百一 カダルの商人


 商会の養い子の件を聞いて、すぐに見に来たのがカナシャだ。

 元来の子ども好きもあって嬉しそうにファイを抱き上げ、あやす。抱かれる方もその腕にすんなり馴染み、アウアウと何ごとか言葉を発していた。


「そうなのー、いい子だねえ」


 こねくりまわすカナシャと、でろでろヨダレを垂らしながら笑うファイ。どんな意志疎通が行われているのか、見守るオウリには理解不能だった。


「フクラも抱っこしてみなよ」

「……うん」


 仕事があって訪れていたフクラも子守りに巻き込まれていた。淡々と何でもこなす印象のあるフクラだが、実は幼子には慣れていない。末っ子だし、近所の子どもの世話はいつもカナシャが率先してやっていて手出し無用だったのだ。

 それでもヒョイと抱き取ってお尻をポンポンすると、ファイは手をジタバタさせて喜んだ。


「……女ってなスゲえな」


 フラリと出てきたシンが呟いた。

 ファイが来てすぐ、ほれ、とカフランから渡されてシンも抱いてみたのだが、どうにも赤子が腕に馴染まない。居心地が悪いのかファイもグズってしまった。商会の男達の半数はそんな風だった。子どもの頃には子守りをさせられた者も多いはずなのに、何が違うのだろう。


「シンさんも抱っこしてみたら?」


 聞きつけたフクラがファイを抱えて寄ってきた。シンは顔をしかめて威嚇する。


「いらねえ」

「いいから。はい」


 おっかなびっくり受け取るシンに、ファイはへの字口になった。


「ほら、こいつも嫌がるだろ」

「そんなことない。もっとギュッてしてあげると安心するの」

「潰すぞ」

「意外と丈夫なものよ?」


 手を添える勢いでシンに赤子の抱き方を教えるフクラだって初心者なのだが。それでもシンが何となく様になってきて、ファイもグズらない。オウリは少し悔しくて、今度自分も挑戦しようと心に決めた。

 シンに抱かれて落ち着いているファイをのぞき込んで、フクラは満足そうだ。すぐ胸の前にいるフクラに、シンはふと妙な顔をした。


「おまえ……」


 言いさして黙る。何よ、とフクラは目を上げた。


「……何でもねえ」


 ブスッとしたシンは、ファイをフクラに渡すと無言で出ていった。見ていたカナシャの方が傷ついた顔になる。


「なあに? 何か気にさわったのかなあ」

「……まあシンさんだから、あんなものよ」


 小さく肩をすくめるだけで終わらせるフクラの達観ぶりにオウリは驚いた。シンと話しているのは時々見かけるが、何とも微妙な距離感なのだった。

 双方近づかないが嫌っているようでもない。居合わせればまあまあ話す。人情の機微にうといオウリには難しい間柄だった。当人達がそれでいいなら、オウリやカナシャが口を出す筋合いでもなかったが。


「ねえ、ファイって名前は誰がつけたの?」

「ズミだ」


 カナシャに訊かれて答えたオウリだが、いい名だと思っている。ズミらしいと思う。何にこだわることなく自由に生きればいいんだよ、とうそぶいていたのは本気だろう。赤子の行く末を考えてやるような情緒があの男にあるのには面食らったが。


「カナシャなら、どんな名前にするの?」

「えー?」


 珍しく笑いを含んだ声でフクラが言った。

 カナシャが名づける子といえば、将来的にオウリとの間に授かる赤ん坊のことなのだから照れてもいいのだ。なのにこのネンネなカナシャは気づかずに普通に考え始める。気まずいのはオウリだけ、という嫌な流れだ。


「そうねえ、太陽ハルとか?」

ファイと仲良しになりそう」


 女子二人が言い合うのを、オウリは苦笑いで聞いていた。

 太陽の根の島ハリラムの巫女であるカナシャの子なら、ハルでぴったりだと思う。でも自分の子として相応しいかどうかは自信がなかった。

 上っ面を取り繕って生きてきた自分。カナシャと出会って少しは変わったと思うが、真っ直ぐに人々を照らし恵みをもたらす太陽の親になるには、まだ不足な気がした。





 ある日、クチサキとしてのカナシャに来客があった。旅の商人が失くし物をして困っていると近所のお婆さんが案内してきたのだ。


「はーい、みますよ。ちょっと待って下さいね」


 藁鞋を編んでいたカナシャはパタパタと香を準備する。本当はそんなもの必要ないのだが、クチサキのように手順を踏むことにしているのだった。オウリやイハヤからの入れ知恵だ。

 年端もいかぬ、元気でお転婆な少女。神秘性の欠片もない。この素のカナシャを見てクチサキと思う者は少ないだろう。今日の客も半信半疑だった。

 失くした物、最後に見た場所と時間、その後どう行動したか。そんなことを聞けば適当なことは言えてしまう。でもカナシャは焚かれた香の煙にゆらゆら揺れながら首を振った。何も見えない。


「探している物……わたしにはわからないです。ごめんなさい」


 目を開けたカナシャに告げられて、客は表情を硬くした。やっと声を絞り出す。


「そう、ですか」

「もう、ないのかも――大切な物なんですよね。お気の毒ですけど」


 失せ物は財布ということだった。カナシャは中身よりその色や大きさや刺繍の模様を聞いて探したのだが、影も形も見当たらない。拾った誰かが金だけ取って、財布そのものは燃やしでもしたのではと思った。客は肩を落としつつ、見料はいくらかと尋ねた。


「でも、お財布落としたんですよね?」

「落としたのは路銀用のもので、商売用の金は別にありますから」


 小さく笑ってみせる客から、それならと十ジンばかり受け取る。何だか申し訳ない気がしたが、そういうのはキチンとしなきゃ駄目だとオウリから言われていた。信憑性の問題、だそうだ。よくわからない。


「ずいぶん若い御クチサキですが、ここらで弟子入りできるような先達がいるのですか」


 客に訊かれて、師匠がいるならそちらも訪ねてみたいのかとカナシャは思った。結果が悪かったのだから、そうしたくもなるだろう。


「わたしの祖母がなので。でもパジにはいないんです。村から出たくないって言うんですよね」

「それはそれは。育った村はいいものですから。山ですか、海ですか?」

「海辺です。すぐ近く。たまにわたしも祖母の所で修行させられます」


 カナシャの答えに客は微笑んだ。


「それは孝行ですよ、行ってあげるのがいい。近いのなら――パバイか、カジュか」

「パバイです。わたしでも歩いて行けますよ」


 ではお祖母さんを大切に、と客は辞した。


 道を歩き始めてスウ、と男の表情が変わった。あの娘は本物だ。そう納得したのだった。

 落とした財布などハナからない。存在しないものがわかるはずはないのだ。イカサマならば正直に見えないと告げたりせずに誤魔化すだろう。


 この男はシージャで地震を予言したというクチサキを探しているのだった。

 だがカナシャは、いかにも若過ぎる。まだ小娘じゃないか。ならば真実の実力者はその祖母なのだろうか。

 次期族長であるイハヤがこの辺りを訪問したのは確かだが、つまりただの連絡所として使っているのかと男は推測した。パバイは小さな村だ、イハヤが行き来すれば目立つ。


 地震を予言した巫女に正しくたどり着いたこの男。だがカナシャはあまりになかった。正解なのに、そこを通り過ぎて迷走しようとするのも仕方ないことだった。



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