第三章 雨の波紋
三十四 降り籠められた心
ザアザア降りの雨に仕事がいろいろ遅れがちな中、オウリのどんよりした空気感は商会でも異彩を放っていた。
ほぼ何も手につかない上にため息ばかり漏れる。あまりの鬱陶しさにラハウが怪訝な顔をした。
「オウリはいったいどうしたんだ」
ちらりと視線をやったズミが事もなげに答える。
「女心の扱いを間違えたんでしょ」
「それは……まあ、なんだ。うん」
商会の面々が目撃した分にはたいそう仲が良さそうだった。それが一転この体たらくなので、何があったか知らないが心配になる。
ラハウは皆の食事にと調達されていた
「飯を食えば元気が出るぞ」
ラハウはそうかもしれないが、オウリはあまり同意できなかった。だがその情に感謝して粽は受け取る。
「ホダシの女と何かあったんだろうとズミが言ってるが、そうなのか」
オウリは粽を取り落としそうになった。単刀直入、よくもそんなにバッサリと豪剣を振るえるものだ。
オウリは心がくじけかけたが、気力を振り絞って問いを返した。
「ラハウ……好きな女、いるよな」
ラハウは、ああ、と力強くうなずいた。
「ラハウはどうしてその女が好きなんだ?」
「どうしてといってもな。理由なんかわからんが、あいつがいいんだ」
単純明快にラハウは言い切った。
子どもか、とオウリは呆れた。ズミがこの年長者のことを「ラハウくん」と呼ぶのがなんとなく理解できる。だがこの、恥じない、揺るがぬ自信は素晴らしい。
「ラハウみたいに磊落に割りきれればいいんだがなあ」
正直、カナシャがあんなに思い詰めているとは思わなかった。完全に読み違えていた。
半月も離れていて、その間オウリがいなくなる不安に晒されていたのでいろいろ考えたのだろう。そもそも心身の成長する時期でもある。
カナシャを追い詰めたのは自分のせいでもあると思う。
オウリが上辺を取り繕っていたのがいけなかった。もっと自分をさらけ出して本音で相対しなければならなかった。
大人ぶって保護者のように振る舞い、誰に対しても人当たりのいい嘘の姿をカナシャにも見せていた自覚はある。
だって、幻滅されたくなかったから。
だがそのせいで、自分自身と向き合ってもらえていないとカナシャを不安にさせた。
ホダシとしてではなく、オウリ自身を愛してもらう努力をすべきだった。自信がなかったのはオウリの方なのだ。
まあ食え、と背中を叩かれ、オウリは笹の葉をむいてモソモソと粽をかじった。
これから、カナシャがどう出るか。
オウリの傍らにいようとしてくれるか、しばらく距離をおかれるか、もう離れてしまうのか。
それを考えると粽の味もろくにわからない。そんな自分を棚に上げてオウリは、カナシャはちゃんと食べているだろうかと余計な心配をしていた。なんといっても、育ち盛りなのだから。
だがその頃のカナシャは、ため息をついて寝台にもぐり込んでいた。
後悔ばかりがグルグルしていて、動くことができない。まあどうせ雨に降り籠められているので、外に出ない言い訳は立つ。
オウリはたぶん商会にいるのだろう。感じるこのどんよりした重さがオウリなのか天気のせいなのかはわからない。いや、もしかするとカナシャ自身の気持ちかもしれなかった。
カナシャはオウリをわかっていなかった。勝手に思い詰めて、辛いと言ってオウリを傷つけた自分が許せなかった。
オウリはちゃんと見ていてくれたのだ。カナシャをどう思っているか、たくさん挙げてくれた。カナシャの方こそオウリの中にあるものに気づけなかったのに。
誰とでも仲良く穏やかなオウリがその裏で抱える冷ややかな気持ち。そんなもの考えもしなかった。
そしてオウリの力と速さ。いつも大切に扱われていて、カナシャを脅かす強さを持っていることなど忘れていた。当たり前なのに。
ガジュマルの裏に引きずり込まれた時、何が起こったのかわからなかった。
誰かが近づく気配もカナシャは気にしていなかった。ああして周囲を警戒していないと危ない旅をいつもしているのだろう。
カナシャがおてんばだといっても所詮は少女の力などたかが知れているのを思い知らされる。そりゃ家族が男手なしで町や村の外に娘を歩かせるわけがない。男性からの暴力に、普通の女性は無力だった。
オウリに軽く引かれただけで腕の中に倒れ込み、手を掴まれたらちょっとも動かせない。あのまま抱きすくめられ身体を奪われようとも、カナシャはろくに抵抗できなかったに違いない。そうされなかったのはひとえにオウリの自制心のおかげだ
カナシャにだって、男女のことに少々の知識はある。指に口づけられた時、オウリからカナシャに向けられていた強い欲望はきちんと感じとれた。
「あうぅぅ」
思い出して小さくうめく。指先から伝わったあの甘やかな痺れは、まだまだカナシャの身に余るものだった。
駄目だ、考えすぎてお腹が痛い。それもあってか食欲がない。
オウリはきちんとご飯食べてるかな。
期せずしてカナシャはオウリと同じ心配をしていた。
雨が止めば、あの人はまた旅に出てしまう。体調が万全でないと、何かあった時に困るのだ。
身を守るだけでも大変な世界が町の外には広がっていることを、オウリを通してカナシャは知った。
自分はずっと守られていた。家族と、この町に。そしてオウリにも。
そんなことも知らなかった小娘を、オウリはまだ隣にいさせてくれるだろうか。それとも離れようとするだろうか。
だがその前に、カナシャは自分がどうしたいのかさえわからないのだった。
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