五十七 生きる

* この後、震災被害の描写があります。

  辛い方はお読みにならないで下さい。










 揺れがおさまったばかりの商会では、皆がひっくり返ったり這いつくばったりして腰を抜かしていた。


「は、はは……」


 カフランでさえ、ちゃんと笑うことができずひきつっている。

 思っていた何倍も派手に揺れた。


「まいったな、こりゃ」


 ナモイもよろよろ立ち上がる。ひとまず建物は無事だ、圧死しなくてよかった。

 目が回ったような感覚が抜けないが、カフランはなんとか考えて指示を出した。


「あー、ナモイ、今パジにいない面子の家族の安否を確認してくれ。それから町長と連絡。町の様子を見て、必要な資材や人手を配分するぞ。えーと、シン、いるか」

「おう」


 海の波とはかなり違う、地面の揺れに内心かなり驚いているのだが、シンは平然を装って返事した。


「港に行ってくれ。船と桟橋が大丈夫か調べろ。あと港の倉庫だな。ラハウ、ルロイ、一緒に行け」


 膂力のある者をつけるのは、倉庫そのものか中の荷が崩れていること前提だ。すぐに必要になる医療品は商会に置いてあるが、米や建材は港にあった。

 カフランは出て行こうとするナモイを呼び止めてささやいた。


「ついでにおまえの家族とウチのやつの様子もみてこいよ」


 わかってるよ、とナモイはうなずいた。

 商会の者の家族は、この近くにまとまって住んでいる。仲間達の家族なのだ、言われなくても全員を確認するつもりだった。


「サージ、裏から医療用品を出してこい。ピヌ、町中の道が使えるかを見てきてくれ。スール、荷車を前に出しておけ。あとは待機」



 残った者で建物の周囲と近隣の状態を確認しつつ続報を待つ。

 すると屋根の向こうに不穏な煙が上がるのが見え、キナ臭い風がきた。最悪だ。

 そちらからズミが走ってくる。屋台に買い出しに行っていたはずだった。


「火事だよ、職人町の端っこ、こっちに近い方!」

「よーし、打壊しに出るぞ!」


 延焼を防ぐために、火事周辺の建物を潰すのだ。復旧資材の一つとして用意してある木槌だったが、ここでもう出番があるとは。まあその可能性があるから商会に置いてあったのだが。


「現場で役人に従ってくれ」


 せっかく揺れに耐えた建物を壊しに数人を送り出しながらカフランはぼやいた。


「やるせないねえ」


 あと外出していた者は誰だ。オウリが戻らないがどうしているだろう。カナシャは。

 あいつらなら心配ないか、と思考から除外し、現在把握している被害と人員の配置に頭をめぐらせるカフランだった。




 サヤの祖父母の家のように倒壊した家屋は多かった。その一つが娼館樟樹亭だ。

 商会から港と倉庫の状態を調べに出た三人のうち、ラハウは道中でそれを聞きつけ勝手にそちらに向かった。カーラの安否を確認しなくてはならない。

 残された二人も事情を知っているので止めはしなかった。


 ラハウが駆けつけると、樟樹亭は半分が崩れてなくなっていた。一階は潰れている。ということはその二階部分は崩落しているのだ。カーラの部屋は、その落ちた二階にあった。


 ラハウはうなり声をあげ、カーラの部屋だったと覚しき辺りを睨んだ。

 草葺き屋根と梁の下敷きになった壁が二階のものか一階のものかすらわからない。

 この辺り、という場所を上からどけていくしかなかった。


 ここは港に近い町の端で、数軒の娼館と宿屋しかない。いつも宿に泊まっている人足達も農村の仕事に流れていて、付近に男手が足りなかった。ラハウが来るまでに救助はほとんど進んでいない。

 ラハウは数人の亭主や娼館の用心棒、宿屋の下働き達に混じって樟樹亭を掘り返し始めた。


 屋根に葺かれていた藁、骨組みの細い柱、壁の板。手のひらが傷つくのもかまわず一心不乱に後ろに退かす。


 カーラ、どこだ。


 物をどける度に手がかりを探していたラハウは、見覚えのある敷布の端を見つけて総毛立った。その上には太い梁が落ちていたのだ。

 ラハウは吠えそうになるのを歯を食いしばって耐えた。

 短く荒い息を繰り返し、なるべく静かにその寝台に近づく。


 血の匂いはしない。大丈夫だ、まだ死んだとは限らない。


 なめるように付近を見ていくと、板と藁が積み重なる奥に、ちらりと茜の布が見えた気がした。

 腕を伸ばして板を持ち上げると白い脚が現れた。


 カーラ。


 無言のまま、ラハウはすごい勢いでカーラを埋めている物を掻きわけた。

 乱れた茜の腰巻の上にはよく知っている掛け布があり、さらに土埃と藁にまみれたカーラの黒い髪、白い顔が出てくる。


 ラハウは早鐘を打つ鼓動に耐えながら、埋まっていたカーラの身体を抱き起こした。首の脈を探る。


「カーラ……!」


 そっと頬ずりして、ラハウはへたり込んだ。

 生きてる。


 最初の縦揺れで撥ね飛ばされたカーラは寝台から転げ落ち、それで命拾いしたのだ。

 朝にラハウがくるんだままの掛け布で脚まで包み直し、抱き上げる。

 顔に日が当たってカーラはうっすら目を開けた。眩しそうに顔を背け、自分を抱いている男を見上げる。


「……ラ、ハウ?」


 さっきまで真っ暗で苦しくて、死ぬのってそんなにいいものじゃないなと思っていたような気がする。

 なのに何故今は太陽に照らされてラハウに抱かれているのだろう。


「カーラ、痛いところはあるか」


 ラハウが泣きそうな顔で尋ねた。カーラは回らない頭で考える。


「……わからない」

「そうか」


 生存者が掘り出されたことで周囲は活気づいた。もっと人を呼んでこい、助けるぞ、と声が飛んだ。


「生きててくれて、よかった」


 木陰に寝かせ、掛け布の陰で身体を調べる。骨は折れていないか、打撲や内出血は。隅々まで知っている身体だ、お互いにもう羞恥などない。むしろ大事に大事に調べられて、カーラの心は満たされた。



 私は生きている。死ななくてよかった。

 心の底からそう思えて、カーラは男の名を呼んだ。


「ラハウ」


 目から涙が溢れたのを、呼ばれた男は袖で雑に拭ってやった。


「……ありがとう」


 ラハウは言葉では応えずに、ただ優しく身体をくるみ、乱れた髪を撫でた。









* 次回、震災被害の描写があります。

  辛い方はお読みにならないで下さい。






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