終章 風の中ほどを二人で

百十二 海辺の村の悪意


 海はやや鈍い色に沈んでいた。

 木芽月このめづきに入ったとはいえ、まだ冬の気配が濃厚に残っている。新芽が吹き、空が明るく春の息吹に染まるにはまだ間があった。


 海辺の小さな村、パバイはひっそりとしている。だが、その裏には静かな警戒心が隠れているのだった。

 イハヤの指示を受けたスサは、数人の男達を村の家や納屋、そして周辺の林に潜ませていた。スサ自身はパジにいたが、エンラと馬をこちらに寄越している。何か起こればほんの一刻ほどで伝わるだろう。

 村の者も、いつも頼りにしてきたクチサキであるカイナを奪われるようなことを許す気はなかった。荒々しい海の男達のことだ、仲間を守るためならば進んで一肌脱ごうというもの。カイナ本人は孫娘の隠れ蓑になれるならそれでいいと思い切っているのだが、周囲がそうさせてくれそうにないのだった。




「では、ここで待て」

「おう」


 村に近づいた商人風の一行が、空の荷車を停めた。小さな荷車を曳いているのは牛ではなく、男だ。クチサキの老女を招くにしろ拐うにしろ、この車に乗せていくつもりなのだった。手荒な成り行きになった場合、牛よりも小回りがきく人間の方がいい。人力でしばらく頑張れば、隣の村には馬も隠してあった。


 海に面したマダラの家へと向かう途中、総勢六人いた一行からひとり、またひとりと抜け、林や物陰に隠れていく。最終的に家を訪ねるのは二人だけのようだ。

 その時、上空に姿はないのに鋭いとびの声が響いた。

 村の者はその鳥の声に顔を上げ、辺りを窺う。これは笛なのだ。怪しい者が来たという合図に決められていた鳶の笛を吹いたのは、エンラ。

 その時に彼はもう、荷車の所に残っていた男に忍び寄り締め落としていた。手早く縛り上げて転がす。


「始まったな」


 少し楽し気に呟いて、エンラは次の標的を探した。賊を迎える側としては穏便に済ます気などさらさらない。

 襲う方はこんなに手荒くもてなされると思っていただろうか。だがこちらがその不明に付き合ってやる義理はなかった。




 こうも待ち構えられているとは。捕らえられた男はそう漏らしたと報告されて、何を甘ったれたことをとスサは憮然とした。他所の雇われ者とはいえ、そんな気構えでどうするのか。


「その程度の奴らだが、あの村には置いておけないんで護送中だ。あとはこっちで頼む」


 一足先に馬でパジに報せに来たエンラの言葉に町長はため息が止まらない。そんなこと頼まれたくないのが本音だった。


 カイナの家を訪って、男らはまず穏やかにカダルへの同行とへの仕官を要請したのだった。が、もちろんカイナも息子マダラもそんな話を受け入れるわけがない。

 「この年になって言葉もわからない場所に行きたくはない」と告げたとたん、では力ずくでときた。しかしそれを待っていたかのように、隣室から戸口から、屈強な村の男がわらわらと出てきたのだ。あの時の客人の顔は滑稽だったと後でマダラが吹き出していた。それほどに余裕があったということだ。その時点ですでに屋外にいた賊はすべて制圧済みだったのだ。


「あちらの人手を少しは減らしたということになるが」

「次があるのか、だな」


 失敗の報が入って向こうがどう出るか。そもそも失敗の報は届くのか。カダル内部の状況がどうなっているのかわからないことには警戒を解けない。


「――俺が行くか」

「スサが――まあそうだな、それが一番確実だ」


 諜報活動ならばスサより長ける者はいない。カダルの言葉がやや問題になるが、南端のエダ、あるいはカダル北部のフーシなどではどちらの言葉も話せるという住民も多いのだった。


「そうだ、馬を使えば早い」

「いや。タオとの連絡に困るだろう」


 エンラの提案を却下したスサだったが、ニヤリと返された。


「あいつら、隣村に馬まで隠しててな。村人が持て余すから引き取ったのさ。それで行くといい」





 海辺の村での変事とカイナの無事を知らされ、カナシャ達一家もオウリもひとまず安堵した。まあ、何者かが悪意を持って村に向かっていることも、それがふわり、ふわりと消えていったことも、カナシャは感じ取っていたのだが。


「……えええ。何と言うか、とんでもないんだな」


 あまりカナシャの力について把握していないエンラはあんぐりとなった。報告するのも馬鹿馬鹿しくないか、これ。

 その様子にオウリは苦笑するしかなかった。自分はもう慣れてしまったが、気持ちはわかる。


「そう言うなよ。物事の顛末は、はっきり聞いておきたい」

「それにね、私、知ってる人のこと以外はあまり探れないから」


 カイナを含む伯父一家のことは、かなりわかった。だが襲撃者のことはふんわりとしか伝わらなかったし、そこで何かが起こるだろうと予期して探っていたからこそ感じただけだ。別に万能なわけじゃない。


「てことは、カダルの状況を探ってくれ、なんてのはできないのか」

「んー。だって、知らない人たちがいっぱいいるだけだもん。何がどうなってるのかなんて、たぶんわからない」


 争う心や恐怖、苦しみ。そんなものならば感じてしまうだろうが、それは諜報活動とは言わないのだ。

 島に息づく人ならざるものにとって、人間達の派閥などはどうでもいいことだから、伝えてはもらえない。クチサキが感じられるのは、もっと原初的な何かだった。


「楽はできないのさ。ツキハヤ様が言ってたろ、やるべき事をクチサキ様だけに頼るなって」

「わかったよ。だがどうなってるんだろうと考えるとつい、な」


 オウリになだめられてエンラは首をすくめた。スサが馬を飛ばして行ったとはいえ、今現在の事はわからない。平時なら問題ないことだったが、動乱に直面すると、もどかしい気分がぬぐえなかった。





 カダルは混迷していた。パジの人々が思うより、いやカイナを拉致せよと命じられた者達が思うよりも、だ。彼らがナルカの意を受けてフーシを発ってからも刻一刻とマカトの手が迫ってきていたのだった。

 バイヤで行われたように、離反した者への報復は速やかだった。常日頃民を慈しむ姿勢を崩さなかったマカトの果断な処罰は、見せしめという意味で有効だ。カダル北部の町々で、ナルカの息がかかっていたはずの商人が続々とマカトに恭順の意を示した。さもなければ、いつ周囲の町民に襲われるかわからない。財を持たずとも、民の数の力はまとまれば暴力装置なのだった。

 しかしフーシの町は簡単に寝返るわけにはいかなかった。町長一族、町を切り回す商人そのものが、ナルカを担いだ張本人であるとすでに知れ渡っている。ここでナルカを差し出したところで後はないのが見えていた。


「このまま切り崩されていけば、孤立無援に死ぬしかありませんぞ」


 追い詰められ、感情的になったままに訴えられて、ナルカは神経質な笑いを返した。そんなわかりきったことを今さら。

 そもそも謀反など、失敗すれば死しかないものだ。これは生死を賭けた兄弟喧嘩、わかっていて始めたことだろう。


「死にたくないか」

「――お戯れを。当然のこと、生きるためにナルカ様を盛り立てていこうとしたのですから」


 生きるため。そうか、生きねばならないか。いやまあ、そのつもりで生きてきた。


 ナルカは静かに考えていた。兄マカトに打ち勝つ逆転の目はどこにある。

 この北の町ひとつに押し込められてしまっては打開のしようがなくなってしまうのだ。まだ自分が手にできる可能性が残っているものは何だ。

 買い叩ける物、落ちのびる場所、奪い取れる物。それらを組み合わせて、生きる道。

 どこにある。ナルカは考え続けた。

 まだ、諦めるには早い。



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