第八章 霞む冬空
百 商会の子
オウリは月の末で二十一歳になったそうだ。また二人の間が七歳差になってしまって心がざわつく。
どう足掻いたところで年の差が埋まるものではないとカナシャにだってわかってはいるけれど。だからカナシャはカナシャのままで、オウリに相応しくなりたいと思う。
オウリがカツァリへ向かって半月以上会えない間、カナシャは試行錯誤していた。
誕生日に何か贈りたいと思ったが、買い求めるにしてもオウリにぴったりな物が思いあたらないし金もない。ないない尽くしのカナシャは、ならばと手掛けた刺繍を隠してため息をついた。
刺し始めたけど、終わらないのだ。帯になんてしなければよかった。
もっと小さい物なら間に合ったかもしれないが、どうせならいつも身に着けていられるものがいいと思った。オウリがカナシャに贈った首飾りのように。
オウリは普段、装身具など使わない。だから帯にしてみた。だけど進まない。オウリが帰ってきた時にはすでに
「あのね――何もお祝いできなくて、ごめんなさい」
訪ねてきたオウリと裏庭で二人になって、カナシャは謝った。だが歳を重ねた本人の方は、そんなことも忘れていたようだ。
「そうか、俺の誕生日だったな」
大人になってしまえば、そんなことはどうでもよくなる。今回故郷にも立ち寄ったが親だって何も言わなかった。それよりも孫息子の誕生に大わらわだったから。
「何もいらないって言っただろ。あ――」
タオでその話になった時、確か言ったはずだ。「口づけでもしてもらうか」と。
思いがけずに実現させてしまって、どうにもきまりが悪くなった。オウリのその顔でカナシャも思い出したらしく、さっと顔が赤らむ。その反応にオウリは笑いをこらえた。
「――もう貰ったからいい。なんか勝手に取り立てたみたいになって悪かった」
「取り立てられたわけじゃないけど!」
照れ隠しに怒りながら、カナシャは盥で水に浸した藁を絞った。これは湿して叩いて柔らかくして、細工に使う。もう今年二度目の稲刈りの時期が終わり、新しい藁が手に入るようになった。
一年の収穫に感謝して神楽を奉納する、それが神楽月。
しかし今年後半は地震で田が崩れ収量が減っている。備蓄分があるにはあるが、それで次の夏まで食いつなげるか、オウリはハラハラしていた。
すでに手が及ばずに口減らしがあったと知れたのは、間もなくだった。
パジの町の入り口の、壁の内側に子が捨てられていたのだ。古びた竹籠に、同じく使い古したボロを着せられた子どもが入れられフニャフニャと力なく泣いていた。
見つけたのは、ズミだった。無言で籠を見下ろしていたズミは、ヒョイと籠ごと抱え上げる。そして商会に持ってきて言ったのだ。
「これ、カフランさんにあげる」
トンと土間に下ろされた籠を覗いて、さすがのカフランも絶句した。あげる、じゃないだろうが。
「――どこで、もらった?」
「落ちてた」
ようやく絞り出した疑問に事もなげに答えて、ズミは前髪の下でニッコリした。
「……そうかあ、落ちてたかあ」
いろいろな意味でカフランの顔はひきつった。こんなものを拾って平然としているズミにも呆れ返るし、子どもを捨てるほど困窮する親がもう出たか、と暗澹とした。
ぼろ布をまとった赤子は痩せている。だが清潔に世話されていて、病でもなさそうだ。
町の内側に置いていったのを考えても、子を死なせたくなかったのだろう。もしかしたら拾い手が現れるのを遠くから見守っていたのかもしれない。食い扶持を減らさなければ家族が保たない、というところか。
こんなに小さな子なら今はそう食べるわけでもないが、乳をやりきれなくなったのか。母親が食えなければ、乳は出ない。幼子のうちは薄い粥でしのいでも、すぐに子は育つ。育てきれずに死なせるぐらいなら、赤子のまま里親の元にいけば情も湧くと期待してのことなのだろう。
「――僕は、子を育てたことはないんだよ。もらっても困る」
カフランは珍しく切ない目で呟いた。
「じゃあ商会の子にすればいいよ。子どもなんてさ、寄ってたかって面倒みれば適当に育つんだから。僕みたいにね」
「おまえ……」
薄い笑いを浮かべて言うズミに、カフランは言い返せなかった。ズミ自身、タオの娼館で産み落とされ、それこそ寄ってたかって育てられた子だったから。
娼婦や亭主、そして客たちの間にいて、綺麗すぎる男児だったズミに何があったかなど訊けない。それに比べれば、この商会で育つ子はまだ幸せかとも思った。
「――まったく。ウチの奥さんに訊いてみるけどな。こんなに言いにくいことも、なかなかないんだぞ?」
子のできなかったカフラン夫婦には、昔それなりの葛藤があったのだ。カフランの目は、少し遠くを見ているようだった。
そうして赤子が一人、商会で育てられることになった。男の子だ。
カフランの妻タリも面白がって手を貸してくれるが、基本的には「ズミさんが育てればいいじゃない」だそうだ。拾った本人なのだし、そうすることでズミが変わるかもしれないとも言われカフランは納得した。
若いくせに冷ややかな視線。皮肉な笑顔。生きることに何も期待していないかのように振る舞うズミが、これから人となる生き物を拾ってきたのだ。
「じゃあねえ――この子は、ファイ」
名づけを任されて、ズミは言った。
「またとらえどころのない……」
「僕が育てるなら、そんなもんでしょ」
ヘラヘラといなすが、赤子に責任を持つ気があるらしい。このファイと一緒に、ズミもまた人らしくなっていけばいいのだが、とカフランは思った。
ズミはもちろん乳はやれない。それに赤子がいる商会員の妻に頼んで含ませてみたが、飲まなかったのだ。乳が嫌いなのか、母のものと違うのを受け付けないのか。
柔らかく煮つぶした食べ物を与えるしかない、となってカフランは小猿を思い出した。ルギが連れていた小猿。
カナシャが母猿のごとく食べさせ、毛づくろいされていた姿が脳裏によみがえる。子育て経験者らの知恵を借りながら食事を用意し、匙で口に運び、水を飲ませとやってみればカフランも親猿のような気になってきた。
這いずったり掴まり立ちしようとするファイが危なっかしく、腰縄を柱にくくって商会で遊ばせておくと、誰かしらが暇を見つけてはかまいにくる。
「全員が親猿だな……」
なるほど寄ってたかって育てるとはこういうことなのか、とカフランはうなずいた。
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