五十四 微睡み


 ズル、とオウリの腕がカナシャの腹に落ちて、カナシャはハッとした。眠っていたようだ。


 蝉時雨の降り落ちるガジュマルの木陰で二人は前後になって座っていた。カナシャの肩に回っていた腕の力が抜けたのか、どちらかが身じろぎしたのか。

 後ろからスースー寝息が聞こえる。カナシャもうとうとしていたらしく、いつの間にかオウリはカナシャを抱えて安眠していた。


 首をひねってオウリの様子を見る。こんなに無防備にしているのは初めてでカナシャは戸惑った。

 疲れているのだろうか、ずっと忙しくしていたから。


 寝顔に触れてみたくなって手を上げたら、その気配を感じたのか寝たままでギュッと抱き直された。動けない。


 えーと、これ、どうすればいいの。


 カナシャが困っていると、こんな時間に珍しく、人の足音がした。たぶん二人連れだ。お参りだろうか。

 気づかないでほしい、とカナシャは縮こまった。だが足音は止まって祈るでもなく御杜を歩き回り、ついにガジュマルの裏に向いた。


「あら、やっぱりいた」


 ガジュマルの向こうからひょっこり顔を出したのはシラだった。

 驚くカナシャとそれを抱きしめたまま眠るオウリを見つけて、後ろから覗いたイハヤも笑顔になる。


「何をしてるんだか、この子達は」


 ……昼寝です。

 とは言えず、カナシャは口ごもってしまった。確かに何してるんだろう。

 木陰で二人、くっついていたら思った以上に心地よくて寝落ちしたなど、自分でも信じられなかった。


「オウリ……」


 ささやいてみるが、起きてくれない。どれだけ熟睡しているのか。シラがこらえきれずにクスクス笑いだした。


「オウリ」


 身をよじって呼ぶと、うっすら目を開けてくれた。


「ん?」

「起きて」

「……やだ」


 オウリは半分寝たまま笑うとカナシャを胸に引き寄せ直して目を閉じた。頭を抱えられたカナシャがむーむー言ってもがき、腕をはがそうとする。さすがにイハヤも吹き出した。


「離しておやりよ、オウリ」


 オウリは迷惑そうに目を開けた。腕をゆるめてカナシャをよしよしと撫でる。


「こんなに気持ちいい昼寝は初めてだったのに……」


 ぼやいてから伸びをする。オウリはイハヤとシラを見上げると、平然と尋ねた。


「何か御用ですか」

「うん、カナシャにね。オウリはまだ寝ててもいいけど」


 まるでさっきまで話していたかのような会話だが、たぶん三ヶ月ぐらいは会っていない。しかもこの体勢で普通に話し始める神経が信じられなくて、カナシャはプンスカして立ち上がろうとした。


「いや俺の安眠枕」


 オウリはカナシャの腕を掴んで引き留めた。


「……誰が枕よ」

「すごくよく眠れたんだよ」


 恥ずかしい姿を見られてカナシャはおかんむりだが、オウリは意に介していない。イハヤとシラなら、こんなところを見てもむしろ喜ばしいと思うだけだろう。

 実際イハヤは当たり前のように言った。


「いいかげん結婚しなさい。毎晩安眠できるから」

「わりと真剣に、リーファさんにお願いに行きたくなりますね」


 オウリはカナシャを開放して立ち上がった。枕なしで寝ていても仕方ない。

 カナシャに用事ならどうせろくでもない事なのだろうし、起きないわけにはいかなかった。


「で、何があったんですか」

「温泉が枯れたんだ」


 イハヤはいつも静かに微笑むように話す。おかげで内容が嫌なことでも怖いことでも優雅に聞こえてしまって困るのだが、今日はまた言っている意味がわからなかった。

 きょとんとするカナシャにニコニコと説明してくれる。


「タオの近くの温泉が止まってね。地面の下から湧くものが止まるってことは、そろそろ地震が近かったりするのかな、と」

「あ、そういう……」

「なんにせよ地震は来るんだから諦めが肝心なんだけど、そこは硫黄が採れていたのでね」


 オウリは記憶を探った。


「硫黄……とても臭いと聞いたことがあります。何にするんです? 薬に使うとかでしたっけ」

「ソーンに高く売れるんだよね。でも硫黄そのものは臭くないんだよ。硫黄が採れるその温泉が臭いんだけど、浸かると気持ちいいらしい。カナシャも連れて行きたかったよ」

「ふうん? ……あ、温泉ならシャオイェンさん行きたがったかな」


 見上げてくるカナシャにそうかもなと応えながら、オウリは意外に思った。硫黄とはそんなに重要な産物だったのか。


「その温泉がまた湧くのか、探りたいんですか?」

「まあそうなればありがたいけれど。今、人足を退避させているんだよ、山の中の渓谷なのでね。周りが崩れたり、逆に大量の源泉が吹き上がったりしたら死人が出る。源泉はかなり熱いんだ」


 その危険がないなら、残っている硫黄を回収したいのだという。人の命の方が大事だから諦めてもいいのだが、一応お伺いを立てに来たそうだ。


「じゃあ、その温泉じゃなくて、島全体の様子をみればいいんですね」


 簡単に言うがけっこう大それたことだが、カナシャにとっては、知らない場所を点で探るよりよほどやりやすいらしい。

 でもたぶん深くなるからオウリが引き戻してと言われた。

 悪いね、と謝るイハヤに首を振って、カナシャはペタンと座る。


「じゃあ行くね」


 ためらいもない。ここは御杜だし、土に直に触れられるしちょうどいいのだ。

 なんの前振りもなく潜っていってしまうカナシャの意識を見送って、オウリは少しの不安を感じながら引き戻し時を見計らっていた。


 こんな普通でないことをやっていて、カナシャにはなんの障りもないのだろうかという心配が拭えない。

 こういう生まれつきなのだから大丈夫だと本人は言うし、他のクチサキだって健康に生きている。ただの心配性なのかもしれないが、それだけカナシャを失うことが怖いのだった。


 ふらっとカナシャの身体が傾ぎ、オウリはそれを受けとめた。手のひらを優しくなぞりながら耳元で名を呼ぶ。

 目を開けたカナシャは力なくオウリの手を握り返し、胸に顔を埋めて嫌々をした。


「……来そうなのか」


 カナシャはコクリとうなずいた。そうかそうか、と肩をさすってやりながらイハヤと視線を合わせる。

 いよいよだね、とイハヤは呑気にガジュマルを見上げた。

 今さらじたばたしても仕方がない。備えた内でできるだけの対処をするしかなかった。







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