三十一 絹の刺繍


 フクラは平然とサヤに「すみっこ借りるわね」と言って、くつを脱がずに上がりかまちに腰をおろした。どうぞ、と示された隣にズミと並んで座る。

 来客がオウリだと紹介されたちびっこ二人も寄ってくる。カナシャのホダシだと知っているので興味津々なのだ。


「カナシャねえのだんなさんて、どっち?」

「ちょっとチグ」


 カナシャが後ろから捕まえて引き戻す。まだ旦那さんじゃないの、と拳で頭をグリグリする。


「手荒にするなよ」

「こっちのお兄さんね。かっこいい!」


 苦笑いで声をかけたのを見て、リナがオウリの膝によじのぼった。オウリを見上げてニコニコ顔だ。満足気に胸にもたれて膝に収まっている。サヤが恥ずかしそうに謝った。


「ごめんなさい、この子面食いで」

「こんな小さいのに面食いとか、末恐ろしいね」


 ズミに吹き出されて、リナはちょっとむくれる。だが上目遣いにズミをにらんだその瞬間、ほわあっと頬を紅潮させるとズミの膝に乗り移った。


「え、なになに?」


 リナは有無を言わせず手を伸ばしズミの髪をかき分けた。小さなリナからだと前髪の下の素顔が見えてしまったのだ。美しい顔立ちが半分ほど現れる。


「ひゃあぁぁん!」


 かん高い悲鳴を上げて、リナはぷるぷる震えながらズミを見つめた。

 つられて視線を向けた子ども達もカナシャ以外絶句する。その様子を見比べてオウリは慌てた。


「ごめん」


 オウリとズミが同時に謝った。ズミは顔を出さないよう言われていたのに見られてしまったことに。そしてオウリは顔だけで騒がれるのが嫌いなのであろうズミをおもんばかって。

 その配慮が伝わったのか、ズミは小さく笑ってリナを膝から抱きおろした。


「お嬢ちゃん、なかなかお目が高いけど、顔だけの男に引っ掛からないようにね」


 それはなんというか、五歳児にする説教じゃなかった。


「そうよ、リナ。男は腕っぷしと心ばえも大事」


 リナの背をサヤの方に押しやりながらフクラも言う。こんな綺麗過ぎる男を家に連れて行ったら父親がとりあえず殴るだろうな、と思ったら冷静になったのだ。

 だがあまりに気っ風のいい男性観を披露されてズミは笑った。


「腕っぷしって……この子ほんとに刺繍職人さん?」


 確かに繊細で美しいものを作り出す職人にあるまじき力強い発言だった。カナシャが友人のために食ってかかる。


「本当よ、失礼でしょ」

「いいわよカナシャ。仕事は始めたばかりなんだし。ああ、ちゃんとした熟練の方なら紹介しますよ?」


 淡々としている時のフクラは怖い、とカナシャは思っている。心が見えないという点で、そこら辺に感じる精霊より底が知れない。オロオロしたが、オウリがさらりと受け流してくれた。


「いいや、若い子がどう思うか聞きたくてフクラを探したんだ。ズミ、あれ出して」


 ズミの懐から出てきた包みの中の、絵のような刺繍にフクラは目をみはった。

 色とりどりの糸で描かれた精緻な花鳥は、ハリラムの物とは違う優美さを湛えていたのだ。

 美しい刺繍に息を飲むフクラを見て、後ろの子ども達がウズウズし始めた。彼らをにこやかにオウリが呼ぶ。


「カナシャもサヤも見てごらん。えーと、リナとチグも見るかい。ソーンの刺繍なんだ」


 わっと集まった頭を見下ろして、ズミはふーん、と関係のないことを考えていた。


 オウリは細かいことに気が利く。一度聞いただけの子どもの名まで把握して声をかけるのは驚きだった。

 こういうところは王道の商人ぽい。だが実は利にこだわってはいないのも、もう知っている。かといって人のためにという熱い男ではなく、芯に冷めた部分があることもズミには透けて見えていた。

 変な奴だよ、まったく。


 オウリは穏やかな商売用の顔で少女達と相対していた。もうこれは身に沁みついた態度だ。


「手に取っていいですか」


 フクラにああ、とうなずくと、一緒に出てきた小さい手をリナはダメ、と慌ててサヤがつかんだ。たぶんこれは高価な物だ。


「こんな商品があったら女の子はほしいかな。もちろん絹じゃなくて麻で作るし、素材を変えてもこの刺繍が刺せるものなのかわからないんだけど」

「これが絹なんですね……」


 ためつすがめつする。艶やかな光沢も手触りも初めてのものだ。

 なるほど心が浮き立つ華やかさがある。が、日常使いには気が引けるから麻製があればほしいかもしれない。


 フクラは糸や織りまで吟味した。

 まず織りが密だ。でないとみっしりと渡した刺繍糸に負けて布がつれてしまうだろう。そして糸は細い。これは刺繍糸も、生地の織り糸の方もだった。普段フクラが扱っているものよりずいぶん繊細にできている。ということは使う針も細くないといけないかもしれない。

 そう聞いて商人二人はうなずいた。


「なるほど……」

「技法としては難しいことではなく、手間と注意力と忍耐力と練習、かな。たぶん」

「うへえ」


 聞いただけでカナシャが音をあげて、オウリが笑いを噛み殺す。


「じゃあ細い糸で密に織った布と、細い刺繍糸、細い刺繍針があれば、こんな雰囲気の物は作れるんだね」

「できるかもしれない、です。あと私は絵は描けないので、柄の下絵を描いていただけないと、この三種類の図柄だけになります」

「ああ……」


 それはちょっと。まあ諸々準備は必要だが、なんとかなる範囲だろう。


「フクラはやってみたいと思うかい?」

「面白そうだと思います。だけど」


 フクラは少しためらった。


「自分で刺すなら裏も見たいんで、袋を一つほどいていいですか」


 袋は二重になっている。外袋の刺繍の裏側は内袋を外さないとわからない。

 高価な商品なのだろうと思うが、ちゃんと見てみないことには真似しづらい。


「あー、あー。うん、しょうがないよね」


 迷いながら決断したズミにカナシャが不思議な顔をした。また縫い直せばいいと思ったのだが、フクラが首を振る。縫い糸も絹なのだ。そんな物、持っていない。


 フクラはつると小花の袋を選んだ。蔓の線、花の面、雌しべ雄しべの点、すべての刺し方が見られるからだそうだ。

 この頃にはズミも、フクラがまともな職人気質なのを認めて任せる気になっていた。


「糸と織物に詳しい奴に話してみるよ。んじゃ、僕は帰るね」


 一緒に立ちかけたオウリを制してズミは「馬鹿なの?」とのたまった。


「もうオウリは仕事ないでしょ。ホダシちゃんとゆっくりしておいで」


 女心がわかんないと嫌われるよ、と手をひらひらさせて去り際に、戸の前でちらりと少しだけ前髪をかき上げる。


「じゃあねリナちゃん。十何年かして、おじさんになった僕でも好きっていうなら考えるからね」

「おい……」


 ズミは楽しそうに出ていった。

 こいつは人をからかうのが大好きなのだとだんだんわかってきた。だから青少年の健全育成によくないというんだ。


「わたし、おじさんはイヤかも……」


 真剣にリナが呟いて、チグ以外吹き出す。ズミは即座にふられたようだった。

 まあ、それがいいだろう。たった六、七歳違うだけでオウリとカナシャは今お互い手探りだ。

 二人共に大人になってしまえば、きっと何も気にならなくなるのだろうが。






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