百二十 射貫いたものは
オウリ達は駆けんばかりにナルカ一味を追っていた。そして追われる方は、倒れたカナシャをそっと荷車に乗せていることで速度を落とした。そのおかげで彼我の差が縮まったのだ。
いつの間に、とカナシャは仰天した。まあ問われて答えるならそれは、カナシャが寝てる間に、だ。
ただ前から来るスサとはもうすぐ行き合うのだが、後ろのオウリ達はまだ追いつかない。このままではスサが危なくなってしまう。馬に乗っているなど、シージャでも特別な立場にあると宣伝しているようなものだ。
「馬を隠せ!」
ナルカが鋭く指示した。カナシャには理解できない言葉だったが、馬を曳いていた者が慌てて林に駆け込むのを見て何を言ったのかわかった。なるほど、こちらだって馬を連れているだけで怪しさは増す。
しかしカナシャのことも隠す前に、スサの馬影が現れた。荷にカナシャを埋めてしまおうかと思って間に合わなかったナルカが舌打ちする。
「余計なことを言うなよ。ただすれ違うだけで済まなければ、あの馬の主は殺す」
小声でナルカは脅した。この情勢にあれば族長ツキハヤへの伝令か何かだろう、と判断したのだ。カダルの趨勢をどのように報告するつもりか興味はあるが、今はそんな場合ではない。ちょうどその伝令がカナシャと知己だとは、まさか考えなかった。
カナシャは小さくうなずいた。ここは素通りしてもらいたい。争いになってスサが孤軍奮闘するところなど見たくはなかった。
一見カダル商人のような一行を認め、スサは歩調を緩めた。
いきなり警戒をあらわにするような真似はしないが、ザッと人員を値踏みする。男が六人。そして荷車に乗せられているカナシャが目に入り、さすがに馬を停めた。
元来の無愛想を活かしてスサの顔色は変わらない。しかしカナシャが奪われていこうとしていることは理解した。さてこの人数を相手に立ち回れるかと算段しかけて、カナシャが小さく首を振るのに気づく。そしてチラと後ろを気にするのにも。
――そうか。
経緯はわからないがカナシャが姿を消してオウリ達が放っておくわけはない。その状況をカナシャは感じているのだろうか。もう追っ手が後ろに迫っているのか。
「おまえ達はカダルの商人か。今のカダルの北は争いに荒れているぞ。戻るなら気をつけろ」
スサは通り一遍の注意を口にした。立ち止まった以上は何か言わないわけにもいかない。
「はい。ありがとうございます。今は、どうなっていますか」
実際に商人であるサミルが、慣れぬ言葉でややたどたどしく応答した。
「謀反の首謀者は逃げたと聞いた。族長が入り町を鎮めて回っているらしい」
「おお、それはよかった」
サミルは頭を下げる。マカトが北部にきているならば南に回り込もうというナルカの見通しには都合よかった。運は終わっていない。
「その娘はシージャの者だな」
「は」
無視するのも不自然で、スサは問うてみた。何と返答がくるのか。
「俺の従姉妹です」
静かにナルカが嘘をついた。
「俺の母はシージャの出身なので。こいつの親が死に、行き場がないというので引き取りに来ました」
淡々と言うのにカナシャは反応しない。スサも軽くうなずくにとどめた。
「そうか、ご苦労なことだ。では気をつけて行けよ」
スサは馬の腹をト、と蹴った。
並足で歩き出しながら、探られていると感じていた。無理もない、お互い偽りしかなくすれ違うのだ。
「射ろ」
背を向けてほどなく、ナルカが小さく指示した。言葉がわからなかったカナシャは、一人が荷の中から弓と矢を取った事で悲鳴を上げる。
「駄目!!」
すぐにナルカが口を塞ぐが、スサはドドッと駆け出した。背を狙った矢は届かない。そして鋭い鳶の声が響いた。スサの呼子だ。
「馬曳け!」
舌打ちしナルカは叫んだ。呼子で報せるあてが近くにいるというのか。
ここは何としても逃げなくてはならなかった。ナルカはもがくカナシャを羽交い締めにし、馬に飛び乗った。
「何!?」
前方で鳴った呼子にオウリ達は身構えた。
「誰だ?」
エンラの仲間内で使うのと同じ音。こんな所に誰が、と思った時に馬蹄が響く。騎影が一つであることを確認してエンラが叫んだ。
「スサ!」
向こうも仲間達を見て馬を押さえる。停まりきる間も惜しんでスサは報せた。
「カナシャがいた! カダルの男六人、弓有り、おそらく馬がいる!」
必要事項だけを伝え、馬首を返し戻っていく。カナシャを馬で連れ去られるかもしれないのだ。
「オウリ、馬で行け!」
エンラに馬を譲られ、オウリは無言で飛び乗った。
スサの後について人馬が走る。
「突っ切れ!」
スサはオウリに叫び、弓を向ける男を馬で蹴散らす。それらに目もくれず、オウリは馬を駆った。
海へ向け駆け抜けるオウリ、反転するスサ、後ろから追いついてきたエンラ達。
カダルの男残り六人と、シージャの男四人そして馬一頭。
乱戦になった。
背後の乱刃は耳を過ぎるだけだ。オウリはカナシャの気配しか感じていない。すぐそこにいる、つながったひと。
馬を駆る。海辺の林を抜ける。潮の風が吹きつける。
街道から逸れて姿を眩まそうとも、オウリにそれは通用しない。カナシャがそこに居さえすれば。
カナシャ。俺を照らす者。
片手に手綱を握り、林と磯の間をナルカは駆けた。砂地に蹄を取られる。
左腕の中であがくカナシャをナルカはきつく抱きしめていた。もう、この娘しか残っていないのか、俺の持ち物は。
カナシャはオウリを視界に捉え、転げ落ちそうに身を乗り出した。
「オウリ――!」
助けて、でもない。気をつけて、でもない。ただ心がその名を求めるから呼んだ。
カナシャはいつでも何度でも呼ぶだろう、そのひとのことを。
オウリ。手を握り、歩きたいひと。
カナシャが口にしたその名を聞き、ナルカの心が凍った。今朝カナシャがもらした名だ。
後ろに迫るその男は少年などではない。この小娘の男というのは弓を負い馬を駆る
俺のものを奪い取りに来る。何もかもをなくす。そんなわけはない俺はここから南に渡り今いちど旗を上げるマカトに対して俺は認めさせなければならない兄に自分の価値を俺は。
俺は。
もう何も失えない。
ナルカの行く手にまた一頭の馬が躍り出た。スサだ。残る一味をさっさと片付け街道から回り込んだのだ。
カナシャを抱えたままナルカは浜に進路を変える。先には海しかない。
終わるのか。たぶん。
ただひとつ自分の腕に残る不可思議な娘をナルカは放さなかった。
カナシャはぎりぎり自由になる右腕を後ろにのべ、左腕はナルカの胸に突っ張って逃げようとする。浜の砂に落ちるか。いやもう、潮の中に。馬はざぶりと波をわけていく。
いっそもろとも。
残酷な笑みを頬に刻み、ナルカは手綱を離した。脚だけで馬を沖へ操る。
捕えたカナシャの頭を荒々しく引き寄せると、ナルカはその口を自分の口で覆った。
カナシャの右腕が宙で固まった。
そこで何があったのか、後ろから迫ったオウリには見えていない。が、察した。
オウリは感覚をなくした心のままに手綱を捨て、流れるように射た。
ナルカの背に深く矢が突き立った。
そして、カナシャの絶叫が空を裂いた。
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