五十九 夕焼け


 災害からもう数日、人々は淡々と暮らしを立て直すために働いていた。

 壊れた物を片付け、直し、足りない物を作る。ただそれを繰り返す。日のある内はそうして働き、夜は泥のように眠る。


 悲しみに暮れたりや恐怖に押し潰されるよりはその方がよほど楽だ。

 だがそうもいかない赤子の夜泣きは増えたし、幼い子らの癇の虫もきつくなって親達を疲弊させた。


 町以外の被害も甚大だった。山が崩れ、水路が切れ、田畑が流れた。

 周辺の村の被害調査に協力して商会から人が派遣され、オウリはテイネの故郷パバイを訪れた。

 カナシャは同行しなかったが、見知ったハシホラに歓迎され祖母のカイナに挨拶できたのは、こんな状況ながら嬉しいおまけだ。

 だが揺れで塩田にヒビが入って海水が抜け、伯父のマダラは頭を抱えていた。


 カナシャも行きたがったが、家を守るために動けなかった。

 リーファがひょこひょことしか歩けないし、テイネとタイアルは往診に忙しかった。応急手当した人々の予後を確認するために、二人は走り回っていたのだった。



 その往診の途中でサヤに行き会って、タイアルは唇を噛んで謝った。


「おじいさんに何もしてあげられなくて、ごめん」


 サヤは目を見開いて首を横に振った。


「ううん、ちゃんと手当てしてくれたじゃない。タイアルすごかったよ、お医者さんだったよ」


 サヤはあの時を思い出してベソをかきそうになりながら笑ってくれて、タイアルはもっと申し訳なくなった。



 往診中にはライリにも会った。ライリは頭に包帯を巻いている。

 あの時カナシャ達とほど近い路地で地震に遭ったのだが、そこで遊んでいた子ども達を崩れてきた屋根から守ったのだ。

 カナシャにひっぱたかれた件で暴落していたライリの評判は、それで持ち直していた。


「うん、大した傷じゃなくてよかった。ちゃんと薬を替えるんだよ」


 傷を確認してくれたテイネに、ライリはペコリと頭を下げた。

 家具工房は今忙しい。いろいろな物が壊れたせいもあるが、家具だけでなく大工仕事の補助として木材の加工を請け負っているのだ。ライリも貴重な戦力だった。


「お互い、息子と働けるようになりましたなあ」


 テイネは嬉しそうにライリの父ワンガと話す。父親同士にはまた、母親と違う感慨があるのだ。


「でもタイアルはあの日、一人で治療して回ってたそうで。一緒に働くのを飛び越えてしまった」


 大したもんだ、と笑うワンガに、タイアルはにっこりした。


「一人じゃないですよ。義兄にいさんがいてくれたからできたんです。義兄さんは怪我の手当てに慣れてて、ほんと助かりました」


 無邪気なふりをして、わざわざオウリのことを義兄と言うのはタイアルの嫌味だ。


 ライリとカナシャの間の細かいことは知らないが、あの直後はどこに往診に行っても話題に上ったのでなんとなく事情は理解している。

 元々オウリには好感を持っていたが地震の日ですっかり懐いたタイアルは、オウリと姉の間に横槍を入れたらしいライリに思うところがあったのだ。


 工房を出たテイネはやや渋い顔でタイアルの肩を叩いた。

 気持ちはわかるが大人げないと思った。でも息子はまだ子どもだったので何も言えなかった。




 家を空けがちなテイネ達に気を回して、オウリはなるべくカナシャとリーファの様子を気にかけている。

 特に夕方には食事を買って差し入れに行く。買い物に出られないリーファと、初めて一人で家を切り回しているカナシャのためだ。それぐらいしたい。

 最初は差し入れを置いて帰ろうとしたのだが、せっかくだから一緒にと言われて次の日からは自分の分も用意するようになった。


 今日はやや早く来れたのだが、カナシャがまだ裏庭で洗濯物を取り込んでいたので夕暮れの庭に顔を出した。



 復興に働く人の声と槌の音を遠くに聞く、ヒグラシの鳴く庭。

 仕事を終え食事を調達して戻ると、家事を済ませるカナシャがいる。

 奇妙に幸せな空間で、オウリはぼんやりと立ち尽くした。


 おかしいな。二十人分の墓穴を掘ったのはほんの何日か前なのに。



 死者と遺族の苦しみ悲しみとは別に、日常は否応なく流れる。

 人はいつも通りに働いて食べて眠る。過去に何があったとしても、ふと幸せを感じる瞬間は戻ってくるものだ。


 オウリにとって一番の幸せはそこでカナシャが笑っていることだ。

 だからこそカナシャが糸の切れた傀儡のように倒れた時の恐怖は厭わしく、もう二度と味わいたくないものだった。


「オウリ、おかえり」


 にっこりとカナシャが迎えてくれる。俺の家ってどこだっけ、と思いながらオウリはただいま、とこたえた。


 細かいことはどうでもいい、カナシャのいる所がオウリの居場所だ。

 町がどうなっていようと、今ここでカナシャが穏やかに過ごせていること、それで十分なのだった。






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