七十 二人で歩くために


 日暮れの迫る町を歩くカナシャは嬉しそうに見えた。

 手を差し出せばはにかみながら大人しく手を預け、人混みを縫う時には身体をぴったり寄せてくる。視線を落とせば気づいてこちらを見上げ、ほんのり笑う。


 どう見てもオウリへの好意に溢れていて、これで彼女から隔意を感じるなどと言ったら世のモテない男達から殺意を向けられるのは必定だろう。

 だがこの真っ直ぐな情を見せてくれるのは、知る人のない雑踏にいるからだ。館にいる時にカナシャから感じるのは全幅の信頼であって、恋や愛ではなかった。


 カナシャ自身も、自分のそういう振る舞いに気づいている。

 シラ達の前でオウリに甘えるのは恥ずかしいし、そんなことをするとすぐさま「さっさと結婚すれば」と言われるので困るのだ。

 だからといって二人だけの空間でそんな甘い雰囲気になると、どこまでどうなってしまうのかわからなくて怖い。


 オウリに触れられるのも、額や鼻に口づけられるのも嫌ではなかった。胸がざわざわと締めつけられるが、それすら心地よい。

 でもそんなふうに思っていていいのか、判断がつかなくて二人きりになるのを避けてしまっていた。


 オウリの寝台で眠ってしまった日、大切に大切に腕の中にしまわれていたような気がする。迷って悲しかった心がすっかり晴れて目覚めたが、でもあれはやってはならない事だった。

 両親の信頼を裏切る行為だし、オウリの評判を落とす結果にもなる。何より淑女としてはあり得ない。

 あの後すぐに少年のような格好ができたのはちょうどよかった。いつもより男の子っぽく振る舞って、恋人というよりは家族のように接する。

 オウリほど信じられる人は世界に他にいないが、今は甘く寄り添うのはためらわれた。


 だがカナシャだってもう、オウリに抱きしめられる心地よさを知っているのだ。

 髪を撫でられ梳かれ、頬を寄せられる。愛されていると感じ満たされたい、と無意識に願っていたので、少女の姿に戻って二人並んで歩く、こんな夕暮れはとても嬉しかった。


「ねえオウリ」


 カナシャはオウリの手をキュッと握った。


「なんだ」

「わたしもね、強くなりたいの」


 オウリは吹き出しそうになった。こんなに恋人っぽく歩いている時に言うことか、それ。


「それで体術を習ったのか」

「うーん、まあその一部」


 照れて笑う可愛さと話の内容がそぐわなくておかしい。だがカナシャは大真面目だった。


「サイカに一緒に行こうって言ったから、わたし強くならないと。旅は危ないこともたくさんあるでしょ。それにたくさん歩けるようになって船も平気になったら、オウリの行く所どこでも一緒に行けるよ」


 オウリは言葉を失った。

 ずっと一緒に歩きたいから。そんな想いを不意打ちで吐露されたらオウリだって照れる。

 黙って手を握り直しチラリとカナシャを見ると、真っ直ぐ前を向いていた視線を上げて見返してきた。


 カナシャからオウリへの気持ちは純粋だ。オウリは幸せを感じると同時に自己嫌悪におちいった。

 なんだってこう、自分は欲望まみれなんだろう。年齢や性別によるものか、経験の差か。カナシャをむさぼってしまいたい気持ちはどうにも消し切れない。まだ早いとわかっていても、ふとした瞬間にその衝動と戦わなくてはならなくなるのだった。


「オウリ、何を食べたい?」


 屋台がちらほら出る所まで来て、カナシャが楽しげに訊く。おまえを、とは言わずにオウリは周りを見渡した。


「肉でも食べてみるか?」


 パジでは海の魚ばかり食べていたが、タオは山も近く猪や鹿が獲れる。豚も飼育されているので肉食はそんなに贅沢ではなかった。だがカナシャは魚と豆、せいぜい卵で育っているのでどうかと思ったのだ。


「サイカでは食べるんだもんね」


 せっかくだから珍しい物も食べなくちゃ、とカナシャは乗り気だ。

 それなら、と近くの肉の匂いをたどると若い女が石板の上で鹿肉を焼いているのを見つけた。生きている鹿そのものを見たことがない、とカナシャは言う。


「鹿は油っぽくないから食べやすいんじゃないかな」

「お嬢ちゃん、鹿が初めてなの?」


 屋台の女が聞きつけて声をかけてきた。チャキチャキと働く元気な女だ。焼き上げた肉を竹串にヒョイヒョイ刺していく。


「一串くれ」

「二ジンよ」


 贅沢じゃないといっても卵焼きの倍はした。カナシャは受け取って匂いをかぎ、おそるおそる一口かじった。


「……おいしい」

「あらよかった」


 女がにっこりする。店先で美味しそうに食べてもらうのは何よりの宣伝だ。可愛い少女が肉にかじりついているのは目を引く看板になる。


「タオの人じゃないの? お二人さん」


 話しかけるのは、ここで食べていてほしいのだろう。まあいいか、とカナシャに立ち食いしていてもらった。


「パジから来ていてね。俺は元々はサイカの者だが」

「あら、私もサイカなの。バイハの小さな集落の出身でね。前はパジにもいたわよ」

「へえ」


 サイカから流れてシージャを転々とし屋台を出すとはなかなかにたくましい。

 話していると、半分食べた串焼きをカナシャが差し出してきた。


「もういいのか」


 口に合わなかったかと心配したがカナシャは唇をペロリとした。


「おいしいからオウリも食べて」

「ああら、仲いいわね。ずいぶん若い奥さんだし、新婚なの?」


 最初はお嬢ちゃん、と言っていたのが奥さんに変わった。二人を見ていてそう思われたというのは少しくすぐったい気分だ。

 串焼きを買っている他の客からもヒュウ、と冷やかされて驚いたカナシャがオウリの腕につかまり助けを求める。それでいっそう周囲が沸いた。


「やあだ可愛い。いいなあ、まったくウチの阿呆ときたら私を放り出して。さっさと来いってのよ」


 ぼやいているが楽しそうな女店主に、また喧嘩でもしてんじゃないか、と隣の屋台から軽口が飛んだ。だったらいい加減しばき倒さなくちゃ、と真顔で答えた時、男が必死で走ってきた。


「メイカ! 悪ぃ、仕事が長引いた!」

「何言ってんの、こっちだって仕事なのよ。遅いから一人で店を開けちゃったわ」


 メイカと呼ばれた女は手を止めず、駆けつけた男を睨んだ。

 ―――メイカ?

 バイハの出身で、パジにいたことがある、メイカ。オウリの中で思考がつながった。


「……きみ、ユラさんの妹か?」


 思いがけないことを言われてメイカ達は目を見張った。




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