百十一 急襲


 年端月も終わろうという日、その事件は突然起こった。

 カダル中部、最大の町バイヤ。その中心である長の館に兵が押し入ったのだ。

 族長マカトの不在を突いてのことだった。マカトは近郊の村を視察して回っており、大した手勢もない。バイヤをからくも逃げ出して走った報せに、マカトの表情は凍った。首謀者は異母弟ナルカらしいという。

 そこに思うものはあるが、マカトはひとまず呑み込んだ。自分の責を果たさなければならない。


「――他は誰が?」

「大商人が幾人も。まだわかりませんが、北の町はナルカ様に近しい所も多く危険かもしれません。落ちるなら、南へ」

「落ちろと?」


 珍しく不機嫌に、マカトが鼻にしわを寄せた。


「しかし――」

「奴らの兵も多いはずがない。目立つ人の流れはなかったのだ、数人ずつ入り込み商人どもの邸に飼っていたのだろうが限度がある。叩くなら、すぐだ」


 手をこまねいていれば、敵はむしろ増えるだろう。長い物に巻かれたくなるのが人だから。これ以上の離反を出せば収集がつかなくなる。マカトは冷たく笑った。


「こちらに兵はないが、民がいる。バイヤの民はまだ俺のものだ。奴らが館を押さえようとかまわん、そんな場所はくれてやれ――かわりに奴らのもととなるものを奪ってよいと民に許しを出そう」


 謀反に加担した商人達の邸、そして倉。そこを襲い略奪しろと、町民に命じるというのだった。即座に下した思いきった判断に、付き従う者達が黙り込む。だがマカトは冷静に指示した。

 これまで優遇され富を蓄えてきた者達から取り戻すだけだ。しかも長のお墨付きとなれば嬉々として皆が動くに違いない。やりすぎないよう監視しておけばいいのだ。

 所詮は利を求めて集っただけの連中なのだから、自分の財をなくしてまで戦う気はないだろう。金のあてがなくなった雇われ者も、すぐに逃げ出すはず。


 そうなれば、おまえは独りだナルカ。さあどうする。


 マカトは自嘲気味に笑った。目を掛けていた弟に裏切られるとはあまり気分の良いものではないのだった。


 ――その日バイヤではいくつかの建物が燃えた。冬空は、不穏な煙に霞んだ。




「くそッ!」


 町で行われる略奪の成り行きを見守り、ナルカは歯噛みした。兄がこんなに速やかに手を打ってくるとは――しかも民を使って。

 常日頃は民を大事にしてばかりのマカトがこうも荒っぽく、町が焼けるのも厭わずにこちらの締め付けにかかるとは予想外だった。バイヤの中を押さえればマカトは南に落ちのびるしかなくなると読んでいた。

 カダルの北半分を手にすれば、なびく守旧派も多かろう。それでも劣勢であればシージャのクチサキを手に入れ、その権威を振り立てて切り崩しにかかろうと思っていたのだ。


 こうなると形勢は逆に危うい。民衆をこの館になだれ込ませるとまでは考えにくいが、囲まれてしまえば身動きが取れなくなる。

 ――北に退くしかないのか。

 今ならばまだ、町の中も混乱状態だ。マカトの手の者も統制しきれていないと思われる。退路を切り開き、いったんフーシ辺りで態勢を立て直す。

 なに、マカトに不満を抱える者は多いのだ。それを煽り、ナルカという旗印とクチサキという神秘性を掲げればまだ逆転の目はある。

 自分についた者達が混乱し、まだどうとも判断できずにいるうちにナルカは一時撤退を告げた。寝返らせず、手勢を減らさずに逃げる。それが今できる最良の決断だった。





 そんなバイヤでの動乱の急報は各所に飛んだ。現地には商人も、商人に扮した情報屋や隠密も紛れていたのだから。彼らはその報せを携えて走った。


「動いたか」


 パジにいたスサやエンラは、町長達と共に一報を聞いていた。

 争乱のカダルを安全に脱出するのに時間がかかり、もう四日が経っているそうだ。シージャ南端からは船を使ったというのに。


「迷惑な兄弟喧嘩だな。ウチを探ってたのはその関係か。どっちだったんだろう」

「弟だ」


 エンラが呟いた問いに、スサはあっさり答える。クチサキの力など必要とするのは、現状をひっくり返したい者の方だからだ。

 まあそうだろうな、と町長がため息をつく。彼はツキハヤの一族に連なる者ではあるが、事なかれ主義でのんびりと町を管理してきた、平時に生きる男だった。最近町も島も騒がしくてかなわない、と家ではよくぼやいている。


「北の町を押さえている男か。ならばパバイの御クチサキに仕掛けてきたりするかな」

「そう思っておく方がいい」


 不安げな町長に、スサが嫌なことを受け合う。この無愛想な手練れのことも、町長は苦手だった。物騒な事はごめんなのだ。


「穏やかに済まないものかねえ」

「穏やかに話されてもカイナさんが応じられるわけもなし。ならば実力行使でしょう」


 やきもきする町長にエンラの物言いは無慈悲だった。


「パバイの事はこちらでやる。パジで変事があれば報告を」


 ボソリとスサに言われて、町長は胸を撫で下ろした。

 近郊の村のことなれば、民が無事でなければ困る。だが、凡庸な自分にできる事はわきまえているつもりだった。




 南のカダルで勃発した反乱と、その首謀者が祖母カイナを狙う可能性についてカナシャ達家族にも伝えられた。伯父一家の危機とあってカナシャは不安そうにしたが、エンラになだめられる。


「こっちから人をやるし、村の漁師達の腕っぷしは信用できる。心配するな」

「エンラさんも行くの?」

「ああ。何かあったら早馬で報せる」


 何もないに越した事はないが、どうなるかわからない。テイネやリーファも眉をひそめて話を聞いていた。クチサキを探していた弟とやらがさっさと負ければ万々歳なのだが。

 それでも向こうが少人数でしか動けないのが確定しているのはありがたい。ここがカダルに近い場所ならば戦支度まで必要になるところだった。実際に南端のエダの町では警戒を強めており、ものものしく不穏な空気に包まれつつある。


「おまえが狙われないとは限らないんだからな?」


 祖母の身を案じるばかりのカナシャにオウリは釘を刺した。カナシャにも怪しい接触はあったのだ。小娘ぶりに失望されたかもしれないが、本物はこっちなのである。エンラもうなずいた。


「町の中だから派手なことはできないだろうが、一人にならないようにしてくれ。まあスサはパジに残るし、町長も見回りを増やすと言ってるから」

「ありがたい。俺も警戒するが、働かないわけにもいかなくてさ」


 日中スサがついていてくれれば安心だ。商会や倉庫には連れて歩けないのだから。だがそう聞いてカナシャは疑問に思った。


「え……じゃあ夜は」

「俺を泊まり込ませてくれ」

「はあ?」


 カナシャはうろたえたが、オウリは真面目だ。


「この板間でいいから。というか出入口にいられてちょうどいいんで、ここで寝かせてください」


 家主であるテイネに頭を下げる。今も集まっているここは、普段食事したり手仕事をしたりしている、土間に面した板間だ。ここなら外の気配にもすぐ気づけるからというのだ。


「あらあ、でも寒くない? ちゃんと眠らないと身体にさわるわよ」


 リーファが気になるのはそこか、とテイネは目をつむった。まあ近所も公認の婿なのだから今さらうるさいことを言う気はないが。

 両親の許可があっさり下りてしまい、カナシャの方が取り残された気分になったのだった。



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