七十六 弓をひく姿


 オウリと並んで牧へ向かうカナシャは、わりと元気そうだ。月のものと当たり前にいうが、人によっては腹痛や頭痛、吐き気に眩暈、寝込むこともあり千差万別だというから男としては困惑するのだ。

 それがないと子を成せないとはいえ難儀そうで、腹の内に出すだけの身としては申し訳ない。子は欲しくても、愛しい者の苦しむ姿は見たくなかった。


 自分が弓を引く姿などで気がまぎれるなら見ていてくれてかまわないのだが、カナシャはどの辺が格好いいと思うのだろう。自分が見目の悪い方だとは思わないが、カナシャの好みがわからなかった。

 だがそれを意識して格好つけてしまうとキサナのようになるのだな、と思いついて、オウリは苦笑した。自然体でいくしかない。


「お、カナシャちゃんもやるのかい」


 待っていたクリョウが手を振って迎える。これぐらいなら引けるのかな、と一番小さな弓をカナシャに差し出した。


「いや、見に来ただけだ」


 オウリは弓をクリョウから取り上げながら言う。触ってみるか、と弓を見せてもカナシャは一歩下がった。


「わたしはいい」


 やはり本調子ではないのだろう。普段なら一、二射はやってみると思う。辛かったら休みに行けよ、とささやいてから、オウリはクリョウに向き直った。


「で、おまえは弓で何したいんだよ」

「なに、て」

「狩りなのか、戦なのか。どこで使うのかでも弓の選び方が変わるぞ」


 鬱蒼とした森でウサギを狩るのなら大きな弓は邪魔だ。戦場であってもどう運用するかで必要な技術が違う。

 クリョウは、あるいはツキハヤかイハヤか知らないがクリョウに弓を覚えさせたい者は、何を目論んでいるのだろう。オウリは人の悪い笑顔になった。


「あー、そうだな。主に広い所で遠くに使うかな。あとできれば続けて射かけられるようになりたいが」

「物騒だな」


 二人でニヤリとする。はっきり言わないのはオウリが一般の商人だということへの配慮なのだろう。だが戦に使えるようになりたいと言っているも同然だ。

 深くは追及しないが、まあそんなもんだろう。オウリは肩までの弓を選んだ。周りに人がいても扱える大きさで、射程も出る。

 木に竹を貼り合わせて威力と耐久性を上げた弓だ。クリョウは試しに射ると、すんなりと遠くまで矢を届けた。まったく使ったことがないわけではないのだった。あとはどれほど正確に狙う必要があるかという戦術面での運用と、安定して射る習熟にかかってくる。

 相手を射抜くならば的を用意してじっくり狙う稽古がいい。遠矢だと射続けるうちに弓がへたって矢が低くなることもあるが、そんな時には弦のはず掛け位置を低くして上に飛ばせば距離が出る。矢継ぎを早くするためにはつがえる時に手を捻って筈を弦に嵌めろ。

 そんなことをそれこそ矢継ぎ早に口にしながらオウリは数矢続けて射てみせた。


「痛ッ」


 真似をするクリョウの弦が、射放した後に左腕を打った。オウリは弓を引いたクリョウの腕の高さや肩の開きを少し直した。


「この位置。これで力まずに射てみろよ」


 シャンッ!

 いい弦音がして今度は綺麗に射られた。クリョウが真剣な顔でじっと佇んでいるのは今の感覚を身体に叩き込んでいるのだろう。

 そのうちにグッと顔を上げ、残りの矢を続けざまに射た。ゆっくりと丁寧にではあるが、すべて真っ直ぐに飛び、同じ辺りに落ちる。いい感覚を持っているようだ。

 得意げなクリョウの肩を叩きつつ矢を拾いに行く二人を眺めながら、カナシャはニマニマと頬がゆるんで仕方なかった。


 自分を甘やかしてくれる優しいオウリも好きだが、こうして何かに真面目に取り組む姿はとても素敵だと思う。

 スッと矢を番える所作。弦を引く腕。静かに開く背中。どれも格好よすぎてずっと見ていたい。こんな人が自分のホダシで本当によかった。

 ホダシとは不思議なもので、カナシャにとっては少し苦手に感じるツキハヤも、クシャといるとまったく違って柔らかくなる。

 常に妻を気にかけている様子がオウリのカナシャを見る目と重なって、カナシャは照れくさく感じたものだ。周囲から自分達はこんなふうに見えているのだろうか。


 だがカナシャはいつまでもこうしてはいられなかった。気をつけないと、借りた服で粗相をするわけにはいかない。そっと引っ込んだら、中庭でエンラに行き会った。


「あれ、オウリは?」

「まだ牧で、クリョウさんと弓の稽古です」

「そうか、ありがとう」


 急いで行くのを見送ってどうしたのかと思っていたが、部屋に戻ってしばらくすると理由がわかった。オウリが困り顔でカナシャの部屋の戸を叩いたのだ。


「パジに俺の客が来てるんだってさ。わざわざ知らせてきたよ」


 オウリ達もそんなに長逗留する予定ではないが、帰りがはっきりしないのでカフランも弱ったそうだ。つまり支障がなければ帰ってこいとの連絡なのである。


「シンの船を使えば半日で知らせに来れるからな」


 だがそのために四人の人員を割いているのだ。このままセンカに向かうというし諸々のついでではあろうが、人手に余裕のない昨今にあって余程の客なのかとカナシャも驚いた。


「そのお客さまって、大事な人なのね」

「大事というか……」


 オウリの歯切れが悪かった。

 シージャの人々からすると、やや恐ろしく扱いに困る人物かもしれない。それで助けを呼んだのが真相だろう。


「カツァリ族の鳥射ち、ルギが来たらしい」

「えっと……弓が上手い人?」


 オウリはうなずいた。

 噂をすれば影とはまさにこのことだ。

 最後に会ってから九ヶ月は経つと思ったが、話題にしたとたんに消息が聞こえてくるとはどうしたことだ。というか、パジまで訪ねてくるなんて何があったのだろうと、オウリは不審に思った。

 こうなるとパジに帰らないわけにもいかないが、カナシャの具合もある。それは困り顔にもなるのだった。




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