五十八 立ち上がるために

* この後、震災被害の描写があります。

  辛い方はお読みにならないで下さい。










 商会に戻ってきたナモイとカフランは路上で状況を整理していた。


 家屋の被害は多いが、近隣住民の助け合いで行方不明はほぼ解消したようだ。火災は何件かあったらしいが多くが屋台だった。そこは自炊しない町の生活様式が幸いしている。ただ職人町で炎上した家屋はまだ消火中だった。


 そこに小走りに少年がやって来た。服のあちこちで赤黒く血が乾ききって、土もこびりついている。髪には灰をかぶっていた。


「タイアル」


 カフランは目を見張った。

 利口だがおっとりしていた少年の面構えが厳しく変わっていた。


「薬と包帯がきれたので、取りに来ました。ここにあるってオウリさんが」


 うなずいて商会に招き入れる。タイアルは用意してあった医療用品の中からテキパキ見繕っていった。

 オウリは今、商会から派遣した者と合流して消火活動に加わっているそうだ。テイネが見つからず、タイアルの治療を補助しながらあちこちの救助に加わっていたという。


「僕が最初、ひどい怪我人にうろたえちゃってたので、放り出して戻れなかったんです」


 すみません、と謝られたが、町の役に立っていたのならかまわない。


「テイネさんは?」

「家を出てから会えてませんが、別の場所で治療してるって教えてくれる人がいました」


 その方が今は効率がいい、と言い切れるようになったのは頼もしかった。

 カナシャが地震の直前に失神してオウリに運ばれたのも報告してくれて、おおよその関係者の消息が判明したのもありがたい。

 それじゃ、と再び飛び出していくのを見送って、カフランはこんな時だが笑ってしまった。


「あの子がいきなり大人になったよ」

「この中で揉まれれば、そりゃな」


 今日だけで、これまで経験した何倍の怪我人と死人を見たのだろう。

 手当てした人々の血の匂いは、壊れた町の姿と共にずっと脳裏にこびりついていくはずだ。


「明日の仕事は、墓掘りなんだよな」


 ナモイがぼそっと言った。寂しい顔でカフランが空を見上げる。


「嫌だねえ」


 だがそこは仕方ない、この気候だ。せめて子ども達に、人間の腐敗臭の記憶は残したくなかった。




 日が中天を過ぎてやっと、カナシャは目覚めた。

 頭が痛い。軽く吐き気もする。いったい何があったんだっけと、フラフラして身体を起こした。


「いきなり起きて大丈夫?」


 すぐ横で木の幹に寄りかかって座っている母が言った。

 どうして自分が裏庭に寝かされているのか覚えていなかった。確かオウリが御杜に迎えに来てくれて、一緒に歩いていたはずだ。


「母さん、怪我したの?」


 ようやく周りを見て、リーファの姿に驚く。だが話した自分の声でズキンと目の奥が痛んで額を押さえた。

 ほら言わんこっちゃない、と困った顔をされても、何もわからないのだから仕方ない。



「え……地震、あったんだ」


 倒れてオウリに運ばれてきてからのことを聞かされて呆然となった。

 あんなに気に病んでいたものが、失神している間に終わっていて何も知らないなんて。そんなことあるの、と少し文句を言いたくなる。


「箪笥が跳びはねるほどの揺れだったわよ。あなたが傷ひとつないのは、オウリさんが守ってくれたから。今も町中ひどいことになってるはずよ」


 カナシャはいろんな意味で頭を抱えた。

 頭はまだ痛い。だがそれ以上に、自分がとんだ役立たずで絶望した。


「カナシャ、起きたのか」


 裏庭に顔を出したのはテイネだった。医療品の補給がてら、妻と娘の様子を確認しに来たのだ。

 テイネは建物の倒壊や火事の状態を説明しつつ、タイアルと会わないんだが、と心配する。それを受けてカナシャはふわりと意識を広げ、あれ、となった。


「オウリと、一緒にいる、かな……」


 タイアルはとても張りつめているが、身体は無事だ。オウリの方は淡々と仕事をこなす普段と変わらない感じで、非常事態という様子でもなかった。

 どうなってるんだろう、とカナシャは首をひねった。


「オウリくんはタイアルに付き添ってくれてるのか。じゃあ安心だ」


 市場近くの、火事が起きている周辺にいると思う、とカナシャが教える。じゃあ別方面に行くよ、とテイネは出ていった。

 見送って、タイアルでさえそんなに役に立っているのにと、カナシャはますます自己嫌悪におちいった。


「カナシャ、動けそうなら、お水をちょうだい」


 リーファが頼んだ。台所の水がめから汲んできて渡すと、起きてくれて助かったと笑顔で言われた。

 脚が痛むからしばらくは家の片付けや洗濯などもカナシャ中心でやってもらわなきゃならないかも、とため息をついてみせるのは、たぶん自信をなくしたカナシャのためだ。


「そんなことぐらい、やるわよ」


 母の気遣いがまだわからないカナシャは、動けるようになったから表を見てくる、と出ていった。


 裏庭は静かに落ち着いていたが、なるほど道に出て辺りを見れば地震はあったのだと納得させられる。

 道行く人は汚れたままでせかせかと小走りだし、かと思えば怪我をしてよろよろと支えられながら歩く者もいる。道端にはもう瓦礫が山と積まれていて、屋根の落ちた家もすぐそこに見えた。


 道の真ん中では、ひっくり返った屋台の主が数人で、道に直接竈を築き直そうと奮闘していた。そこに洗った鍋を持ったフクラがやってきて、カナシャは目を見張った。


「フクラ、何してるの」

「あらカナシャ」


 近寄ったカナシャに、フクラは当たり前のように答えた。


「ここで炊き出しするっていうから手伝ってるのよ」


 市場で無事だった食材を使って、屋台の料理人達が食事を作るのだという。


 救助や応急手当が済めば、次に続くのは片付けと復旧だ。それは何日も何ヵ月もかかる。

 もう今この時から、食べる、寝るという生活そのものが再び始まるのだ。


 フクラの父のツォウは市場に鮮魚を運ぶ途中で地震に遭い、うっかり荷車を牽いたまま妻と娘の元に駆けつけたらしい。

 うっかりやることじゃない、魚をどうするんだと妻に激怒されたので、その魚を炊き出しに使って近所に振る舞うことにしたそうだ。おろおろしていた屋台主達を一喝して音頭をとっているらしい。


「おじさん……」


 カナシャの顔がひきつった。考えるより先に行動してしまうところは流石と言うべきか。


「野菜も分けてもらってくるって、今市場に行ってるわよ」


 どうせ今日は売るどころじゃないし、とフクラは肩をすくめた。いろいろと、もう諦めている。


「カナシャのところはみんな無事よね」

「母さんが脚を怪我してる」


 あら、とフクラは驚いた。サヤに呼ばれてオウリとタイアルが駆けつけたので、てっきりなんともなかったのだと思っていた。


「サヤのおじいさんを看取ってくれたって言ってたわよ」

「オウリとタイアルが?」


 カナシャが寝ている間に何があったのか。

 サヤの祖父が亡くなったと聞かされて、本当にひどい災害なのだとじわじわ感じられてきた。


 わたしは本当に、何をどうすればよかったのだろうか。呑気に寝ているしかできなかったのが悔しかった。

 だがカナシャが倒れていたと聞いてフクラは額に手を当ててくれた。


「熱はないのね。気を失うなんて、カナシャも大変だったんだ」

「寝てただけで何も役に立ってないのよ」


 しょんぼりするカナシャに、フクラは腰に手をやって胸を張った。


「私だってそうよ、何もできなかったもの。だから今から炊き出しするんでしょ」


 なんならカナシャも手伝いなさい、とフクラは笑顔だ。


 それもそうか。


 力もない、医術の心得もないのだから、役に立たなくて当たり前だ。ただの女の子としてはそれが普通だった。

 クチサキだからとか、自分が何か特別なもののように思うのが間違っていたのだ。


 カナシャは心を改めて、炊き出し係になることにした。

 一度家に戻ってリーファにもそう告げると、じゃあうちのご飯もよろしく、と任される。といっても水を汲んだり野菜を洗ったりぐらいのことだが、テキパキ動くのは気持ちいい。


 そのうちに、ボロボロに疲れるまで働いたタイアルを連れてオウリが戻ってきた。医者として頑張ったタイアルはご近所から歓呼の声で迎えられた。


 それを横目に、オウリはカナシャ目掛けて一目散に走ってきた。

 本当はずっとカナシャのことが気になって戻りたくて仕方なかったのだ。義弟を放置できないのと世間体から、心を殺して働いていただけだ。

 やっと会いに来れたカナシャの肩を引き寄せ、額や頬をやや乱暴に確かめる。


「動いて大丈夫なのか、もう苦しくないか」

「う、うん」


 あまりの勢いに気圧されてカナシャは目を白黒させた。よかった、と人目も気にせず頭を抱かれて背を擦られて、カナシャは久しぶりに照れた。

 ぐぐっとオウリの胸を押し返しながら、文句を言う。


「ちょ、やめてよ、どうしたの」

「前ぶれもなく倒れたくせに、どうもこうもあるか。死んだかと思っただろう」


 真剣な目で見つめられてカナシャは口ごもった。

 どんな風に倒れたか覚えていないが、それだけ唐突だったはずで。つまり、その。


「……ごめんなさい」


 とても心配させてしまったのだとわかって、カナシャはしゅんとなって謝った。

 しょんぼりするカナシャがいつものように可愛くて、オウリはやっと安心する。


「元気になったなら、いいんだ」


 カナシャの頭を今度はそっと撫でる。そこにツォウが声をかけた。


「おう、商会の若いの、おまえも食ってけ。カナシャも手伝って作ってる飯だ」


 オウリは驚いて顔を上げた。職人町のご近所達がニコニコと見守ってくれている。

 オウリはカナシャしか目に入っていなかったが、総出で盛大な炊き出し会になっていた。みんなもう疲労困憊で腹ペコなのだ。



 これはきっと、カナシャの婿さんは嫁を溺愛していると評判が立つに違いない。

 だがそれもいいだろう、こんな時には少しくらい明るい話がないとやっていられないだろうから。

 ただ話の種にされるカナシャだけは、たぶんちょっと、嫌がるに違いなかった。







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