二十二 栄華の裏と表
次は裏通りを見せてやろう、とナモイは横道に折れてずんずん歩いた。
街は南を向いて四角く作られていて、南北に伸びる中央大通りから東西に離れるほどに建物は汚れ、くすむ。
人の姿もどんどん動き易く簡単な服に変わっていき、とうとうぼろを着て道端にうずくまる子どもが見られるまでになった。あまりの落差にオウリは眉をひそめた。
「な」
ラハウが虚飾、と思うのはこういうことだ。
シージャにも親のない子、飢える子がいないわけではない。だがこうもあからさまに、
「足を止めるな。広い道から逸れるな。からまれないように、戻るぞ」
もういいよな、とナモイが
各々隠して武装しているが、できれば揉め事は起こしたくなかった。歩きながらナモイは話した。
「ジンタンの近郊には、官営の貧民救済院なんてものもあるんだが」
そこにすらたどり着けない弱い者がたくさんいる。たどり着けても、果たしてそれで救われるかといえば疑問が残る。下手をすれば労働力として使い捨てられて終わりかもしれなかった。
制度として存在しても機能しきれないのは運営するのが人だからだ。
慈悲の心、施しの心は次第に「たすけてやっている」という驕りと見栄に変わる。その趣旨から外れ、救済することで利を得ようとし始める。
「おれは、ああなってたかもしれねえんだ」
痩せ細り目ばかり光らせている子どもを横目で見て、シンが吐き捨てた。
船の町センカに助け上げられたおかげで、同じ船乗りのよしみで子どもにもできる仕事をもらいながらなんとか食いつないだ。
最初にこの大きな街に放り込まれていたなら、誰に顧みられることもなく死んでいたかもしれない。それなら海に呑まれていた方がマシだっただろうとシンは思う。
ハリラムではまだ、助け合うという生き方が成り立っている。それは明日は我が身かもという恐れからくるものかもしれなかったが、少なくとも棄民は発生していなかった。
だが飢饉になれば、それもどうなるかわからない。そういう事態を避けるために、一商人としてできることはしようとここにいる面々は思っていた。
「商うっていうのは、売るんじゃない、物を動かすことだとアヤル商会で最初に言われたな」
オウリは思い出して言った。
物のある所からない所へ。そして物が余っている時からなくなった時へ。場所、あるいは時間の上で物を移動させ、その手間賃をもらうのが商人だと。
その前と後で関わる人、売り手と買い手双方に利があるから商いは成立する。商人だけが利をむさぼり、周りが損をしてはならない。皆の得になるように考えろ。そうアヤル商会では教える。
「何もできない子どもだからと切り捨てればその子は死ぬだけだけど、生かせば大人になってから売り手にも買い手にも、船乗りにも通訳にもなるんだよな」
「おうよ」
シンがニヤリとしたが、ラハウは渋い顔で遠くを見た。
「才覚のあるシンはいい。俺もオウリも、強いから仕事を選べた。だが弱い者はどうにもならん」
それは誰のことだろうか。ズミが訳知り顔を隠すように横を向いた。なんとなく訊いてはいけないような気がして、オウリは黙るしかなかった。
柔らかく淡い緑の衣を着て、今日のズミはご機嫌で歩いていた。
腰巻をゆるりと茜の帯で締め、小珠の首飾りを色とりどり何連にもシャラシャラと鳴らす。泥染めの深い黒の
そして最も普段と違うのは、前髪をあげて後ろに編んで結び、整った顔を惜しげもなく晒していることだった。
道行けば街の女達からため息が洩れ、それに艶然と微笑みを返している。
「どこかの王子さまみたいだな」
「それが狙いだけど、ノリがよすぎるぜ」
オウリが呆れて呟き、ラハウが苦笑いした。
そう言う二人も泥染めの方衣を揃いで着せられている。赤、黄、青、白の糸で花菱が刺繍されていて華やかだ。
体格のよい二人がお仕着せで付き従っているので、まるきり貴人と護衛のように見える。
ナモイも濃淡の泥染めで全身を揃え年齢なりの落ち着きをかもし出すと、有能な補佐官めく。ただ陸に上がってしょぼくれたシンは、同じお仕着せでも少々チンピラ風味が増してしまっていた。
何故こんな格好をしているかというと、街を歩いて舐められないように、だ。
薄汚れた連中が店に入っても高級品は見せてもらえない。なのでたまに異国の裕福な子弟風の装いで出かけるのだという。
逆に柄の悪い場所を探りたい時は海賊風にしてみたりするとシンが生き生きする。商品だけではなく情報を集めるのも重要な役割なのだ。
「オウリ、行ってみたい所はあるか?」
初めてジンタンを訪れたオウリにナモイが訊く。オウリはしばし考えて答えた。
「茶を飲んでみたいんですが」
できれば良い物を。高級な茶を作れと言われているのに、ソーンで高値をつけられている茶を知らないのが引っ掛かっていたのだ。
「なるほど、それがおまえの仕事だったな。じゃあ後で茶館で休憩しよう」
今はまだ街に出たばかりで、お茶にするには早い。なのでズミの要望で
「言っとくが、買わないぞ。絹はシージャの気候に合わん」
「わかってるけど、僕、綺麗なもの好きなんだもん」
釘を刺すナモイにズミが唇を尖らせた。
水洗いに弱く日光で黄変する
「あ、ほら袋物があるじゃん。小物入れとか櫛入れとか、絶対女の子が好きだから少し仕入れようよ」
服を仕立てた残りの端切れで作る小袋は確かに美しかった。
微笑んで手に取るズミに店の者が何か言った。シンが通訳したのはその値段だった。まあまあ高い。
「高くて売れなかったら僕がタオに行ってさばいてくるよ」
「娼館でか」
ラハウが渋い顔をした。
「春をひさいだ金をそんな物で巻き上げるのは俺は好かん。要らん物など買わせるな」
「わかってないなあ」
ズミは挑発的な目をした。口角を上げて笑顔を作るが、全体的に笑っていない。
「そうして手にしたお金だからこそ、綺麗で可愛くてお気に入りの物にして持っておきたいんだよ」
そんなものなのか。オウリには女心などわからないが、ナモイは渋々了承した。ズミが売り捌けると断言したからには出来るのを経験から知っている。
嬉しそうにヒョイヒョイとズミが選んだ品をまとめて、シンが幾らか値引きさせていた。
オウリは売り物に施された刺繍を興味深く眺めた。可憐な草花も優雅な大輪の牡丹も表現されている。こんな刺繍はソーンに来て初めて見た。ズミがニコニコする。
「綺麗でいいよねえ」
「こういうのは麻布じゃ刺せないのかな」
ハリラムでは麻や
「さあ? 絹物しか見たことないよ」
「パジで作れたらな。刺繍が得意な者にこういう風に刺せるか依頼してみようか」
まったく同じとはいかなくても、それはそれで試してみてもいいかもしれない。売れる商品を作り出して産業や職人を育てるのもまた商売のやり方だ。
ふむ、とナモイが顎をなでた。
「だが刺繍職人に嫌がられないか」
「熟練者は変化を嫌いますから、若い者に話を持っていってみましょう。一人心当たりがあります。ま、シンをどついた子なんですけどね」
「はあ?」
ニヤッと笑ったオウリにシンが嫌な顔をした。だが実際に、フクラの刺繍の腕は確かなのだった。
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