二十四 織物商のジャン
商会の一行を呼び止め、ソーンの言葉で話しかけた男の口調はしごく礼儀正しかったのだが、シンはその内容だけに絞って訳した。
「ちょっと失礼、ハリラムから来たんだよね、つってるんだけど」
「なぜそんな、いいかげんなこと言いますか。旦那さまは、ていねいに話してます」
相手の従者はルー・ウェイという。通訳を兼ねていて、シンの適当な訳に猛抗議した。
内容さえ合っていれば気にしない、と暗黙の了解ができていたので全員が苦笑してしまった。
「わかってますよ」とナモイがソーン語で応対して、ちゃんと聞き取れている人が他にもいるのなら、となんとか納得してもらう。
男はジャン・タイフェンと名乗った。ジンタンで織物業を営んでいるという。
ジャンは商売ではなく、個人的な問題でハリラムの知識が欲しいのだそうだ。話を聞いていただけないか、と食事に招待された。
こちらはただの商人にすぎない、お役には立てないと思うと言ったが、もう藁にもすがる思いなのです、とルーからもお願いされた。
「どうせどこかで飯は食うんだし、いいんじゃね?」
シンが言い出した。まあ危険ではなさそうだ、と皆が同意して、ぞろぞろお呼ばれすることにした。
料理屋に入ると個室が用意された。席につき、さっきの茶館もそうだが、室内で椅子を使う習慣はハリラムにはないので変な感じだとオウリは思った。
「薬屋からあなた方が出てくるのをお見かけして、声をかけたいと思いついたのですが、通訳を呼びにやっていて見失いまして」
ジャンは頭を掻きながらズミを見て笑顔になった。
「目を引く方がいらっしゃるので探し出せました」
「なるほど、本当にズミの顔は役に立つな」
ナモイが笑った。
冷製の前菜と
食事が始まってジャンは切り出した。
「私の妻が、病気なのです」
体調がおかしくなってからもう四年以上経つそうだ。
寒い朝、指の先が真っ白に血の気を失ったのが最初だった。それから手足の先がこわばるようになり、次第に皮膚も硬くなっていった。その症状は徐々に広がっているという。
医者は何人も呼んだ。皮膚を柔らかくする塗り薬を出されるが良くならない。何かの呪いではないかと祈祷師も紹介されたが、効き目はなかった。
「ハリラムではこんな病気はないでしょうか。ソーンの医者が治せないのなら、どこの医術でも縋ってみるしか手がないのです」
食べながら聞いていた五人は記憶をたどって、う~んとうなった。身近に聞いたことはない、と思う。
それはそうと、揚げた魚の野菜餡掛けが旨い。旨い飯の分はきちんと相談に乗らなければならないだろう。ナモイが尋ねた。
「それは皮膚病なんですか」
「皮膚症状以外では、寒い時期は特に体が強ばって動かしづらいようです。季節の変わり目などには熱を出して寝込みます」
「皮膚病なら、ハリラムでは温泉に入ったりもするね。温泉であったまれば寒い季節もいいんじゃないかな」
青菜を添えた煮込んだ豚肉も旨い。
旨い飯で気分が上がったズミが提案すると、湯治はジンタンにはない考え方だったのでジャンは乗り出した。
「温泉は聞いたことがありますが、この近くにはないです。ハリラムには多いのですか」
ルーも熱心に通訳する。主人思いの忠実な従者のようだ。
だがただの皮膚病ともいえなそうだし、病人を異国に連れて行くのは難しい。まずソーンの中で探してみます、とルーは真面目にうなずいた。
ハリラムで行われている皮膚炎の治療法も訊かれたが、さすがにわからない。五人共、経験したのは虫刺されや切り傷擦り傷の治療ぐらいだ。薬問屋にいたのは指定された生薬を買うためであって、その使用方法の知識があるわけではない。
ジャンは残念そうだったが、では独自の巫術などはありますか、と切り口を変えてきた。本当に何にでも頼りたい心境のようだ。
「巫術、というと……なあ」
皆がオウリを振り向いた。
ハリラムでそれは、クチサキにあたるだろう。クチサキを嫁にもらう予定の男がここにいる。視線を受けてオウリは慌てた。
「いや俺にはカナシャのやってることはわからないんですよ」
確かにクチサキは病気平癒の祈祷も行う。不調の原因を神に尋ね、先祖をきちんと祀っていないからとか、毒気に当たってしまう行動はこれだったとか指摘してくれる。らしい。
オウリは祈祷してもらったことはないし、カナシャがしているかも知らない。彼女は修行中の身で、まだ子どもだ。たぶん失せ物探しぐらいしかしていないだろう。
いつも島の精霊だか神だかわからないモノ達を感じているようだが、それがどう病気を治すことにつながるのかはわからない。
オウリはよく考えながらまとめて伝えた。
「独自の巫術はあります。病を治すために祈ることもします。でもそれは島の土地神と強くつながっている力なので、島を離れても祈れるのか、俺は知らないんです。島の外で得た病に効くのかも、やってみないとわかりませんし」
「そう、ですか……」
ジャンは力無く微笑んだ。その妻のことをとても大切にしているのだろうことがよくわかる。できれば力になってあげたいが、やはり専門知識が足りなかった。
「妻が、あまり顔を見せてくれないんです」
ジャンが悲しそうに呟いた。
顔にまで症状が広がり、こわばって表情が動かないのを厭って頭に
恥ずかしがることなどない君は変わらないよ、と言ってもむしろ泣かせてしまう。
具合が悪くても何も言わず臥せって天蓋を下ろしたままになり、もうどうすればいいのかわからない、とジャンは困り顔で苦笑した。
そのジャンの強がりに、ラハウがうっかりとどめを刺した。
「奥さんに、笑ってもらいたいんですな」
ルーの通訳を聞いて、ジャンはハッと目を見開いた。その目にみるみる涙がもりあがり、ポトリと落ちる。慌てて上を向き目を押さえるが、なかなか止まらなかった。
あ~あ、という顔でズミがラハウを睨んだ。泣かせた当人もひどく恐縮する。ズミは仕方なく尻拭いすることにした。
「奥様、人前に出たくなくなって家にこもってるんじゃない? 気晴らしに引っ張り出してあげるのがいいよ。ほんとに温泉にでも。旅に出て美しい景色を見れば気持ちも和らぐから」
ジャンは何度もうなずきながら、いい年をして突然泣いてしまった非礼を詫びた。
とんでもない、奥様を思うお気持ちは素晴らしいことですね、と美しく訳すルーの言葉と共に優しく微笑むズミは、まさに王子の風格だった。
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