二十九 心は空を飛んで


 オウリは自分にしがみついているカナシャの背を抱いて髪を撫でていた。

 オウリが死んだかもと思ってそんなに心配してくれたというのは、可哀想だけどもぶっちゃけ嬉しい。

 するとハシホラの話を聞いて、指を折りつつシンが数えた。


「十日ってえと、ソーンに行ってた間じゃねえか?」

「ソーン……?」


 やっと落ち着いてきたカナシャはぼうっと顔を上げ、見下ろすオウリとの近さに小さく悲鳴をあげた。のけぞってよろける腕をオウリがつかんで支える。


「またおまえは……」


 ごめんなさい、と呟くカナシャは耳まで赤い。オウリはふふっと笑ってしまった。


「うっわ甘々」

「悪かったな」


 茶化すズミに、オウリは渋い顔で照れ隠しした。奥からカフランが恐る恐る尋ねる。


「えーと、カナシャちゃん。オウリの居場所がわかるってことかい?」

「場所じゃないです。なんかぐったりしてる、とか嬉しそう、とか感じただけで……ねえ、ソーンに行ってたの?」


 ビシッ、とカナシャに問われて、オウリは何故か罪悪感を感じた。

 いやおかしいのだが、内緒で遊んだ現場を押さえられたような居心地の悪さだ。

 うなずくと、カナシャは真っ直ぐに西の海の方を指した。


「て言うと、あっち」

「う、うん。ジンタンの港はもっと北寄りだけど」


 応じて、す、とカナシャの手が北西に動く。そんなもんだな、とシンが受け合った。


「そっちかあ……!」


 悔しそうにぐっと拳を握るカナシャを見て、あ、いつものカナシャかな、と思ったオウリはかなり毒されている。ていうかそっちってなんだ。


「北の岬を回ってアニに行くって聞いてたから、意識を北とか東とかにばっかり飛ばしてたの! 西は考えなかったぁ。なんでソーンなんかに行ってるの」


 文句を言うカナシャに申し訳なさそうにカフランが手を挙げた。


「僕がオウリに悪戯してね、秘密で連れて行ったんだよ。まさかカナシャちゃんがそんな芸当ができるとは知らなかったから。ごめんごめん」


 本人も初めてやったことだ。カフランが知るはずもないが、だから余計な事をしなければいいのだとオウリは内心喝采した。


 しかし意識を飛ばすとはどういうことか。

 方角まで考えてオウリの気配を探すことができるなど、失せ物探し、迷子探しの域を軽く超えている。しかも三十里四十里離れたセンカやホゥラにいた頃のオウリだ。


「方角がわかっていれば、ジンタンのこともわかるのかな」


 ナモイが呟いた。織物商のジャンに巫術について尋ねられたことを思い出したのだ。ハリラムの外にまでクチサキの力は及ぶのか、というあれだ。

 方角を間違えたからわからなくなったのか、ソーンにいたからなのか。


「今度オウリが行ったら、やってみましょうか」

「あまり遠くに飛んでっちゃ駄目だって、ばあちゃんが言ってたろ」


 ケロッと言うカナシャをハシホラが叱る。むう、とふくれるカナシャとハシホラは本当の兄妹のようだった。それを少し冷ややかに眺めていたズミがスッと近づく。


「オウリのホダシちゃんて、きっと可愛らしいんだろうと思ってたけど、予想より元気な子だったな」


 前髪をかきあげてカナシャの顔をのぞきこむと微笑む。髪に隠れていた美しい顔立ちがあらわになって男のハシホラの方が何故かドギマギしたが、カナシャはわあ、と目を見張って感嘆した。


「お兄さん、美人」


 率直にすぎる評価にズミはクスクス笑って肯定した。


「うん、ありがと。でも君にとってはオウリの方がカッコいいんでしょ?」


 艶やかな流し目でカナシャを見つめると、カナシャは頬を赤らめてオウリの背中に隠れた。背中でコクコクとうなずいているのが全員から見えているが、肝心のオウリにも気配で伝わった。


「ズミ、俺達で遊ぶのはやめろよ」


 さすがにオウリにもわかる。わざと顔を晒して、それで恋人そっちのけに見惚れるような女なのかを試しているのだ。なんとも趣味の悪い遊びだった。


「はいはい。よかったね、オウリが一番だってさ」


 オウリはハアア、とため息をついた。そんなことはわかっているのだ、だってホダシなんだから。

 ものすごく傲慢だと思うが、カナシャが他の男になびくとは欠片も心配していなかったことに今さら気づく。自分が他の女に目もくれないのと同様にそう信じていた。

 端から見れば、まあまあ異常だろう。けっこう感じが悪いかもしれない。


「ほらカナシャ、どうせ家に戻らずにこっちに寄ったんだろう。ちゃんと帰らないと」

「えー。うん……」


 オウリはカナシャの背を押して追い出しにかかった。なんとも居たたまれなかった。


 ハシホラも合わせて外に連れ出し、道であらためてカナシャを連れて来てくれた礼を言った。ハシホラは明るく笑った。


「いや、いいんです。すっげえ面白かったんで。オウリさんといるとカナシャが女に見えてびっくりです」


 間髪入れずにカナシャが拳を繰り出すのを、ハシホラは平手でパシッと受けとめた。


「おい……」


 オウリの目が点になる。どう見ても日常的なやり取りだった。カナシャがしまったという顔をした。


「こんな奴ですけど、お願いしますね。あとばあちゃんから伝言なんですけど」


 ニヤリとしていたハシホラが真顔になった。


「オウリさんの前でカナシャがに行き過ぎたら、引き戻してやってください。瞑想に使うお香は持たせてないけど、こいつなら素でできるかもしれないから」


 怖いことを言う。だが地震の時に地面を探っていた姿を思えば確かにやりそうだ。あれが長く深くなり倒れそうになったりしたら、まずいということだろう。


「……どうやって戻せば?」

「手をさすって、耳元で呼べって」


 現実の身体の感覚を呼び覚ませ、と。


「カナシャの周りの人みんなに伝えとけ、てばあちゃんにキツく言われたんですよ。おれにはよくわからないけど、こいつ御クチサキの才能はものすごいから放っておくと危ないそうです」

「ほめられてる気がしない……」


 唇をとがらせるカナシャの頭をオウリはポンポンとした。離れていた分、今日はたくさん触れたくなる。


「ほめてるけど、心配なんだろ。さあ、テイネさんとリーファさんによろしくな。また後で」


 後で、と言われてカナシャは渋々帰っていった。

 そりゃあ、ある。オウリだってカナシャと会いたいし、渡したい物もあるのだ。


 しかもさっきは公衆の面前ですがりつかれたのだ。人目を憚って軽く抑えていたが、本当はギュッと抱きしめたかった。後で二人で会えたら試してみてもいいだろうか。

 向こうから仕掛けてきたのだから、そこは男心をわからせたいところだった。






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