第70話 星夜と勾玉 時の轍

 この世には光もあれば、影もある。

 影は光を羨むしかないのか。



「若人は自ら命を絶ち、窟屋の中に葬られましたよ。後世からも鬼と呼ばれ、恐れられるようになったのです。父上は祟りを恐れ、また、その窟屋に石垣を何重にも囲いました。私はもう、あの若人から顔に火玉を投げられてから、……とうにその寿は終わったのです」

 姫の長い話が終わった。



「あなたはあの方のお顔によく似ておられる。いや、あの方その人です」

 その勾玉は研磨されたばかりの、青金石のように目映く光を放っていた。

「この勾玉を砕いて差し上げましょう」

 荒ぶる息を呑んだ。

 その勾玉が砕け散れば、僕は消えてしまうんだろうか。

 姫の手の中で僕は死んでしまうんだろうか。やめろ、と口から出る、前に誰かの声が聞こえた。



「石長比売さま。やめてください。私がいけないんです。私が勝手に山に入ってしまったから。お願いです。辰一君のことを責めないでください」

 振り返ると消息を絶ったはずの君が、存在を忘れられた亡霊のように立ちすくんでいた。

「螢ちゃん? 螢ちゃん、ここにいたんだね」

 君はただ、悲しげに顔を振るばかりだった。



「違うの。私はここにいないの。私はあの勾玉の中にいるの」

 君はここにいるじゃないか。

 僕は暗い森の奥底で、その問答をただ、ひたすらに繰り返すしか、残された術はなかった。

 訳が分からなくなり、拳をぎゅっと丸め、宙に向かってぶり返すように、意中の相手はいないにも関わらず、無理やり叩きつけた。



 このまま、闇の中にくるまって死んでしまいたい、と僕は闇に抱かれながら、酷く渇望する。



 君はこの永遠に光の差し込まない、森の中にいる。

 この霊峰、峻厳な龍房山には女の子は古来の掟によって、何が何でも入山してはならないのだ。



「あなたの想い人が泣きそうですよ。あなたが犯した罪で、少女がお泣きになって。あなたがそんな迷妄に惑わされなければ、この子も泣かずには済んでしたのに、まあまあ、おかしい、おかしい」

 君は声を押さえて、袖下で泣いている。

 なせ、泣くの?

 森の声もこんな間近で、聞こえるのにどうして?

 泣いたら負け、と決定打になってしまうんだよ?



 君は僕みたいに穢れた言葉も持ち合わせていないし、君の心は痛々しいほど、真っ直ぐで刀の抜き身のようだ。

 それなのにどうして、めそめそと泣いてしまうんだい?



 僕はこの下界から閉ざされた、山の中で死んでしまいたいよ?

 深山の奥の闇の裾野にくるまって、このまま、地下深くの水脈まで流れてしまいたい、と切に思う。



「あなたは罪を犯しましたね」

「違う。僕は母さんが嫌いじゃない。螢ちゃんを返してほしい。僕はどうなってもいい」

 姫の態度は一切、変わらなかった。



「私の苦しみなぞは分からぬでしょう。このまま、あなたも砕ければいいのです」

 姫は勾玉を頑なに握ると、腹の虫が暴れ回るような強烈な痛みを感じた。一抹の夢を砕いたんだろうか。

 姫は見計らったように、さらに勾玉を手中に硬く閉ざさせた。



 頬に車輪が泥土に引かれたような線引きを感じ、額には無情な冷や汗が滴り落ちる。

 心臓が高飛車に怒鳴りつけるように抵抗し、息切れさえも姫の恨みは掌握した。



 暗闇の向こうからかすかに光が見える。

 君の麗らかな声が聞こえたとき、僕は痛苦に耐えながら、未来へとこの想いをほだすためにゆっくりと答えた。



「母さん、あなたは」

 声は届かない。

「あなたがいちばん、苦しんできたんだよ」


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