三十五 自分自身として
宵の口で雨があがった翌朝、オウリは旅支度をして商会を出た。道のぬかるみが落ち着くのを待って早朝ではなかったので、もう町も起きてざわめき始めている。
そしてオウリの隣には、何故かナモイが並んでいた。
「なんで一緒に行くんですか」
「いいじゃないか、山は久しぶりなんだよ」
最近、船ばかりでさ、とナモイは楽しそうだ。そんな遊びに行くような理由で出張できるって、この商会は大丈夫なのかと案じられた。
「俺、茶畑も見たことないんだよね」
ナモイはたぶん、オウリを気遣ってくれているのだ。あの落ち込みようのオウリを一人で出すのは危ないと、カフランと相談したに違いない。それぐらいのことに思い至らないオウリではない。だがウキウキするオジサンと連れ立って行くのも、あまり嬉しくはなかった。
気怠く歩いていると、街道への出口近くに覚えのある人影を見つけてオウリは立ち止まった。
背中に朝日を浴びて静かに立っていたのは、カナシャだった。
それとわかってナモイがポンと肩を叩く。一人足早に行き過ぎざま、カナシャにおはよう、と声をかけて門を出てしまった。二人で話せということか。
オウリは胸に収まる首飾りを確かめた。
しまった、カナシャを見ただけで泣きそうなんだが。
溢れそうな気持ちを飲み込んで、オウリはカナシャの前に立った。
「おはよう。見送りに来てくれたのか」
コクリとうなずいたようだが、逆光で顔がよく見えない。オウリがまぶしそうに横に回ると、カナシャもそちらを向いて合わせてくれた。
微笑んでいたカナシャは、申し訳なさそうに目を伏せた。
「見送りなんか、来れた義理じゃないんだけど……」
そんなことはない。オウリが首を横に振ると、カナシャは諦めたように笑った。
「来たいから来たわ」
「……そうだな、それでいいんじゃないか」
オウリは笑った。気持ちに正直でこそカナシャだ。そして見送りに来たいと思ってくれたことが嬉しい。
だがカナシャの表情は精彩を欠いていた。
「元気ないな」
「そりゃあ、だって」
カナシャの目が泳ぐ。
この間のあれは、喧嘩というのだろうか。それとも別れ話。
なんとも言いがたい状態なのでどう決着をつければいいのかわからない。それはオウリも同じだった。
だがこの宙ぶらりんのまま時間をかけるのは駄目だ。はっきりさせておかなければカナシャが延々と迷っているかもしれない。迷えば悪い方に行くこともある。
「カナシャ」
「……ん」
「俺、おまえを手放す気はないぞ」
真っ直ぐに言った。
カナシャがサッと緊張したのがわかったが、ここで逃がすわけにはいかない。カナシャ相手には偽らずに伝えなければならないのだ。それをオウリは先日学んでいた。
「大人になるまで待つって言ってるんだから、ぐだぐだ考えてないで俺といればいいんだよ」
「それは……でも今はオウリと一緒にいる自信ないんだもん」
まだぐずぐず言うカナシャに、オウリはきっぱりと言い渡した。
「自信なんかなくていいから側にいろ。俺はカナシャ以外を嫁にする気はないからな」
「ちょっと……オウリ、なんか変よ」
あまりにはっきり求婚されてさすがに頬を赤らめながら言い返すカナシャに、ふはっとオウリは柔らかく笑み崩れた。
こういう強い物言いは慣れない。考えていることになるべく忠実に言ってみたのだが、いつもは思考を口に出す時に数段穏やかに変換しているのだろう。特にカナシャに対しては、甘く甘くなってしまうし。
「優しくて物わかりよくしているとカナシャが不安になるらしいから。多少強引でもおまえを捕まえておくことにしたんだ」
オウリは懐から包みを取り出した。やっと渡せるな、と開いて差し出す。
「アニの花石で作ってもらった」
「……綺麗」
見たことのない薄紅の石にカナシャは目を見張った。朝日を受けてきらめく石は、やはりカナシャにとても似合う。
だがカナシャは手を出そうとしなかった。
男から女に装飾品を贈るのは、そういう意味だ。しかも今「嫁にする」とはっきり言ったばかりなのだから、これを受け取れば了承したことになる。カナシャの中で、そこまで気持ちの整理がつかないのだ。
ためらうカナシャに、仕方なくオウリはど真ん中の質問をした。
「俺が嫌い?」
カナシャは小さく首を横に振る。
「じゃあ、好き?」
「…………好き」
いくらか逡巡してからカナシャは諦めて認めた。嘘はつけない性分である。
心に従って、好き、と口にすると蓋をしていた気持ちが溢れだしてきた。
胸が詰まって、カナシャは震えながら深呼吸した。
「だったら、今は受け取ってくれ。そのうち俺となんかやってられるかってなったら突き返せばいい」
オウリは有無を言わせず石をカナシャの首にかけた。そっと胸元におさまった首飾りを見てオウリがとびきりの笑顔になる。
「めちゃくちゃ可愛い」
照れてそっぽを向くカナシャの肩を押さえてオウリは正面に回り込んだ。カナシャが恨めしそうにする。
「どうしてそういうことを照れずに言えるのよぅ……」
「年季の差かな」
「それじゃいつまでも追いつけないじゃない」
むくれたカナシャが、あ、となる。この首飾りを受け取ったからには伝えなければいけないことがあった。
「あの、あのね、オウリ。わたし、つ、つ」
どもりながらカナシャが何か言おうとする。横を向いて息を整えるカナシャをきょとんとオウリは見つめた。
「つ、月のものが来たの」
やっと言い切ったカナシャの顔は赤くなっていたが、やや誇らしげでもあった。
オウリはこれになんと返せばいいのだろう。よかったな、あるいはおめでとう。
だが口をついたのは気遣う言葉だった。
「あ、からだ、大丈夫なのか。辛くないか」
「うん、まあ。ちょっとお腹痛かったり、だるかったり」
オウリにはわかってやれないものなので、どう労ればいいのやら困る。
そしてカナシャにもわかっていないのだが、ここ最近の苛々や激しく動く気持ちもたぶんこのせいなのだった。
はにかんでいるカナシャを見ていて、オウリはふと思い出した。
「そろそろ、おまえ十四歳なんじゃないか」
「あ……そういえば、そうね」
「じゃあこれは、諸々のお祝いだな」
オウリはカナシャの胸で光る石を指差した。
一つ年齢を重ねること。
身体が大人に近づいたこと。
そしてあらためて、ホダシとしてだけでなく、オウリとカナシャとして向かい合うようになったことの。
そしてオウリは胸の内だけで呟いた。
ありがとう。好きだと言ってくれて。
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