百五 おまえ


 カダル最大の町バイヤ。そこに建つ族長の館の一室に、ナルカは呼び出されていた。目の前にいるのは彼の母親違いの兄にあたるマカト。カダルの若き族長だ。


「カツァリから使者があってな。新しい年に長の代替わりをするそうだ」


 マカトは明るく力に満ちた視線を弟に向ける。その真っ直ぐな眼差しが、ナルカはあまり好きではなかった。


「そうですか。新年明けると同時に?」

「いや、まだ決まったばかりだそうだ。あそこは氏族総掛かりで引き継ぐから……春か夏か秋か」


 笑いながら繰り延べていく。細かなことは未決ながら、ひとまず報せたということらしい。隣り合い、関係の深い二部族だから配慮したものだが、それだけでもなかった。


「おまえには北の町をいくつか任せてあるが」


 マカトは弟を力強く見つめた。兄とはいえ年は一つしか違わない。しかし妾腹の、しかもシージャ族出身の女が産んだナルカの立場は幼い頃から微妙で、嫡子であるマカトはそれをいつも庇ってきた。シージャに近い北の町々を束ねさせているのもその表れだ。

 ナルカはシージャの言葉を解し、面差しも母に似る。直にシージャ南部の人々と接しても親しみを持たれるだろうと期待してのことだった。


「はい。シージャ側とは大過なく」


 ナルカは無表情に答えた。

 今あちらと事を構えてはならないのだ。穏やかにあしらいつつ、地震を先読みしたというクチサキの存在を探らなければ。ナルカ個人の足元を固めるために、その力が必要になるかもしれなかった。そしてカダル全体に影響力を強めていきたいというのがナルカの展望だった。


「シージャではなく。カツァリとフーシの町の取引に関して、あちらのウフト殿から苦言を呈された」


 やや細めた目で見られて、ナルカは舌打ちしたくなった。米の一件か。

 地震で収量が減るのを口実に高値を吹っ掛けたら取引を切られたと聞いてナルカは激怒したのだ。相手が商売にうといと思って舐めてかかるからだと叱責したが、当のフーシの商会にしてみれば金が必要だというナルカの要求のせいだとの思いがある。

 じわじわと、金を作らなければならない。武器を集め、人を使うには先立つものがいるのだ。


「あの件では私も呆れました。米の値が上がったのは本当ですが、商売には信頼関係がなければならぬとキツく申しつけておきましたので」

「カツァリも本気で抗議してきたわけではない。個々の商いを縛ることはしないが公正を望むと。やんわり、な」


 キレさせると面倒な相手だし、と肩をすくめるマカトにナルカも苦笑いして同調してみせた。今はこの兄に従うしかないのだ。

 今は。だが、いつか。





 仕事の区切りがついたフクラは、ん、と伸びをして家を出た。わりと根を詰めてしまった。

 外の空気はキリリとしていた。冬が来たのだな、と肌に感じて心が引き締まる。少し忙しいのも新年を迎えるにあたっての支度のせいなので、わかってはいるのだが。


 暮れには御杜オムイで一年の感謝を捧げる祀りがある。そして年明けには新しい年の無事を祈る神事も。

 その時には七歳になった子どもらに晴れ着を着せ、お詣りさせる習わしがあった。島の神に引き合わせ、島の民として加護をいただくのだ。サヤの弟のチグがその歳にあたるので、晴れの方衣ホンイはフクラが仕立てている。

 他にも晴れの日の外出で肩に掛ける飾り領巾ひれも何枚か請け負った。仕事が舞い込むのは有りがたいことだった。


 昼をずいぶん過ぎて、小腹がすいた。フクラは母の屋台に行こうか途中で蒸かし芋でも買うか、と考えながら歩き出す。すると向こうからシンがブラブラ歩いて来るのが見えた。

 シンもこちらに気づいたのがわかった。軽く顎を上げたのだ。それが挨拶なのか何なのか、上げるならせめて手にしなさいよと思うがフクラも口にはしない。そんなところはどっこいの二人だった。


「こんにちは、シンさん。またどこかに行ってたの? しばらく見なかったけど」

「おう」


 近づいて立ち止まっても、シンはぶっきらぼうだ。フクラも最初は変な人だと思ったが、もう慣れてしまっていた。

 いつもこんなだが、本当に機嫌が悪いわけでも怒っているのでもないと知っている。だから平然と話しかけるのだった。


「私も新年用の仕事があって忙しいのよね」

「……それで顔出さねえのか」


 ぼそりと言われた。確かに商会には何日も行っていないが、用事もなしに訪れはしない。カナシャでもないのだし。


「何かあった?」

「別に」


 他所を向いて言われて、フクラは首を傾げた。この人、たまにハッキリしない。


「じゃあ、また」


 すれ違おうとしたのだが、シンは並んで歩き出した。


「どこ行くんだ」

「母さんの屋台、かな。少しお腹すいたし、ついでに夜ご飯も買っておこうかと。屋台の残り物だといつも同じになるから、他所で」

「ふん」


 シンはついて来るのに、ろくにしゃべらないのだった。別にいいんだけど、と黙って歩いていると、フラリと離れていく。何かと思えば道端で売っていたミカンを買って突きつけてきた。


「ん」

「……くれるの?」

「ん」


 フクラはありがとう、と受け取った。本当にわからない人だと少し笑ってしまう。そのフクラを眉を寄せて睨むようにするが、腹を立てているのではないのだ。だがさすがにフクラも注意してみた。


「睨まないでよ」

「……にらんでねえ」

「じゃあ、何?」

「なんでも、ねえよ」


 珍しく弱気な言い方に首を傾げる。また具合でも悪いのかと近づいて下から顔を覗いてみた。シンがブスッと目を逸らそうとするところを、フクラは回り込んだ。


「もう。何よ?」

「……おまえ、やっぱり」


 シンはうろたえるように鼻を鳴らした。


「やっぱり、いい匂いだ」


 唐突に何を言うのかとフクラは目を見開いた。

 シンにそう言われたのは、あの瘧に罹った時だった。必死で支えて歩いている時の譫言のようなものだった。そう思っていたのに。


「……蚊よけはつけてないわよ」

「そんなんじゃねえ。おまえだよ」


 シンはグイと屈んでフクラに顔を寄せた。


「――ほら。おまえだ」


 息がとまるような気がして、フクラは顔をそむけようとした。でも動けなかった。仕方なく、小声で抗議した。


「――何よ」


 言葉が震える。それに気づいてチラリとしたシンと至近で目が重なった。

 視線はしばらくそのまま絡まっていた。そうして二人動けなくなっていた目を、シンは無理やり外す。


「わりィ」


 喉が詰まったように呟くと、シンはプイと足早に離れていった。取り残されて、フクラは大きく息を吸った。やっと呼吸できる。

 手の中には、もらったミカンがあった。

 それをふと爪で傷つけてみると、蚊よけに似たかぐわしさが弾けた。どうしてか泣きそうになった。

 何なのよ、シンさん。

 こうも胸がざわつくことなど、これまでなかった。フクラはもう一度大きく息を吸って、長く長く、吐ききったのだった。


 そうして立ち尽くすフクラのことを、遠くから見ている者がいる。縦にも横にも大きな体躯。フルフルと震える腕。

 カフランをはじめとする商会の誰もが怒らせたくないと怯えるその男は、ツォウ。

 フクラの父だった。



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