十四 つながる


 夕刻近くなって、オウリは御杜オムイへと急いでいた。カナシャなら、家ではなくこっちで待っているだろうと思う。


 商会の裏で、桶に汲んだ水で身体も頭も念入りに流して拭いた。服も着替えた。自分でも人心地ついて、カナシャに会う自信を取り戻す。

 せっかく一緒に居られるのだから、なるべく近づきたいのが男心というものだ。


 ゆくゆくは嫁に、との合意はあるが、今のところ初っぱな発作的に両手を握ったのと、向こうから耳を塞がれたのが最接近記録だ。

 もっと手を繋ぎたいし、肩を抱きたいし、腰に手を回したいし、髪を撫でたいし、頬に触れたいし、口づけだってしたい。悪いか。


 その辺りまでなら結婚前にしても構わないものだろうか。オウリはわりと真剣に検討した。

 ただ相手がカナシャだという点で、段階を踏んで慣らしていかないと驚いて逃げ出されそうな不安があった。

 心も子どもだし、身体も成長途上だ。背もまだ伸びるだろうし、凹凸の少ない体型も段々丸みを帯びるだろう。もちろん、月のものも来る。

 そこまでゆっくり待つつもりだが、待ちながらも間を詰めていく努力はしようと思っていた。



 人が少なくなり向こうに御杜が見えてもカナシャの姿はなかった。間違えたかと不安になったが、さらに近づくと声が聞こえた。


「オウリー!」


 オウリの背よりも高いガジュマルの枝に腰掛けて手を振る笑顔にホッとするが、残念にもなった。

 あいつ、本当に木登りしてやがる。

 駆け寄ると、カナシャはヨッと脚を振って勢いよく飛び下りた。


「おま……ッ」


 慌てたが、綺麗に着地する。これはいつもこうしているに違いない。カナシャは軽やかに立ち上がると、にっこりと笑いかけてきた。


「お仕事おつかれさま」

「……もう、今のやらないでくれよ」

「え、どうかした?」

「脚が見える」


 裾が翻って白い太腿が覗けていた。

 今さら腰巻を押さえられても困ってしまい、オウリはにやける口もとを手で隠して目を逸らした。


「ごめんなさい……」


 飛び下りないとすると、幹や気根きこんを使ってヨジヨジと下りることになる。そっちの方がよほど脚が出そうでカナシャは絶望した。

 それではもう木に登れないが、脚を見せるわけにもいかない。大人しくするというのは難しいものだ。

 オウリはしょんぼりしたカナシャの肩にさりげなく手を置いた。


「元気そうなのは嬉しいんだぞ」

「オウリも無事に帰ってきて、嬉しい」


 きらきらとした目で見上げるのが可愛くて、オウリは幸せをしみじみ噛みしめた。

 無事にと言われると、一昨日おととい人ひとり殺したような気がするが、オウリ自身は無事なのでまあよしとする。


「またどこかに出かけちゃったりする?」


 少し心配そうにされたので一歩近づいて、ついでに手を背中に移してみた。


「まあ、そのうちな。まずはカフラン商会がどんな取り引きをしてるのかとか、勉強してからだ」

「そ、そう」


 カナシャがモジモジし始めたので、今はここまでにする。手を離して少し下がり、顔を覗き込む。

 ホッとされるのが何だか悔しい。


「カナシャはどうしてた?」

「えーと、家の事とか、縫い物とか。あ、三日ぐらい前にすごくオウリに会いたくなったの。その時はここに来ちゃったな」

「え」


 恥ずかしそうに言われたが、心当たりがあってオウリは焦った。


「……たぶんそれ、俺が村の御杜に行った時だと思う。家族にカナシャの事を話した後、すごく会いたくなってさ」


 思う気持ちは本当に飛ぶのか。二人は何故惹かれ合うのか。

 さっきだってそうだった。オウリは商会に着いてすぐ、声が聞こえたとかでなく胸騒ぎで外に出たらカナシャが来ていたのだ。

 なんだか照れてしまったオウリだが、カナシャはパアッと明るい笑顔になった。


「オウリ、わたしに会いたいって思ってくれたんだ」

「いや、そりゃあ、思うよ」

「嬉しい! そんなのわたしだけかなあ、て心配してたの」


 ぴょん、と跳びはねるカナシャがオウリの腕に一瞬だけ手を触れたのは、たぶん無意識だろう。

 背中に手を回しただけで赤くなるくせに、どうしてそういうことをする。くそ、抱きしめてやりたい。


「しばらくは一緒にいられるといいな。わたしまだ、オウリのことあまり知らないんだもん」


 黒い石垣に囲まれた御杜の中を踊るように歩くカナシャを眺めながら、オウリは触れたくなる衝動に耐えていた。


 細い足首。ちらりと見えるしなやかなふくらはぎ。

 伸びた背筋。木漏れ日を見透かして傾げる首。

 風に揺れる垂らし髪に、くるくると変わる表情。


 欲目なしに見て、絶世の美少女ではないだろう。なのに何故、こんなに可愛らしくオウリの目に映るのか。


 出会って半月もたたない、ただそれだけの少女。


 まだよく知らない、愛おしいカナシャのことを、一生かけて知り尽くし寄り添っていくのだろうとオウリは感じた。

 それは予感などではなかった。ただ、そうなのだとわかったのだった。


 晴明な御杜の風が、ひらりと差しのべたカナシャのてのひらから零れ落ちていく。

 二人が絆し絆された春の陽光は、暖かく青年と少女に降り注いでいた。カナシャはオウリを振り向いて、はにかんで笑った。





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