七十一 アヤルから逃げた女


 駆けつけてきた男は屋台の前に出て、ズイ、とオウリと対峙した。


「なんだおまえ、メイカになんかあんのか」


 いきなりの喧嘩腰に呆気にとられると、その後ろからメイカの怒声が飛んだ。


「客に喧嘩売るんじゃないよ! 引っ込んでな」


 これは間違えたかな、とオウリは迷った。

 しっとり女らしいユラと、このメイカはまったく似ても似つかない。だけどよぅ、とごねる男の後ろでメイカはにっこり笑った。


「お客さん、アヤルの人?」

「……ああ。商会にいて、アラキさんに面倒みてもらってた」


 これが思った通りのメイカなら、そう言えば通じるはずだ。果たしてメイカはパッと顔を明るくした。


「おじさんに?」


 ―――当たりなのか。あのユラが心配する妹なら、か弱い女かと思ったがこれはまた。オウリは肩すかしをくらった気分だった。


「アラキさんて、最初に会ったおじさんだよね」


 カナシャにそっと訊かれてうなずく。それを聞きつけたメイカはまだ胡乱な目をする男に仕事を替わらせて屋台の横に出てきた。


「ごめんなさいね、ちょっと私が面倒なのに狙われてるので神経質なのよ」


 微笑む顔立ちは整っていて、確かに黙っていればユラに似た美人かもしれない。カナシャがしゃべって動くと残念みが増すのと同じようなものか、とオウリはひどいことを思った。


「パジに逃げて、そこからまたタオに移ったって聞いたが」

「アヤルで質の悪いのに惚れられてね」


 ほら私、美人だから、とけらけら笑う。

 けっこう年上のゴロツキに付きまとわれたと言うのは、気の強い少女を従わせるのがいいとかそういう趣味嗜好らしい。

 そのゴロツキに手篭めにされそうになって、同郷のこの男がそいつを叩きのめした。だが少しやり過ぎて恨まれたので二人で逃げ出したそうだ。サイカの中だとすぐ見つかると判断してパジまで行くところが大胆である。


「なんか……すごい」


 そんな修羅場を見たことがないカナシャは呆然と話を聞いていた。オウリが一応注意喚起する。


「ここまでやらかす人達は珍しいからな。おまえの人生が平和すぎるなんて思わなくていい」


 パジではあまり目立たないように、姉と同じく洗濯や繕い物をしていたそうだ。確かにこんな賑やかな娘が屋台にいたらカナシャも見知っているだろう。

 だがタオに来て、開き直ったそうだ。


「これだけの仲間に囲まれて働いてるんだから、そうそう手出しできないでしょ? もう人目のある所にいようって思ったのよ」


 ひっそりと暮らすのが性に合わないだけなのだが、あっけらかんと言うのに周囲から同意の声が上がった。


「おう、メイカちゃんならみんなで助けてやるよ」

「でも俺、ラオの方は放っとくかな」


 わはは、と笑われて肉を焼きながら男が泣き真似をした。


「ひでえよメイカ、このままじゃ俺は殺されちまう」

「そしたらもっといい男を見つけるしかないわね」


 ポンポンと軽口で応えるこの二人はそれなりにいい相棒だと思う。だがオウリは何かが引っ掛かって記憶をたどった。


「……ラオ?」


 男が横目でこちらを睨む。

 ―――そうか、こいつがラオか。オウリの中でまた一つ、出来事がつながった。


「そのゴロツキってのは、いつも檳榔を噛んでる右目の潰れた奴か」

「なんで知ってんだよ」


 ラオが警戒心を丸出しにして、オウリに竹串を突きつけた。オウリも食べ終わった串でそれを押さえる。少しイラッとした。


「おまえの行方を追ってたそいつに、俺が襲われたんだよ」


 苦々しげに吐き捨てた。あれは、こいつのとばっちりだったのだ。


 ユラやアラキと話してすぐパジ方面に旅立ったオウリを、この二人への伝言か援助金でも持っていると邪推したのだろう。アヤルから少し行った所で刃物を突きつけられたと話すとメイカがひどく恐縮した。


「私を助ける時に、あいつの右目を潰して左脚をへし折ったのよ、この人」

「そりゃ追われるだろ。そこまでやったならとどめを刺せよ」


 町中で人を殺せばそれなりに面倒なことにはなるが、この場合は罪に問われずに済むだろう。

 だがそれを聞いてカナシャがハッとした。


「それでその人と、どうなったの」

「……俺が、殺した」


 オウリは静かに白状した。あまりカナシャに血生臭いことは言いたくないのだが。


「あいつ、死んだの?」

「すんませんっした!」


 メイカとラオは同時に叫んだ。そこらを歩いていただけの人まで振り返って少々居心地が悪い。オウリはぼそぼそと言い訳した。


「俺は、商人だから。襲われたりするのはたまにあるからさ」

「それにしたって、危ない目に遭わせたわけで……」


 ああもう、とメイカは串焼きを数本、葉に包んでオウリに押しつけた。


「せめて持ってって。もう追われずにすむってことでしょ、命の恩人じゃない」

「え、なんだメイカちゃんを狙ってた奴、この兄さんが始末したのか」


 そりゃすごい、じゃあウチのも食べてけ、と近隣からわらわらと品物が寄贈され、オウリとカナシャの腕はいっぱいになった。とても食べきれない。

 メイカは付近の屋台店主達の人気者のようだった。これならユラさんも安心だな、と言ったらメイカに笑い飛ばされた。


「姉さんは心配しすぎなの。うじうじ悩んでばっかりで、私の方こそ心配。さっさとおじさんとどうにかならないもんかしらね」

「え? アラキさん? どうにかって」

「姉さんずっとおじさんが好きだから。ねえ、なんとかしてやってくれない?」


 知り合いならさあ、と言われても最近はアヤルにはご無沙汰だ。

 いや、そうじゃなく、ユラがアラキに片想いというのがとにかく衝撃的な情報だった。どうしてそうなった、とオウリはぐるぐる考えていた。



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