五十三 巫女の治療


 カナシャはオウリにうながされて椅子に座った。こんにちは、と小さく呟く。

 これで島一番の巫女なんですよ、とカフランが要らぬことを言った。ソーン語なので本人やオウリにはわからないのだが。


 まだ少女の巫女が異国の病人を前にもじもじしているのをシャオイェンは可愛らしく思った。婚約済みだという青年がそれに寄り添っているのも初々しい。

 本当のところ、カナシャはシャオイェンがもう快復できないことを感じて「どう言えってのよ」と怒っていたのだし、オウリはそう訴える視線を察して「なんとかうまく頼む」となだめていたのだが。


「手を」


 カナシャは腹をくくって両手を差し出した。シャオイェンが小首をかしげて両手を出すのをまとめて握る。目を閉じるとシャオイェンの中や周りの流れを探った。


 カナシャはすぐに目を見開くと右手を離し、乗り出してシャオイェンの下腹をトン、と指で叩いた。

 ヒラ、ヒラと身体の前で何かを分けるようにし、最後に薄衣の上から額に手のひらをあてる。


 表情のない眼でそんなことをされて、シャオイェンは少々驚いた。だがカナシャが離れた後、なんだか身体の力が抜けて息が楽になったように感じてもっと驚いたのだった。


 おや、とテイネは娘に目をやった。

 だいたいいつも、何もできることがないとしょんぼりして帰るのに。

 気になってカナシャに声をかけた。


「どうだった?」


 軽く「あちら側」を覗いていたカナシャはまだぼんやりしながら答えた。


「困ってたから、こっちってしただけ」


 そんな言い方をされても通訳のルー兄妹が困る。オウリはカナシャの横にしゃがんだ。しゃんとしてくれよ、と膝の上の手に手を重ねる。


「流れの悪いところがあったのか」

「うん。ぐちゃぐちゃして喧嘩してるのは駄目だから」


 カナシャは「向こう」の説明をしようとすると普段よりも子どものようになる。言語ではなく雰囲気や感情として感じられるらしい。

 オウリが翻訳できずにいると、テイネが医者らしく言い直してくれた。


「気の流れが滞ってぶつかっていたようですね。そのせいで血が熱を持ち身体を乾かしてしまう。今ので何か変わりましたか?」

「なんだか、落ち着いた気がします。楽になりました」


 シャオイェンがほうっと吐息をもらし、ジャンは嬉しそうにその肩を抱いた。だがそろそろ正気に返ったカナシャは難しい顔でうつむいた。ポツリと呟く。


「わたしができるのは、これだけです。悪くなったところはもう治せない」

「この肌や強ばりは、このままなのですか」


 シャオイェンに訊かれてカナシャはコクンとした。一応テイネが補足する。


「かさぶたが治るように、少しずつ快方に向かうことはあるかもしれません。でも根本的なところが正されたのかはわかりませんし、ずっと乱れていた身体は悪い方に戻ろうとすることもあります」


 不安げになった夫妻にテイネは笑った。


「まあまあ、どうせしばらく旅行するのでしょう。気持ちを楽にしてのんびりすればいいんですよ」


 そしてテイネは、ところで温泉は駄目です、と言い添えた。まず身体の熱を冷まさなくてはいけない。肌を柔らかくする温泉もあるが、行くのなら浸からずに肌に掛けるだけにすること、と注意した。

 ジャン夫妻は素直にうなずいて、深々と礼をしたのだった。





 上司の面目を保ったことへの見返りとしてオウリは今日この後は休み、とカフランが決定した。


 カフランはテイネにもしっかり礼を言うと商会に戻っていった。医者と巫女の紹介料をちゃっかり受け取っているので、結果が出せて一安心なのだ。

 テイネも過分な診察代を受け取って恐縮しながらタイアルを連れて帰った。タイアルはずっと黙って控えていただけだが「やっぱり姉さんはめちゃくちゃだね。すごいけど」と腹の立つ感想をもらした。

 カナシャにはシャオイェンから赤い緞子が一巻き贈られた。花菱の織り込まれた艶やかな絹にカナシャは困惑したが、いずれ花嫁衣裳にでもと言われてオウリと並んで頭を下げた。




 緞子はテイネが持ち帰ってくれたので、オウリとカナシャは身軽に歩ける。

 久しぶりにゆっくり時間がとれた二人は、顔を見合わせてふらりと御杜に向かった。

 もう昼だし屋台で何か軽く食べたりしてもいいのだが、それだと二人きりにはなれない。


 清明な空気のおかげか、御杜はなんだか涼しく感じる。地面に落ちる黒々としたガジュマルの影と吹き抜ける風は静かだが、降りしきる蝉時雨が一仕事終えた二人をにぎやかに迎えた。

 だが祈るのもそこそこに、オウリはガジュマルの裏側にカナシャを引っ張り込んだ。


「ちょっと……」


 さすがに照れながら軽く抗うカナシャをかまわず抱きしめる。こうするのはどれぐらいぶりだろう。


「はあ……圧倒的カナシャ不足……」

「何よそれ」


 オウリの胸に埋まりながらカナシャはクスクス笑った。


「そのまんまだよ」


 忍び笑いしつつカナシャの髪を撫でる。その腕にポスンと頭を預けて、カナシャは半分目を閉じた。安心しきった顔。

 オウリはふんわりと片腕で頭を抱き、そっと頬を寄せるふりで気づかれないように髪に口づけた。


 カナシャのこの信頼を裏切る気はない。

 出会ってからまだ半年経たないうちに、オウリの腕の中にいることに慣れさせただけでも上出来だ。

 近づいただけで真っ赤になって逃げていた頃と比べると、心地よさそうにくっついてくれる今はまるで別の生き物のようだった。可愛いのは相変わらずなのだが。


 脇に回っていた手がキュッとオウリを掴み、カナシャが大きく息をした。苦しかったかと腕をゆるめると、ふうっと笑う。


「オウリの匂い」

「やめろよ」


 オウリはしかめ面でカナシャを引き剥がした。


「くさくないよ」


 そう言われても、つい自分を嗅いでしまう。少し汗はかいている。俺の匂いってどんなだ、と気になって仕方ない。


「蚊除けくさいだろ」

「わたしも同じ」


 カナシャも自分をクンクンとした。

 暑さが和らいだことでむしろ蚊が日中から活動的になったので、誰もが蚊除けを塗っている。

 柑橘に似た香りのカオリガヤを煮出して作るものだ。ハッカを混ぜて煮れば清涼感も得られるのだった。


 カナシャに嫌がられていないのならまあいいか。オウリはガジュマルの根元に座り、幹にもたれかかった。

 ここで同じように座り込み、ヒリヒリする綱渡りのような会話をしたこともあったのを思い出す。

 オウリは愛おしそうにカナシャを見上げて手を伸ばした。


「おいで」

「えー……」


 なんだかオウリが甘えっ子だ、とカナシャは首をかしげた。脚の間を示されてカナシャがおずおずと近づくと、ひょいと後ろ向きに座らされた。


「カナシャの匂い……」


 首筋に顔を埋めたオウリが呟いた。


「ンッ……」


 背中がジンとしてカナシャの背筋が跳ねた。一人前に女のような反応をするのが新鮮で、オウリの鼓動が速まった。

 逃げそうになるカナシャを引き戻して髪をかきあげ、直接耳に顔を寄せる。


「ふ……ゃん」


 猫のような声をもらして嫌がるカナシャをがっしり抱きしめる。やばい、このままだと止まらなくなる。

 オウリは長く息を吐くと腕をゆるめ、カナシャの髪を手で梳いて直した。

 じたばたするカナシャの抵抗を封じるのは久しぶりでそれも楽しかったが、これ以上やると嫌われそうだ。よしよし、と頭を撫でてカナシャを落ち着かせる。


「もう嗅がないから、こうしてろ」


 カナシャは長い吐息をもらしてオウリに寄りかかった。

 うん、匂われるのは少し恥ずかしい。もうオウリにもやらないようにしよう。


 オウリを背もたれにして軽く抱かれながら、カナシャは木漏れ日を見上げた。オウリはカナシャの頬や顎の線をそっと手で包み、撫でる。

 大事なものが自分の手の内にあるというのは、なんと満たされることだろう。


 あと二十五年ほどでオウリはジャンぐらいの年齢になる。その頃にも彼らのように寄り添って生きていられるだろうか。

 願わくはそうあれるよう、この腕の中のカナシャを守りたいとオウリはぼんやり思った。







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