群青世界

第25話 星を抱く少年

 秘密のノートはこれで三冊目だった。

 一端、それを書き出すと疲労がドッと襲来し、作家気取りで書いてみたものの、実体を客観視なれず、か細い語彙もとうとう尽き、僕は僕自身に対して軽く侮った。

 ノートの上には、デスクスタンドだけが人工的な明かりを点し、純然たる闇夜をさらに希少な価値を与えていた。

 照明をつけると安心できない。

 あれをされた、とき、あいつは照明を煌々と点けて、馴れ馴れしく、僕の肢体をつねっていたからだ。

 苦しい、という言葉を使いたくないし、どこまでも使い古されている。



 夕飯をあの人はまた作らなかった。

 代わりに昼間の残りをもらって食べ終え、家に戻るとあの人はカップラーメンを貪っていた。

 その光景を目の当たりにして僕は居たたまれなくなり、反射的に外へ出て、幽鬼のように林立する糸杉の中に彷徨した。



 街燈さえも飛び火しない、糸杉の頭上には、目を見張るような天の川が流れていた。

 砂利道からムッとするような、草いきれがサンダルの裏をじわじわと温めた。

 いつの日の移ろいも星々は同じ顔を見せない。

 時の流れが停止したように感じ、両目を瞑っても、闇は闇のままだった。

 きっと僕らは闇へ還るのが怖いんだろう。

 どんな人であっても。



 僕は人差し指で闇を描いた。

 ゆっくりと深呼吸をしてから、爆ぜるような腐葉土の上に寝転んだ。

 土いきれが不意打ちのように、恬淡と身を構える。

 前髪の上を湿っぽい、風がじわじわと通り過ぎた。

 星空は僕と気の遠くなるような、秒針を刻む。

 星は忌わしさ、と正反対に美しかった。



 哀しみを消した星の輝きは水晶の散り屑。

 一つ一つ、数えたら途方もない、歳月が掛かってしまうだろう。

 星は哀しみと喜びを超えた、存在なのだから、と身も蓋もない想念に駆られる。

 ふと視線を動かすと、闇の奥から、山螢が目映く光っている。

 僕は立ち上がり、手招きして、螢を獲ろうとすると、灯火はすぐに逃げた。

 口は滑らかに動き、静まり返った森の奥で、僕の声だけが響く。

 闇は何もしていない。


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