百二十二 切れた糸
カナシャを馬に乗せた帰路、ここまでに何があったのかオウリはゆっくりと聞き出していた。まずそもそも、何故こっそり抜け出して拐われに行ったのかを知りたい。
「あのままだと、オウリが死んじゃったから」
申し訳なさそうに言われて愕然とした。精霊の先読みを見せられただと。
「俺のためだったのか」
オウリは言葉をなくした。
カナシャが見た光景を否定する気はない。きっとそれは現実になっただろう。もちろんカナシャに命を救われたことは嬉しいし有難いのだが、オウリのためにと無茶をして、結果こんな怪我を負わせたのをどう受けとめればいいんだ。
「……一人ですっ飛んで行かなくてもよかったろうに」
呆れ笑いに誤魔化したが、泣きそうだ。
そのオウリの胸にポテと寄り掛かって、カナシャは心底幸せだった。耳元に鼓動が鳴る。この人の命を守ることができて本当によかった。
「ん。そうね」
「もうやめてくれ、つむじ風の先っぽに乗ってどこかに行くようなこと。お願いだから」
それでは誰もついていけない。
島に吹く風を感じるのはいい。彼らの声に従って生きるのがハリラムの民の道だ。だけどその風の、できるなら中ほどを二人で歩きたい。穏やかに。
眠そうなカナシャを支える腕に軽く力が入って、ふ、とカナシャの吐息が胸を暖めた。いや、熱いくらいだ。額を確かめてオウリは眉根を寄せた。
「熱が出てきたな」
「ん……」
「どこかで休ませてもらうか?」
「いい……帰ろ」
カナシャはフワフワと言い、オウリの胸にすり寄る。それを嬉しく噛みしめながら、オウリは馬を急がせた。
カナシャの首にある花石。それはオウリとカナシャをつなぐものだ。
海に沈んだカナシャを介抱した女達が、首飾りも服と一緒に真水で洗ってくれた。髪がまだ潮っぽいからと、帰路にはカナシャの懐に収まっていた。
それを、カナシャはオウリに渡したのだ。パジにたどり着き、家に入る時に。
「ごめんなさい」
カナシャはひと言呟いて倒れた。道中ろくに話もできなくなっていたのに、それだけは妙にはっきり言われてオウリは石を手に硬直した。
これはあれか。
確かに以前言った。「もう俺となんてやってられるか、てなったら突き返せ」。首飾りを贈る時に告げた、あの言葉に従ったのだろうか。
その真意を問おうにもカナシャはそのまま寝込んでしまった。疲れと矢傷のせいだろうと、テイネが娘を診察して悲しい顔で言った。
そんなことになるまでカナシャを救い出せず、それどころか傷を負わせた男などと共にいられないということだろうか。それとも、ナルカと何かしらあって物事や人生を考えたのか。
ぐるぐると考えをめぐらせてもオウリにはわからない。ある意味心当たりだらけなのだ。
そんな状態なのでオウリは何もできなかった。仕事もろくに手につかない。カフランはカナシャの容態を案じてのことだろうと放っておいてくれたが実は――何だろう、こういうのは。離縁されかけ、とでもいうのか。カフランもそんなことになっているとは思っていないはずだ。オウリだってとても上司に言えるものじゃない。
そしてある日、返された首飾りが。
そっと自分の荷物に忍ばせておいたらバラバラになっていた。糸が切れている。
オウリは涙目になった。
「フクラよお、カナシャって目ぇ覚ましたか?」
ぶらりと家に来たシンが開口一番に尋ねて、フクラはキョトンとした。珍しいことを気にするものだ。
町にいる時シンは毎日のようにフクラのところに顔を出す。仕事の都合にもよるが今日は昼前、フクラの両親はいない時間だった。
「ええ。熱も下がったって」
「ふうん」
「どうしたの」
「……なんかオウリが変でさ」
あらあら、とフクラは面白くなった。この人が同僚のことを案じるなんて。
「つーか、うぜえ。平気なフリしてるけど暗い。カナシャが元気ならなんなんだよ」
「ふーん」
また何かこじれてるのかしら、とフクラは考えた。世話の焼ける。そういうことなら話しに行ってみよう。
「シンさん」
上がり框に座るシンに、フクラはにじり寄った。ん、と視線をくれるシンの頭を撫でる。褒めると実はとても喜ぶらしいとわかってきた。
「えらいわね。周りの人のこと、よく見ていて」
「おう」
シンはムスッとした風をよそおいながら、撫でられるに任せていた。
オウリの顔色がすぐれなくても無理はない。見舞いに行ってみても、カナシャが会ってくれないのだった。
だがこのまま話さずに引き下がるわけにはいかなかった。暇をみては顔を出すオウリだったが、カナシャは泣きそうな声で「無理」とだけ言って出てこない。テイネもリーファもお手上げだった。
オウリは姿を見せないカナシャの気配を感じながら、リーファに首飾りの修理を頼んだ。こんなに身近に珠細工師がいるとは、悲しいが好都合だ。
「これ、あの子の石ね。帰ってから着けてないと思ったら」
「返されました……」
どんよりと呟くオウリが哀れで、リーファの笑顔がひきつる。
「いつ壊れたの」
「昨日です。荷物の中で、いきなり」
「え……変ねえ」
オウリは切れた糸も持ってきたのだが、そんなに傷んでいるようには見えなかった。
「まあ安心して。前と同じように直すから」
「お願いします……」
オウリがしょんぼり頭を下げていると、軽く戸を叩いてフクラとサヤが顔を出した。オウリの姿を見てサヤがズバリと言う。
「オウリさん、しおたれてる」
「カナシャがまた悩んでるんでしょう。シンさんが気をもんでるから様子を見にきたの。上にいます?」
スタスタとカナシャの部屋に向かう二人を、オウリもリーファも拝むように見送った。
カナシャが何を思っているのかよくわからないが、女友達同士でないと聞き出せないことだってあるかもしれない。最後の頼みの綱かもしれなかった。
「カーナシャ、元気?」
遠慮なく踏み込んだ友人達に、それでもカナシャは笑顔になった。帰ってきてから表に出ていないのだ。うっかり誰かに会うのが怖くて引きこもっているが、さすがに鬱々とする。
「まあまあ元気」
「嘘ばっかり」
ふにゃ、と笑ったサヤは抱きつこうとしてカナシャの左手を気にした。
「痛い?」
「そりゃ、まあ」
包帯を巻いた傷はまだ塞がりかけだ。治るまで動かすなと父に言われているので試していないが、動くようになるのかどうかも心配だった。骨は問題なさそうだというのだが。
「ふーん。だから怒ってるの?」
「え」
「オウリさん、すごくショボンてしてるわよ」
サヤは素知らぬふりでズバズバ言った。これはたぶん、あどけなさを装って言いにくいことを突きつける作戦だとフクラは笑いを噛み殺す。女としてはサヤの方がカナシャより何枚か上手かもしれない。
「怒ってなんかない」
「じゃあどうして会ってあげないのよ。カナシャを助けに駆けつけてくれたんでしょ」
フクラもしれっと加わってみた。
友人達の言うことは、カナシャだってよくわかっている。とてもとても迷っているのだ。だから誰かに聞いてほしかったのかもしれない、苦しい胸の内を。カナシャは震え出す声でポツリとこぼした。
「だってオウリを傷つけたくないんだもん」
カナシャは口をへの字にして泣くのをこらえる。言う意味がわからなくて、少女達は顔を見合わせた。
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