五十六 崩れた町
* この後大きな地震の描写があります。
辛い方はお読みにならないで下さい。
ゴゴッという一瞬の地鳴りの後で、町ごとドンッと突き上げられて、立っていた人々が撥ね飛んだ。
縦にユサユサと大きな揺れが続き、誰もが這いつくばったまま地面にしがみつく。
ザザァッと何かが崩れる音があちこちで響いていたが、何がどうなっているのか見る余裕はオウリにもなかった。
落ちてくる物、倒れてくる物に巻き込まれないよう、オウリは砂埃の中を窺いながら必死でカナシャを連れて道の真ん中に這った。
どれだけ経ったのか、揺れが鎮まり、何かが落ちる音がカラカラと小さく響いた。
幼い子の泣き声がして、誰もが我に返った。
泣く声、うめく声がそこかしこから聞こえ始める。身を起こしたオウリは辺りを見回して予想以上の有り様に言葉を失った。
見渡せるうちでも数軒が全半壊していた。屋台も全て天幕ごとひっくり返っている。
「ああ……くそ」
呟くオウリの腕の中のカナシャはまだ意識がなかった。
オウリは立ち上がると、よいしょとカナシャを抱えて早足で歩きだした。
とにかく、テイネ達の様子を確認しなくては。
道々の崩れた建物を、近所の者が総出で掘り返し始めていた。
どれだけの死者と怪我人が出ているだろう。その治療のためにも、急いでテイネに娘の無事を伝えなければならない。
―――無事?
これは本当に無事なんだろうか。
恐怖に駆られてオウリは立ち止まり、カナシャの息を調べた。
フ、フ、と小さい吐息が、寄せたオウリの顔にかかった。安堵して泣き笑いになりながら抱きしめる。
「カナシャ……」
地震よりも、ぐったりしたカナシャが怖い。お願いだから早く目を開けてくれ。
再び歩き出してたどり着いたテイネの家は崩れてはいなかった。
ホッとして戸を開けると、リーファがあちこち傷だらけでタイアルに手当てされている。テイネは青い顔だが、持てる限りの薬を揃えて往診に出る支度をしていた。
娘を見て駆け寄ってくる。
「カナシャ!」
「怪我はないです。揺れる前に倒れました」
テイネは心配そうにカナシャをなでると、それでも職責を果たすために飛び出していった。
リーファはどうしたのかと思ったが、痛そうに苦笑いする。
「箪笥が飛んでくると思わないじゃない」
薬味箪笥が宙に浮いて飛んだそうだ。
直撃され下敷きになったら死んでいたかもしれないが、落ちて倒れたのに脚を挟まれたのと、飛び出た
幸い骨は折れていないようだが痛みで歩けないので、裏庭に出ていてもらう。またいつ揺り返しがあるかわからない。
「ぼくも手当てに行ってくる」
タイアルは母の安全を確保して、気丈に立ち上がった。
これでも医師見習いだ、できることはやらなくては。リーファは不安を隠してうなずいた。
「頑張んなさい」
うなずき返して、タイアルは荷物を揃えに家に駆け入った。
オウリはまだ目覚めないカナシャをリーファの傍らに寝かせた。
「申し訳ないですが、俺も行かないと」
さすがにこの惨状を放っておくわけにはいかなかった。無事な男手が動かないなど許されるものではない。商会も慌ただしくなっているだろう。
「気をつけて」
リーファに頭を下げ、同じく裏庭に避難してきた隣近所に二人をお願いしますと挨拶する。
最後にカナシャの頬をそっと撫でて、オウリは出ていった。
「よくできた婿さんだよねえ。タイアルくんも立派になって」
裏のおばあちゃんが、ありがたや、と手を合わせる。どうやらオウリはカナシャの婿としても評判を下げずに済んだらしい。
「本当にそうですねえ」
リーファだってもう、オウリが望むならさっさと結婚させてしまいたいのだ。ホダシがまさかとは思うが、カナシャに失望して逃げられては困る。
それにこんな地震が続くようでは、いつどちらに何があるともしれない。
問題はこの素頓狂な娘だけだった。地震より先に失神するなんて尋常じゃなさ過ぎて、ため息しか出ない。
「早く起きなさい、この子は」
カナシャの頭をなでながら、リーファは夫と息子、そして婿の無事を願っていた。
タイアルより先に表に出たオウリは商会に向かおうとして、向こうから走ってくるサヤに気づいた。
「オウリさん! テイネおじさん、いますか!」
半泣きで青ざめたサヤの
「誰が怪我した?」
サヤの血ではないのはすぐわかった。サヤは唇をわなわな震わせて必死でしゃべる。
「おじいちゃん。家がつぶれて、脚がはさまれて」
「サヤ?!」
薬と包帯をまとめて飛び出してきたタイアルが血だらけのサヤを見て叫んだ。
「行くぞタイアル」
オウリは二人の腕をつかんで早足に歩き始めた。止まって話している暇はない。
テイネは別のどこかで治療をしているはずだ。タイアルが行かなくてはならない。
近所に住んでいるサヤの祖父母はよくチグとリナを預かってくれる。今日もそうだった。
揺れた瞬間に祖母は庭にいて、祖父は一人で孫二人を抱え外に逃げようとしたらしい。だがあとちょっとのところで倒壊に巻き込まれた。
ギリギリで外に放り出したチグは打撲。リナは祖父と地面の隙間に挟まれたが、押し潰さないよう祖父が支えている間に這い出して擦り傷で済んでいる。
倒壊した家に着いてみると、地面に寝かされているサヤの祖父の片脚は無惨に潰れて出血がひどかった。
立ちすくむタイアルをよそにオウリはつかつかと近づくと、失礼、と呟きながら当人の帯をほどき取る。
「タイアル、止血!」
小さく震えながら帯を受け取ったタイアルは潰れた脚の太ももの付け根で、太い血管を押さえながらギュッと縛り上げた。
オウリは帯に挟んだ小刀で下衣を裂いて潰された脚を剥き出しにする。
だが折れた建材によるものなのか傷はズタズタで、これまでの失血は相当なものだ。
タイアルは傷を調べ洗浄し始めた。そのタイアルに、この血溜まりを見るにもう駄目だろうとオウリはささやいた。タイアルの顔が強ばる。
まだタイアルは子どもなのだ、見放すという決断は重すぎる。
「……サヤ」
苦しかろうに微笑んでみせる祖父に呼ばれ、サヤが転び出た。
「おじいちゃん」
「お医者、連れてきて、ありがとうな。服、汚したなあ」
血の染みのことを気にされる。可愛らしい孫娘をそれは大事にしていたのだ。
「だいじょうぶよ、この上から茜で染め直すわ。黄檗で下染めすると、茜はとってもいい色が出るの」
「そうか……サヤは、すごい……」
そこでもう、声は途切れた。まだ息はあるが、長くはもたないだろう。
チグとリナを抱きしめているサヤの両親にそっと頭を下げ、オウリはタイアルを引きずってその場を離れた。
「オウリさん、ぼく、何もできない」
タイアルは引きずられながら泣きべそをかいていた。
この年齢で我が身の無力を突きつけられるのはキツい。だが、こんな状況ではだいたいの人間が無力なのだ。
「いいから、他の助けられる奴を助けろ」
今は助かる人間を死なせないのが重要だった。それはタイアルにもわかる。
だがあんなひどい出血など、タイアルは見たことがなかった。その点では動転しわなないていたサヤとあまり変わらないのだ。
平静を保って生死の判断をするオウリを、タイアルは信じられない思いで見上げた。
「オウリさんは、人が死ぬのもたくさん見たんですか」
オウリはちらりと義弟に目をやった。やはりまだ、一人でこの厳しい状況に放り出すわけにはいかない。テイネに引き渡すしかないか。
「そりゃな、見たし、殺したさ」
薄く笑いながら言う。固まったタイアルはまだ十一歳の、安全な町で育った少年だ。
「殺したのは、襲ってきた賊だけだぞ」
一応言い訳をする。危険人物とみなされては困るのだ。嫁取りは円満に成し遂げたい。
「人はわりと簡単に死ぬ。怪我でも病気でも。おまえ、それと戦う医者になるんだろう」
志したばかりの時にこんな修羅場にあたったことで、挫けないでほしかった。
大切なカナシャの家族なのだから、同じように大切にしていきたいと思えるようにオウリはなっていた。
* 次回、震災被害の描写が続きます。
辛い方はお読みにならないで下さい。
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