番外編・山鳥の尾のしだり尾の


「絆され商人は太陽を恋う」番外編


 カツァリの鳥射ちにして次期族長ルギ。

 彼とオウリの物騒な出会いの物語。




 ◆ ◆ ◆



 深い森の木々の間に潜み、ルギは微動だにせず耳を澄ましていた。

 ハリラムは暖かな島だが、高地にあるカツァリの森は少しずつ秋を深めている。下草の勢いがなくなり毒虫の心配が減るのが嬉しいところだし、上を見上げればフウの木が色づき始めて鮮やかだ。


 森に入るため、ルギもさすがに肌を覆っている。短い下衣と袖無しの貫頭衣はいつも通りだが、脚絆と腕套を着け、方衣も羽織る。山刀と弓を肌身離さないのは当たり前として、水筒に携帯食まで用意していた。

 秋の実りを求めて活発に動く鹿やカモシカ、猪、熊などを狩る者達もこうして森に入る。だが鳥射ちのルギが潜んでいるのには、狩りとは別の理由があった。


 ルギは今、二人の男の動向を気にかけている。シンハとタルー、共に十八歳。ルギよりは四つほど若い。

 二人はルギの妹に求婚中だった。

 まずシンハから申し入れがあったのだが、それを聞きつけたタルーが、ちょっと待ったと声を上げた。妹はルギから見ても可憐な美人だと思うので、そうなるのもわからなくはない。だが問題はどちらを選ぶか決め手に欠けることだった。


 求婚者二人はどちらも狩りはできる。そして体格も喧嘩も同等となれば、求婚されている本人に選んでもらいたいものだ。だがどちらにも思い入れのない当の妹は、家長の父親に遠慮して何も言えなかった。

 そこで父親が持ち出したのが、古よりの首狩りである。


 戦闘部族カツァリ族では昔から、男は人を殺せてやっと一人前だった。旅人や、なんなら他氏族、他部族の村を襲い首級を上げて持ち帰るのが首狩りだ。そうして男達は自らが大人であることを示してきた。

 だがもちろん殺された側が納得してくれるはずもなく、大きな争いに発展することも珍しくはなかった。そのために今では、カツァリの中でも首狩りはあまり行われていない。


 シンハもタルーも、人を殺したことがなかった。ここ数年、大きな揉め事がないのだ。

 平和に暮らせるのはいいことだ。だが、一人前の男でなければ娘は任せられん、と父は言った。先に首を上げてきた方に娘をやろう、と。

 面倒なことを言いやがって、とルギは古臭い父親を呪いたくなった。争いのない今、誰の首を取れと言うのだ。


 ケルタ氏の中でどうこうするわけにはいかない。カツァリのどこかの氏族から難癖つけられるようなことがあればその相手を殺すのがちょうどいいが、都合よく衝突が起こるわけもない。

 あとは旅人だが、ケルタに足を踏み入れるのはサイカかアニの商人ぐらいで、カツァリを知る者なら普通はガチガチに武装している。

 詰んだ。

 シンハもタルーも、頭を抱えた。ルギもだ。二人がうっかり何かをしでかせば大きな戦闘が起こりかねないのだった。


 シンハはアニとの山越えの道に狙いを絞ったらしい。険しい道だ、落石、浮き石、崖が崩れて足を踏み外すこともあるだろう。もしかしたら今は、そんなことが起きやすくなっているかもしれないが、運の悪いことだ。

 そんな場所で事故らしきものがあっても、遺体を回収することはできずに置き去りにされるはずである。それがシンハの企みだ。弓や刀で殺害するのにこだわる必要はない。要は死体が手に入ればいいのだ。


 そしてもう一人のタルーはサイカの領分に忍び込んでいた。

 サイカでも端っこにある村周辺で、採集に出ている女の一人でも襲って死体丸ごと連れ去ってしまえば、谷に落ちたか熊にやられたかもわからない。

 だがサイカ族に手を出して、下手人がカツァリ族だとバレたら終わりだ、とルギはタルーを陰から監視していた。タルーのやり様は危うすぎる。

 そうして窺ったサイカの村では、カツァリへの警戒心が凄かった。決して女だけでは村の外へ出ないし、出るならば男が複数ついてくる。それだけ昔の行いが酷かったということだろう。タルーのあては完全に外れた。

 もう諦めてくれないだろうか、とルギは願った。だがカツァリで女を勝ち取るためには、そうはいかないのだ。


 タルーは獲物を探してさまよった。そしてケルタの森の中、サイカ族とおぼしき商人達を見つけた。荷車ではなく、歩荷ぼっかの一行である。

 一団で旅はするが、一人になる時がないわけではない。食糧の現地調達、用足し。少し目を離した隙にカツァリの深い森に迷うこともあるかもしれない。行方不明者を出してもらうしかなかった。


「よーし、一本とるぞ!」


 やや開けた所で商人達は休憩に入った。といっても荷を下ろさず、荷の下に杖をあてがって荷重を逃がすだけで座りもしない。一本とる、とは荷を支える杖のことを指すのだ。

 だがさすがに、小用のため森に入る男だけは荷を下ろした。あいつを殺ろう、とタルーは決めた。


 タルーはたぶん焦っていたのだろう。森の中を移動する気配が隠しきれなかった。

 商人の中でも一番若い、少年の面影を残す男が異変に気づいて振り向いた。その男の荷を支えていた杖がカラカラ、と音を立てて転がる。同時に木立からギャッと悲鳴が上がった。

 振り向いた若い男は荷を負ったまま小走りし、木々の隙間を窺った。左手に持っていた弓にはいつの間にか矢が番えられている。


 タルーはしくじっていた。

 一矢で殺さなくてはいけなかったのが、杖の倒れる音で狙いがブレた。胸を射貫くはずの矢は肩に突き立っていた。

 しまった。

 タルーにはまだ状況判断力が残っていた。ここは逃げるしかない。


 森の奥へと身をひるがえした時、ヒョオッと空気が裂かれた。タルーの首に矢が立つ。タルーはドオッと倒れた。


「やったか、オウリ」


 弓を射た若い男――オウリに、年配の商人アラキがささやいた。他の皆も荷と共に地面に低くなって森を窺っている。


「一人は」


 オウリは次の矢を番えた。まだ森に人の気配があった。


「あと一人いるな。だが……」


 殺気立ってはいない。そうアラキが思った時、静かな声が響いた。


「怪我人の手当てを頼む。大変申し訳ないことをした」


 ピタリと狙いを定めるオウリの矢の前に、森からルギが姿を現した。

 弓は背負っているが手に持つことはせず、無抵抗の意思を示している。それでも堂々とした姿は十分に威圧的だった。


「射つなよ、オウリ」


 アラキが表情を変えずに制止した。オウリも顔色ひとつ変えずに応じる。


「わかってます」


 だが相手から矢も外さないのだ。

 射られた仲間が森からよろよろと出てきても、矢を抜かれてうめき声を上げても、オウリはヒタ、と動かない。ルギも動かなかった。


「俺は、カツァリ族ケルタのルギ。そちらの人を射たのはケルタのタルーだ。死んだタルーに代わり、お詫びする」


 ルギは動かぬまま名乗った。


「我々はサイカのアヤル商会。俺はこの一行の責任者、アラキだ。タルーとやらを殺したのはうちの者だが、問答無用の奇襲に対してのやむを得ない反撃だと主張しておく」

「無論のこと」


 アラキの返答に、ルギは神妙に目を伏せた。一方的にこちらに非があるのだ。こう冷静に応じてもらえてありがたいぐらいだった。


「タルーは首狩りの儀式に挑戦していた。そして、しくじった」

「首狩り」


 アラキがほう、となる。


「久しぶりに聞いたな」


 アラキが合図して、オウリはやっと弓を下ろした。それまで怪我人を一瞥することすらなくルギから視線を外さなかったのだ。

 いい目をしている、とルギは思った。胆の据わった透き通る目だ。タルーにこれだけの力量があれば死なずに済んだだろうに。


 ルギはことの経緯を説明した。聞いたサイカの商人達は、特に若い者ほどその成人儀式に辟易してゲンナリした。表情にあまり出ないオウリでさえ、目がさらに冷たくなったのを見てアラキが苦笑いする。


「おまえさんの父親なら、俺と同年代だな」

「頑迷な男で手を焼いている」

「そう言われないように気をつけるとしよう」


 軽く笑うアラキに、ルギは不思議な顔をした。仲間が殺されるところだったのだし、もっと怒っていいと思うのだ。だがアラキは首を振った。


「おまえさんも父親に振り回されているだけだろう。ここで怒っても何もならん。まあこちらも商人だ、こいつの治療費と慰謝料は請求しよう」

「アラキ殿は寛容だな」

「カツァリの連中が苛烈にすぎるだけだ。こっちに死人が出ていたらもう少し考えるが」

「……俺の父の首を取りにでも来るのだろうか」


 真剣に答えるルギに、アラキは大笑いした。このカツァリの男は真面目で率直で誠実だ。信用するに足る、と商人達は判断した。


 ルギが鳥射ちだというので、慰謝料は山鳥の羽で払うことになった。

 ヒタキの瑠璃。マシコの緋色。シマドリやヤマムスメの大小の縞の尾羽。なんなら最高級の矢羽になるタカの風切羽。

 なんでも揃えて持っていく、とルギは約束した。小鳥から猛禽まで選り取りみどりとは豪気なことだ。よほど腕に自信があるのだろう。そう言われてルギはオウリの方を見た。


「そちらの男も、いい腕だった」


 一歩引いていたオウリが再びルギと視線を合わせる。軽く頭を下げたオウリに、ルギは尋ねた。


「いくつだ」

「十七だ」

「五つ下か。若いが度胸があるな」

「そっちこそ」


 強い者には年下だろうが敬意を払うのがルギの流儀だった。握手を求めて手を差し出す。オウリはやや戸惑ったようだった。


「妹の求婚者を殺した奴と友誼を結ぶのか」

「関係ない。おまえが強かっただけだ。カツァリでは強い者を尊ぶ」

「……まあ、わかりやすくていいな」


 俺はサイカ族イタン村のオウリ、と名乗りルギと握手を交わす。あまり表情を変えない二人の若者の握手を、アラキは面白そうに眺めていた。




 ――これが、この先長い付き合いになるカツァリとサイカの男二人の出会いだった。

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