六十 家族


 夕陽の満ちる裏庭で洗濯物を腕に抱えるカナシャは穏やかだ。その頬に触れたくなって、オウリは歩み寄る。

 しかしそれより早く、カナシャが少し眉をひそめてオウリに寄り添った。ああ、と肩を抱くと、小さく大地が揺れた。


「大丈夫ってわかってても、なんだか嫌なのよね」

「本当に大丈夫なんだろうな」


 オウリは呆れて笑った。この大地震の後でカナシャが大地の様子を探った時のことを思い出したのだ。カナシャがむくれる。


「平気だって言ってんでしょ」


 もう大きな地震はない、とカナシャは言う。小さい余震は繰り返すが、次第に落ち着いてくるだろう、と。

 それを確かめに意識を潜らせたカナシャは、引き戻された時に喃語なんごと身ぶり手ぶりしか出てこなくなって、赤ん坊のようだったのだ。

 焦ったオウリが両頬をつかむと「いたいっ」と抗議してやっと言葉を発した。

 それからしばらく考え考えして、ようやく伝えたことは畳語と擬音の嵐だった。


「ミシミシ、ピキピキ、キーッだったけど。ぐずぐず、どろどろ、ふにゃふにゃなの」


 そんなことを言われても。

 目が点になったまま天井を見上げて動けないオウリに、カナシャはいらだった。


「だからあ。パシンってガタガタってしたから、もうシュウゥって」

「悪い、いったん落ち着け!」


 ビシッと遮られて黙ったカナシャは深呼吸しながら、我ながらひどい、と後悔した。


 だが実際問題そういう感覚的なものしか感じ取れないのを、いつもカナシャなりに言語化しているのだ。

 今回はそれが普段より大きなうねりとして渦巻いていて、飲み込まれそうになってしまった。

 感じたものを言葉に翻訳しようとカナシャは必死に考えた。


「もう、ドンッてならないから平気なの」


 きちんと話そうと頑張ったのにまだ擬音が混ざるカナシャに、オウリは吹き出したのだった。



「わたしはいつも、言葉なんてしゃべらない皆さんの声を頑張って伝えてるのにさ。オウリはきっと赤ちゃんのお世話だってできないよね」


 あの時理解してもらえなかったのと笑われたのを根に持っているカナシャが唇をとがらせる。


「しゃべれない赤ちゃんがどうしたいのか、全然わかんないんだろうなあ」

「……興味がなかったからな」


 子守りは子どもの仕事でもある。年下の従弟妹の面倒などを村ではたまにみさせられたものだが、オウリは赤子が泣いてもかまわずおぶっているだけだった。


「ほんとにオウリって……で赤ちゃんに、言ってくれなきゃわからない、とか言うんだよ、きっと」


 カナシャはクスクス笑いながら家に入ってしまう。

 確かにそういう理詰めなところがあるのは否めないが、どうでもいい他所の子ならともかく今は違うと思う。


「俺達の赤ん坊なら、可愛がるぞ」


 追いかけながら言ったら、目の前で洗濯物を受け取っていたリーファが「あら」と目を丸くした。


「そりゃあとっても可愛いだろうけど、ちょっと早いわよ」


 しまった、とオウリは顔を赤らめた。


「いや、しゃべってくれない赤ん坊の面倒なんて、俺にはみられないだろうって言われたんで」

「ああ、そんなところあるわよね」


 言い訳をすんなり納得されて少しへこむ。だがリーファは洗濯物を畳みながら笑ってくれた。


「まあ赤ちゃんもそれぞれ違うから、ずっと育ててればなんとかなるものよ。でもカナシャの身体がもうちょっとしっかりしないとね。赤ちゃん産むだけで危なくなっちゃうから」


 それはもちろん、出産が命懸けなのはわかっている。若すぎる出産が母体の負担になるのも。

 赤ん坊が産まれてもカナシャがいなくなってしまったら、など考えたくもなかった。


「授かり物だから、すぐに授かっちゃったら困るし。結婚するのは別にいいんだけどねえ」


 リーファに言われてカナシャとオウリはえ? となった。


「いいの?」

「それはもう、オウリさんに不満なんかあるわけないわよ。ご近所じゃとっくにカナシャの婿さんて呼ばれてるし」


 そうだったのか。オウリはなんだか恥ずかしくなった。

 でもおかしくないか。どうやって許してもらおうかと思っていたはずなのに、いつの間にか結婚が既成事実化しているようだ。

 床を共にしないという一点を除けば確かに最近の生活は入り婿に近いものだが。


「それにタイアルったら! 昨日ライリに向かって、ウチの義兄さんはー、てやったんですってよ」

「え」


 リーファは大笑いしながら、テイネに聞いた話をバラす。

 何も言えずに黙っていたライリを想像するだに可哀想で、やめてやってくれとオウリは切に思った。

 少年期の思い込みや視野の狭さや勘違いは仕方のないことじゃないか。とりあえず張り倒しはしたが。


「家族も認めてる婿ですけど何か、て喧嘩売ってきたんでしょう。まあ、あの子ったら」

「何それ、姉思いじゃない」

「オウリさんが好きなのよ。なついちゃってねえ」


 そしてこの一家、カナシャ以外も喧嘩っ早いのでは、という疑惑がオウリの中に生まれる。少なくともテイネを除いてはこのタイアルの物言いを、よくやった、ぐらいにしか思っていないようだ。

 そこにちょうどテイネとタイアルが帰宅して、女二人がクスクスする。


「弟が帰ってきたよ」

「うん? そりゃ弟だけど。何言ってんの、姉さん」


 タイアルは怪訝そうだが、テイネは何の話か察したようで、そそくさと水を使いに行ってしまった。


「えー、今日も義兄さんがご飯を持ってきてくれたよ、てこと」

「ああ、毎日ありがとうございます」


 義兄という言い方に疑問も持たず素直に礼を言う義弟に、いやいや、と笑い返す。

 基本的にはいい子なのだが、母と姉の薫陶の賜物なのだろうか。


「ていうかオウリさん、うちに泊まっていけばいいのに。どうせ朝もよく顔を出してくれるんだし」

「いや、タイアルの部屋に転がり込むことになるぞ?」


 タイアルが荷物を片付けながらまた無邪気なことを言い出した。たぶんこれは、素だ。

 この辺りの普通の町家は小さいので、夫婦の部屋、兄弟の部屋、姉妹の部屋ぐらいしかない。結婚すれば独立して、近所に空き家があれば近くに住まう。


「なんで? 姉さんの部屋でいいでしょう」


 なんの疑いもなく、そういうことを言う。医者になるのだったら男女の営みについても早く心得てくれないかな、とオウリは冷や汗をかいた。


「ほら、さっさと手足をきれいにしておいで、ご飯をいただこう」


 戻ってきたテイネが話を打ち切ってくれた。オウリと男同士で視線を合わせたのは「すまん」「いえ」という無言の会話だ。

 これだけ娘を大切に扱ってくれているのに、それに甘えて同室に押し込み生殺しにするわけにはいかない。

 機会を見つけてタイアルに言い聞かせておかなくては、とテイネは誓った。




 いつの間にか、オウリはこの家の家族のようになっていた。

 カナシャがいれば。そう思っていたのだが、その暮らす家も町も、すべてがオウリの世界になっていく。

 守りたいものが増えるのは大変だが、悪くはない。オウリはそう感じた。




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