、オウリ。先ほどあらためて結婚を承諾させたばかりなのに、その先の道のりも遥かに思いやられた。
オウリは後ろ髪を引かれながら、ため息混じりにカナシャのいるパジを後にしたのだった。
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