十二 応戦


 アヤル付近で合流し大きくなったトコリ川に沿う街道を下っていくと、パジの町までつながっている。

 サイカの領域内はまだまだ山間で所々に急流もあるが、進むにつれ流れの緩やかな場所が多くなる。周囲の森にヤシやソテツが増え、気温も上がってきた。

 今日は雲が厚くなってきていて、今にも降りだしそうな湿った風が早足のオウリにまとわりついて蒸し暑かった。


 サイカからシージャ、違う部族を結ぶ道とはいえそれなりに往来があるので、街道には村ごとに宿はあった。

 もちろんその本業は農家なので宿といえど寝かせてもらえる程度のものだが、それだけでも御の字である。

 今日はどこまで進めるだろうか。オウリは足を止めて竹筒から水を一口飲んだ。


 水筒を帯にくくり直しトン、と足を踏んで鈴を鳴らすと、オウリは静かに呼吸した。

 どうやら、後を追ってくる者がいる。

 足結あゆいの小鈴は鳴っていないが、藁編わらあみのくつの足音がずっと後ろから聞こえていた。

 オウリがしばらく足を早めるとついてこれないのか遠ざかったが、今立ち止まっていたら小走りで追ってきた。そこで試しにわざと鈴音をたてると、慌てたように足音は止まった。

 どう考えても尾けられている。

 知らぬ振りをして歩き出しながら、オウリは帯に挟んだ短刀と小刀を確認した。弓は持っているが、一対一の近接戦で使うものではない。


 しかし目立った荷もなく一人で歩く旅人を何故狙うのか。

 商会から出たところを見られて金を持っていると思われたか、何か重要な情報を運ぶ飛脚とでも勘違いされたのか。

 物盗りや人殺しを生業にする者にしては足が遅いので、何か事情があるのかもしれない。


 どうしたものかなあ。

 オウリは面倒くさそうにため息をつき、天を仰いだ。

 隠れてやり過ごそうにも一本道だし、速度を上げて撒いたとしてもパジまで探しながらついてくるかもしれないし、ろくなことにはならない。

 やはり対峙するのが早いだろうか。顔を見せて向き合って、相手が勘違いだったと素通りしてくれればよし、何か尋ねてくるなら答えればよし、襲ってくるならば返り討ちにするだけのことだ。

 しっかりした体格が特徴のサイカ族の男の中でもオウリは大きい方だし、荷運びで体を、旅で脚をさんざん鍛えている。よほどの手練れが相手でなければなんとかする自信はあった。そしてこの尾行者はオウリについてこれない程度の足弱だ。

 仕掛けるか。


 オウリは下草の少ない場所を選んで脇の森にひょいと入った。できることなら藪になど入りたくないのに。命にかかわる毒持ちの蛇なども生息しているのだ。

 草むらに辟易しながら弓と荷と簑を置くと、足結いを外して音を消す。大きな木の幹に隠れて自分を追っている者を待った。


 小鈴の音が絶えたことで、相手はオウリが立ち止まったと思うだろう。様子を伺うために静かに近づこうとしても姿が見えないので探しに進んで来るはずだ。そこでこちらからは向こうがどんな人物なのか確認できる。


 来た。

 ザッザッという足音を消そうともせずに、その男はキョロキョロしながら通り過ぎた。

 背は高いが痩せた、姿勢の悪い男だ。歩く度に左右に揺れるのは何かの病か、怪我の後遺症かもしれない。あれでは早く歩けまい。顔はわからなかったが、その姿に見覚えはなかった。


 オウリはそっと道に出た。やり過ごしてもいいのだが、藪にいたくない。人間よりも自然の方が恐いのだ。

 いつでも応戦できるように、短刀が革製の鞘からスルリと抜けるのは確認済みだ。


 男はしばらく行ってからやっとオウリが後ろにいることに気づいた。

 ギョッとして振り向いたその顔は、右目が潰れていた。傷は治っているが、こけた頬と相まって痛々しい。だが憎々しげな表情のせいで嫌悪感をそそる見た目だった。


 一瞬戸惑った男は開き直ったのか、少しだけ駆け戻りオウリから距離を保った所で叫んだ。


「おまえ、ラオの所に行くんだろう!」


 尾けてきた目的は、何かを尋ねる方だったようだ。問答無用で襲われるよりはいいが、これはこれで戸惑う。


「……ラオ?」

「とぼけるな、あいつから聞いただろう。ラオはどこに居る」


 男は威嚇するように歯を剥いた。褐色に染まった歯。きっと檳榔ビンロウの常習者だ。

 檳榔は高揚感が得られるそこそこ高級な嗜好品だが、中毒性がある。アヤルだと賭博や何か、あまりよろしくない界隈の連中が嗜んでいた。この男も、つまりそういうゴロツキだということだ。


 しかしラオとは誰なのか。普通にある名だが、最近関わった記憶はない。


「俺はラオなんて奴は知らない」

「しらばっくれてんじゃねえぞ、このガキ!」


 ガキ扱いされたのは久しぶりだった。

 男が激昂して殴りかかる。オウリはスイ、と避けた。

 それなりに鋭い拳。だがやはり動きがにぶい。若い頃は強かったのだろうが、身体が何かに蝕まれているのだろう。


 に避けられて腹が立ったか、男は小刀を抜いた。それでオウリの気持ちはスウッと冷えた。


 こんな言い掛かりめいたことで刃物を向けられるなんて迷惑千万だ。

 グダグダしていないで、殺してしまおう。


 冴えた目で男を捉えながら、短刀を抜く。男の出した物の倍ほどの刃渡りだ。

 こちとら人間相手のゴロツキと違い野生動物とも闘うのだ。これくらいでないと命も荷も守れない。


 ここで怯んで引いてくれればよかったが、男はむしろ頭に血がのぼったらしい、叫びながら突っ込んできた。


 真っ直ぐに突き出された小刀。

 それを左に開いてかわし、オウリは男の死角の右側から脇腹をえぐった。

 あばらと骨盤の間にちょうど叩き込んだ。骨に当てて刃こぼれさせたくない。

 短刀を引き抜くと血があふれ飛んで、男は膝から崩れて倒れた。

 倒れた腹の下に血溜まりが広がる。内臓をかなり傷つけたから、もう放っておいても死ぬだろう。


 一撃で勝負をつけて、オウリは無表情のまま刃に付いた血を払った。命を守る道具だ、早く洗って手入れしなくては。


「……イ……ア」


 血の中に倒れて痙攣していた男が何かを言った。男の目から光が失われていき、その死を待っていたようにポツリ、と雨が降り始める。

 オウリは絶命した男を見下ろして、その手から落ちた小刀を拾った。

 鉄製品は貴重だ、こんな所で錆びさせるのは惜しい。自分で使う気にはなれないが、売ればいいのだ。


 大きく息を吐いたオウリは藪から荷を拾い上げた。笠を被り、簑も紐を解いて羽織る。

 まだ血濡れたままの短刀を手に、オウリはただの物になった男を見た。


 最期に人を呼んだように聞こえたのは誰の名だったのだろう。こんな所でこんな風に死体になったのは、その誰かのためだったのだろうか。

 もちろん賊の事情に付き合ってやる義理はない。時間を費やすのも嫌だし、まして死んでやるわけにはいかない。オウリには必ず辿り着かなければならない場所があった。


 行こうか、パジへ。


 葬ってやる気にはなれなかった。オウリは殺した男から目を逸らすと、先を急いで歩き出した。


 今日は雨が許す限り、進むつもりだった。






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