二十三 茶館


 次に立ち寄ったのは薬問屋だ。

 ソーンで発達した医術も、少しずつハリラムに取り入れられている。長年の貿易やツキハヤが取り寄せた医術書などの成果だった。


 ハリラムで培われた療法に必要な薬はもちろんハリラム島内で調達できるのだが、ソーン由来の処方にある生薬は、人参にんじん阿膠あきょうなど輸入しなければならない物も多かった。そういう薬を買い付けるのである。

 カナシャの父テイネが商会の取り引き相手だと言っていたが、こう説明されると納得なのだった。


 ナモイは細々した書き付けを見ながら、シンの補助を受けつつ自分でもソーン語を操っていた。

 扱う物が専門的すぎるとシンだけに任せておけず、自分で確認しないと気が済まないのだという。


「さて、そろそろ休憩するか」


 飲食店が並ぶ辺りまで戻りながら、慣れない言葉を使って疲れたナモイが頭を回した。首がコキッと鳴る。


「ご苦労様です」

「おまえ達も十年、十五年すれば、くたびれたおっさんなんだぞ」


 笑いながら労うラハウに、ナモイは抗議した。

 というと三十代真ん中だったのか。カフランも含めこの悪戯っ子達は若々しくて年齢不詳なのだ。

 オウリは更に年上を引き合いに出した。


「それ、アヤル商会のアラキさんに言ったら笑われますよ。あの人はさらに十ぐらい上だから」

「やばいな」


 もうさすがに近距離の商売を担当することが多いが、精力的に各地を回っていてとにかく顔が広いのは知っている。さすが、脚で稼ぐサイカ商人だ。ナモイは肩をすくめた。


 彼らは上品な佇まいの一軒の茶館を選んだ。

 入ってみると、ズミの優雅な微笑みにあてられた店主が

「個室になさいますか」

と訊いてくる。笑って断り、他の客もいる所で卓を囲んだ。それでも卓ごとに衝立で軽く仕切られているので充分だ。


「市井の雰囲気を楽しんでいるので、つっておいたぜ」

「そりゃやりすぎだ」


 シンのとんでもなく誤解を招く言い方にナモイが頭を抱えた。


「なに、僕ハリラムの王子なの」


 ふふん、とズミが小首を傾げ、衝立の向こうからこちらを覗いた隣の卓の女性にツイ、と流し目を送った。相手はきゃあ、と小さく悲鳴を上げて引っ込む。


「いい年して、きゃあ、じゃないよねえ」


 毒づきながら微笑みは絶やさない。言葉が通じないのをいいことに腹黒さ全開のズミだった。

 こいつはこういう奴だったのか、とオウリは目を閉じた。思い返せばちょいちょい皮肉っぽかった気もする。


「ズミは喋らなきゃ王子なんだがな」


 もう慣れているナモイが店主を呼んだ。茶を飲み比べてみたいと通訳してもらう。


「だったらこの辺りでしか飲めない珍しい茶があるが飲むか、てよ」


 保存や輸送がしにくい仕上げなのだそうだ。新茶ではないのでお安く味見して頂けます、と言われて、ではそれも、となった。


 まず出されたのは普通の抹茶だった。店主手ずから茶筅ちゃせんを使い目の前で淹れてくれる。

 青い香りだが臭みはない、なるほど良い茶だ。

 オウリがじっくり味わっているのを他の四人は知らぬふりで待っていてくれた。

 店主もまさか、護衛じみたこの男が生産者目線で茶を吟味しているとは思うまい。


 次の茶は、急須で運ばれてきた。

 蓋を開けてみると、湯の中で葉のままの茶葉がゆらゆらと揺れている。


「これはまた……薬湯のような」


 かれ、固められ、削られ、られた茶しか飲んだことのないオウリ達は目を見張った。

 店主によると、これは薬湯のように煎じるのではなく、茶葉の上に温めた湯を注いでじっくりと味と香りを引き出す淹茶えんちゃというやり方だそうだ。水で出すこともできるという。


 急須から注がれた茶は、透き通る緑色だった。

 器を手にすると、ふわっと甘い香りがした。胸いっぱいにそれを吸い込んでから、一口含んでみる。


「ふう……」


 ズミが感に堪えないというため息をつき、それを見て店主が満足の微笑みを洩らした。

 オウリは何も言わずに味わっていたが、内心で打ちのめされていた。


 これが、本来の茶の葉の味なのか。

 馥郁ふくいくとした甘さ。すうっと沁みる上品でかぐわしい木の香。なんの雑味もない後味。

 何口かゆっくりと飲んで、オウリは椅子に沈み込んだ。ナモイが振り向く。


「どうした」

「……この茶葉、少しだけでもわけてもらうわけにいきませんかね。実家に持って行きたい」

「……ああ、そんな感じか」


 面白がられているのも構わずオウリは最後の一口を口に含み、飲み終わった器の残り香まで聞いた。


「どういう加工をしてるのか訊けますか。ああマジかあ、これ」

「あ、オウリが壊れたよ」


 うめくオウリを見てズミが楽しそうだ。それでもシンと一緒に店主から話を聞き出してくれた。

 どうやら摘み取った若葉をそのまま天日でゆっくり干すらしい。かなり乾いたところで竹の焙籠ほうろうに広げ遠火で焙り水気を飛ばす。


「それだけ、か」


 皆がきょとんとなった。そう聞くと普通の団茶よりも手が掛かっていないように思える。

 だが干すにもえらく時間がかかるし、重なって蒸れると臭いが出る。焙りも過ぎると竹の香りが移ったり香ばしくなったりする。

 絶妙に管理した職人芸なのだそうだ。しかも最低限の加工で済ませている分、保存や輸送で変質するのだという。


 しかしズミが所望すると、そんなにお気に召したのなら、と茶葉はわけてもらえた。

 箱にそっと詰めた状態で、なるべく日にあてず、暑くせずにお持ち下さいと言われる。ありがたく、補佐官ナモイが捧げ持った。

 今年の新茶が出来た時にまたいらして下さい、と丁重に見送られて、一行は茶館を後にした。


「どうよ、オウリ。僕の顔も役に立つでしょ」


 宿に向かいウキウキと軽い足どりのズミにオウリは応えなかった。今得てきた知識をどう生かすか、考えが止まらないのだ。

 パジに戻ったらすぐにイタン村に行かなくては。


「あの店主、ズミを完全に貴族みたいに扱ってたな」


 心ここにあらずのオウリの代わりにラハウが褒めてやった。完全に上の空の様子のオウリはいっそ見ていて面白いので、ズミも肩をすくめて許した。


 今日はなかなかの収穫だった。

 絹の袋物、薬、茶。概ね予定は済ませたのだが、帰りの船便は数日先である。

 ソーンの文物に初めて触れるオウリの着眼点はやはり新鮮なので、もっと何かしら見せられないかとナモイは考えていた。商売や事業の手がかりを得られるかもしれない。


 そんなこんなで宿の近くまで来た時、後ろから急ぎ足に近づく者があった。考え事をしながらもオウリは反射的に帯の左に挟んだ短刀に手をかけていた。

 一行が振り向くと、追ってきた男は頭を下げ、胸の前で両手を合わせて挨拶した。意図はわからないながら、やはり目標はオウリ達だったようだ。

 裕福そうな身形みなりをして、従者を連れた壮年の男だ。


「紹介もなく声をかける不躾をお許し頂きたい。ハリラムからお越しの方とお見受け致しますが」


 通訳がなくても丁重な態度で敵意がないのがわかって、一行は緊張を解いた。







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