二十 花石の首飾り
寄港地センカに着いた時にはもうオウリはヘロヘロだった。船を
途中で堪えきれずに一度吐いた。もちろんナモイの忠告通り海にだ。
だがその後はぐらぐらする頭に鞭打って操帆をズミと交代もした。
「なかなか根性あんじゃねーか」
船を下りたシンが肩を抱いてニヤリとする。こいつ、わざと荒っぽく操船したんじゃなかろうかという疑惑がオウリの心にわき上がった。
シンは海の民なのだそうだ。
海の民といってもそういう民族部族がいるわけではない。周辺各国の沿岸住民のうちの船乗りに特化した者達が海賊化しただけのことで、一つの集団が多国籍多文化で構成されていることも多い。
シンもそんな一団に生まれ育ったらしい。おそらく、という前置きつきだが、母親はソーンの、父親はシガンの人間だろうとシンは言った。その二つの言葉を使って暮らしていたからだ。
はっきりしないのは、シンが十一の年に船が難破したせいだ。板にしがみついて漂流したシンは別の船に助けられたが、父親は行方不明、母港の家にいた母親がどうしているかはわからないという。
「シガンは島だらけだからな。探そうとかいう気も起きねえよ」
センカの桟橋のすぐ前の船宿で夕食をとりながらシンは言う。オウリもなんとか食べられる程度に回復していた。今のうちに食べないと明日がもたない。
シンの記憶にある家は、どこかの島のひっそりと小さな港だった。
今でもその景色を見ればわかるとは思うが、海賊の港がどこにあるかなんて触れ回るものではない。逆に大きな港の一部を金で買って堂々使う場合もあるが、そういう一団ではなかった。
そんなわけでシンの出自は不明のままだ。
このセンカは船のために作られた町だ。船乗り、船大工、船宿、倉庫業者が集まる交易のための珍しい町なのだ。
海から救いあげられたシンはそこに連れてこられた。
他にどうしようもないのでセンカで一人なんとか生きようとし、その後カフランに拾われたそうだ。船に関する知識と技術、ソーンとシガンの言葉を解するところを買われたのだ。
「シガンの言葉ってのはアニのと似ててな」
アニ族は北の島々から渡ってきたという伝承は正しいのかもしれない。
アニとソーンの通訳ができ、航海を知るシンはカフランにとってうってつけの人材だったのだ。シンは得意気に胸を張った。
「じゃあアニではシンが頼りだな」
「おう。でもおまえもアニに行ったことはあるんだろ」
「通訳は別にいたからさ。俺は山越えの荷運び要員だ」
「げ」
シン以外の面々も振り向いた。ズミが前髪の下で、信じられないという顔をする。
「山って、ヤロア連山? あれを越えるの?」
「サイカからアニならそれが近道だろ」
山頂を越えるわけではない。山間を抜ける道がいくつかあるのだが、それでも険しいのは確かだ。
そこを
平地と海の移動に慣れたシージャ商人からすると正気ではなかった。ラハウが眉間に皺を寄せてうなった。
「近道……近い、のか?」
「サイカ商人は脚で稼ぐとはいうが、比喩じゃないんだな」
ナモイも知ってはいたが、自分がやりたいとは思えなくて首を横に振った。
まあとにかく、今日一日でオウリが胆の据わった奴だということがわかった。
海に慣れていない男が船の傾きを起こせと言われて、瞬時に海上まで身を投げ出すのはなかなか出来ることじゃない。オウリがもたもたしていたら帆縄を任せてラハウが飛び出すところだった。
カフランの酔狂でヒョイと連れて来られる人材がたまにいるのだが、得体が知れるまで周囲は疑心暗鬼なのである。まだ十二歳でシージャの言葉の方が不得意だったシンなどその最たるものだった。
オウリがサイカ商人としてそれなりの経験を積んできたらしいことが判明して、皆が安心したのだった。
翌日の航海はまだまともだった。
北上して岬を回り、南下する。風も海流も変わるため速度は出せないのだ。ただ、風上に向かいたい時に進路を斜めに切り返しながら進む、
「ね、鬼みたいな指示がくるでしょ」
ズミがブーたれながらテキパキ動く。なんだかんだ言って仕事はする甘えん坊のようだ。だからシンと組まされるのだろうな、とオウリは内心おかしかった。
ホゥラに着くと、まずは荷を下ろし買手に引き渡す。これで一安心して町に出られる。荷ごと船を盗まれるなんて間抜けなこともわりとあるのだから。
ここはアニ族の北の玄関口だ。町中で聞こえてくる言葉が変わるのがそれを実感させる。人々の服も長い上衣一枚を着る形に変わった。
この町にはシガンやソーン、さらにイパなどとの貿易のため、輸出用の石材が集まっている。大きな石材は石屋の倉庫に保管されているが、町の市の店にも小さな石の細工物が並んでいるのが珍しかった。
小物や練り膏の類いを入れられる蓋つきの容器。
様々な色の御守り石。
魔除けの蛇を彫り込んだ石板は玄関に飾るものだ。
だがオウリが目をとめたのは、花石の
薄紅のこの石はシージャではあまり出回らない。大きな花石は高価だが、欠片を磨いて穴をあけた装身具用の珠ならばオウリでも買える。カナシャに贈るのはどうだろうか。
「なんだ、彼女にやるのか」
オウリの思案顔に気づいたナモイが面白そうにする。ホダシ持ちなんて珍しい者の行動に興味はあった。
シンが横から口を出す。
「この店は好きな石を選んで首飾りとか腕輪にできるってよ」
「そうなのか」
じゃあ、とオウリは考えた。首飾りにしよう。
濃いめの花石を真ん中に、両脇に淡い色の花石を一つ並べる。そこからは石ではなく、ヨクイの実の薄茶と白を交互につないでもらう。
シンに通訳してもらいながら出来上がったそれは、派手ではないが、まだ少女のカナシャにはよく似合う可憐な飾りになった。
よく着ている
「なに笑ってんだよ」
シンが薄気味悪そうにする。不粋なことを言うな、とラハウがどついた。
「おまえも好きな女でもできればわかるだろうよ」
「僕は好きな女なんかいなくったってわかるけど。その首飾りからすると、可愛らしい感じの子なんだ。僕にも今度ホダシちゃん見せてよね」
ズミがニコニコと言った。ナモイとラハウがちらりと顔を見合わせたが、オウリはもちろん、と返事した。
カナシャはどうせまた商会にぶらっと顔を出すに決まっているのだ、その時には紹介して当たり前だ。
代金を払って、受け取った首飾りを懐の物入れに大事にしまう。
帰ってカナシャにこれを渡したら、どんな顔をするだろう。喜んでくれるだろうか。
帰りはちょうどその頃のはずだった。祝いの品としても申し分ない物ができて、オウリはご満悦だった。
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