百十 再訪
イハヤの検討の結果、パジに馬がやってきた。町長の館は広くはないが、厩は設置されているのだ。そこを拠点に連絡業務を担うのは、馬の扱いに長けたエンラだった。
「よう」
カフラン商会に挨拶に来て、エンラが事の成り行きを教える。カイナの身に騒ぎが飛び火したとなってオウリは肩身の狭い思いだった。婿としては、なんとなく。
「パバイ村に人を置くのは目立つんで、こっちに数人詰める。入れ替わりで警戒に通うが村の漁師達に話を通してあるから何かあれば戦ってくれるぞ」
「……彼らも気が荒いから頼りにはなるけど。迷惑かけちまうなあ」
村の者を守るためだから他人事ではない、と言ってくれているそうだ。とはいえ、戦いに巻き込むのは申し訳ない。カナシャのせいで、という気持ちはぬぐえないのだった。
「うじうじすんな。なんなら馬に乗るか? 牧がないから近くを走らせようと思ってるんだ。街道から外れた場所、教えろよ」
必要のない時でも馬を閉じ込めてはおけない。外に連れ出してやりたいのだが、旅人の目のない所がいいのだった。
カダルの何者が噛んだ動きなのかが判然としないので、こちらが対応しているとは気取られずに泳がせておきたい。横で話を聞いていたカフランが、落ち着かないなあ、とぼやいた。
また何かと騒がしくなってきて、カナシャの身が気になるところだ。そうなるとオウリは遠出することもなく、倉庫業務にまわされることになるのだった。
そんな中、ふらりとルギがオウリを訪ねてきた。今回は冬なこともあり、腕と脚が剥き出しではない。大ぶりの山刀も方衣に隠れていて、弓以外はあまり目立たないいで立ちではあった。
だが決定的に人目を引く連れがいる。また、猿だ。
「――おまえ」
肩には乗らずに自分で歩いて商会に入ってきた猿は、オウリを見るとキキッと嬉しそうにして飛びついた。慌てて抱きとめたが、重い。大人ではないが、少年ぐらいだろうか。
しかしこの懐き方、してみるとあれか、あの子猿が育ってこうなっているのか。
「大きくなったなあ。もう森に帰したかと思ったぞ。なんで連れてるんだ」
「……何故だか、離れん」
無表情なルギだが、微妙にきまり悪そうだ。おそらくルギの方だって情が移っているのだろう。冷酷に山に追いやる気になれないだけなのだ。
「まあこいつはおいといて、何しに来た?」
「――挨拶まわりだ」
族長選びの騒ぎで世話になった人々、そして今後の友誼を結びたい他部族の有力者などに顔をつないでいるらしい。まだ身軽な今のうちだからと思い立ったそうだ。といってもサイカとシージャぐらいしか回れないが。
「アニはまだ、それどころじゃないな。だがカダルはどうした」
「言葉が微妙だからな。通訳を伴っていずれ正式に訪問する」
代替わりすると通告はしたのだ。ついでにフーシの町の米取引の件をやんわり抗議してもみた。その反応は非常に真っ当だった。調査し、処罰するというマカトの言葉を引き出したのは大きい。
「カダルの中は、一枚ではないな」
「不満が出ていると?」
戦闘に長けるカツァリ族といえど、情報をないがしろにしてはいなかった。最近交流が増えたこともありカダル民衆の声も聞こえてくる。
基本的にマカトの評判は良い。掬い上げられて仕事を増やしている商人も多いし、災害にあっても飢える者はあまり出さずに乗りきった。だが、だ。
「昔良い目を見た者はな」
「あー、おまえの所ののさばってた長老みたいな連中な」
「うちじゃない、ティスタだ」
「ケルタじゃないが、カツァリの内だろ。次期族長よ」
氏族単位で考えるルギの癖をからかって、オウリはニヤニヤした。ルギが鼻に皺を寄せる。しかしオウリは、あ、と戸の外を気にした。
「来たな」
「なんだ」
ルギが不審そうになるのと同時にバン、と商会に飛び込んできたのはカナシャだ。キラキラと瞳を輝かせている。キャキャッと猿が喜びの声で迎えた。
「わあ! 大きくなったのね」
カナシャはルギではなく、まず猿に挨拶した。というか猿に会いに来たのだろう。オウリの気配から感じたのか、それとも猿そのものが町に来たのを感じ取ったのか。
だがルギは、カナシャがそういう者だとは知らない。ひどく怪訝な顔をした。
「奥方は、何故こいつが来ていると知ったのだ」
オウリはしまったなと思ったが、表情は変えなかった。するとカナシャがケロリと言う。
「猿を連れた人が歩いてるって、みんながびっくりしてたの。そんなの、この子とルギさんぐらいしか思いつかない」
「う、うむ。面目ない」
なるほど。オウリまで納得させられた。もしかして猿を感じたわけではなく、本当にそうなのだろうか。一瞬そう思ったが、カナシャがオウリと視線を合わせ得意げな目で笑った。それで方便を言っただけだと理解する。こいつ、いつの間にこんな。
「立派な若猿になったね。で、なんて名前をもらったの?」
カナシャはあくまで猿に話しかける。猿の方がまた、ウキャ、キャキャ、と首を傾げてみせたりするのだ。完全に会話が成立して見える。
「え、もらってないの?」
……うん、成立してるな。
オウリは呆れたが、ルギにも確認した。
「名無しか?」
「――猿、で問題ない」
「まだそんなこと言ってるのか」
こっちも呆れたものだ。さすがに可哀想になって猿の頭をワシワシ撫でてやると、キュキュ、と返事をする。そのうちこいつが人の言葉をしゃべるようになるかな、と思えた。
「んー、じゃあハルって呼んじゃおうか」
カナシャが言い出してオウリは目が点になる。それはあんまりじゃないか。
「それ、自分の子にどうかって言ってた名だろ」
「子どもにもつければ。おそろいで」
「なんでルギの猿とおそろいにするんだよ」
言い合う二人を見て、ルギは呟いた。
「おめでただったか」
「――違う!」
振り向いたオウリが強く否定した。そんな誤解をされかねない会話だったとそこでやっと気づいて、カナシャは真っ赤になる。
すると騒いでいたからだろうか、奥からフニャフニャとグズる声が聞こえた。
「……ファイが起きたじゃないか」
お昼寝中のファイは、普段からざわつく商会にいるので少々の話し声などものともしない。だが今日は聞き慣れない声がしたからか、敏感にグズり出してしまった。カフランが抱き上げて連れてくる。
「ほらファイ、お猿さんだぞー」
初めて見る猿に、ファイは泣くのをやめた。目がまん丸になって見入っている。さらにそれを、ルギがまじまじと見た。
「……猿を連れ込んだ身で言うのも何だが、何故赤子がいる?」
「あー。うちも、いろいろあるのさ」
カフランは力なく、あはは、と笑った。
猿と赤子は互いに見つめ合っていた。それを眺めてふむ、と唇を引き結んだルギはひとつうなずく。
「いろいろあるかもしれんが、こいつらは一目で通じ合えたようだな」
そうなのか。オウリは首をひねったが、カナシャはニコニコとうなずいた。
その後タオを訪ねたルギは、悠々と猿を連れてツキハヤに面会したらしい。うっそりと無口なカツァリ次期族長を、シージャの曲者我が儘オヤジはニヤリと迎えたそうだ。
どうやらそちらも、通じ合えたようだった。
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