十一 故郷を後に


 次の朝、オウリは早々に実家を出た。

 自分が居ても茶作りにはもう関わらないし、やることがない。進捗はアヤル商会を通して知らせてもらうことにして、さっさとパジに戻ることにしたのだ。


 早朝だが村人達は動き始めていて、父母に見送られたオウリが村を出るまでに、途中の家の前や畑で何人も行き合った。無言で会釈して通りすぎたが、その反応を見るにオウリの結婚話は村中に知れ渡っていると考えるべきだろう。

 今日このまま滞在していたら、物見高い連中が暇を作ってでも家に来ていたかもしれない。想像しただけでオウリはげんなりした。


 空は曇っていた。風も湿り気を帯びて、昼過ぎには雨になるかもしれない。

 アヤルで雨をやり過ごす手もある。だが預けている荷物を引き取ればもう用事はないのだから、さっさと歩みを進めたかった。オウリ一人なら一泊二日でパジに到着できるだろう。

 荷物といっても着替えと、少しばかり貯めたこれまでの給金ぐらいのもので、身は軽い。


 そんな計算をしながら早足で渓谷を下りるとアヤルの町が見えてきた。竹造りの二階家が並ぶ大きな町だ。

 小さな川が幾つか合流するこの辺りはやや平らに開けていて住みやすく、自然と人が集まる。その人口を養うため、町の周りにも畑がびっしり広がっていた。


 町に入ったオウリが商会に向かうと、その前でアラキが一人の女と話していた。服が山盛りになった籠を抱えている。

 あれは商会の独り者達の洗濯やつくろい物を一手に引き受けている女で、確かユラという名だった。

 おそらく二十代半ばだろうか、洗濯女にしてはしっとりと密やかな雰囲気の女だ。だが今日は泣きそうな冴えない顔色で、アラキが困り顔をしている。


「どうかしたんですか」


 一番世話になってきたアラキには挨拶したかったので丁度いい。声をかけたオウリに、アラキはあからさまにホッとした様子だった。どうやらユラをもてあましていたらしい。


「もう実家はいいのか」

「はい。茶の事は兄達に頼んでおいたので、よろしくお願いします」


 そういうことだけじゃないだろう、とアラキが苦笑いする。

 カナシャのことなどをちゃんと話しただろうな、と言いたいのは伝わったので、軽くうなずいておいた。


「オウリさんはパジに行くのね」


 ユラが潤んだ目でオウリを見つめた。すがりつくような視線に困惑してアラキを見ると、アラキは暗い表情になった。


「ユラの妹夫婦がパジに住んでたんだが、この間から行方不明なんだ」

「それは……穏やかじゃないですね」


 ユラに妹がいるのは知らなかった。オウリが商会に入る少し前にアヤルを出たから、と説明されたが、それにしても話に出ることぐらいはあるものだろう。何やら訳有りらしい。

 それにユラはアラキが身元を引き受けて面倒をみていると聞いたことがある。その妹ならまた、アラキにとっても娘のような存在だろうに。


「何か手がかりがあるか、向こうでも気にしておきますよ」

「いや、心当たりはあるからな。その通りなら足跡は残さないだろうし、もう他所よその町か村に逃げてるだろう」

「メイカにそんなことできるかしら」


 メイカというのが妹の名か。しかし他所に逃げたとはまた不穏なことだ。


「あいつももう大人だ、信じてやれ」


 ユラの肩を軽く抱いて慰めると、アラキはその背を押した。ユラが小さくうなずいて仕事に戻っていくのを、ため息をついてアラキは見送った。


「じゃあ、俺も行きます」

「もう発つのか」


 少し驚いたアラキだったが、すぐに笑い出す。なるべく一緒にいてやれるといいな、と言われてオウリは小さく照れ笑いをした。

 そんなオウリを見るのは初めてで、アラキは自分まで幸せな気分になった。


「雨が来るぞ。笠と簑を持っていけ」

「借りときます」


 オウリはかさばる簑を軽く紐で縛り、わずかな着替えと道中の食糧を詰めた袋を背負った。

 四年以上世話になった商会に軽く頭を下げ、パジへと旅立つ。


 未練はまったくなかった。

 カナシャのいる場所が、たぶん自分がいるべき唯一の場所だ。

 何処にいても一人だった世界の内に与えられた、初めての居場所なのだった。






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