第16話 もののけ姫、カリコボーズ

 帰ってから伯父さんに気まずくなりながらも話すと、伯父さんは腕組みしながら唸った。

「辰一君、それはカリコボーズだよ、きっと」

 伯父さんは熟知したように手を鳴らした。

「カリコボーズはそうやって、山に入った人をたぶらかすんだよ。米良の山々に伝わる妖怪の類さ」

 あのとき、僕は狐狸にでも化かされていたのだろうか。

「どんな妖怪なんですか」

「姿形は見えないとされているよ。黄昏時によく現れ、黒い山々をムササビのように飛び回るんだ。川の音しか、聞こえないような逢魔が時に、カリコボーズは人間を連れ去ろうとするんだよ。祠を誤って倒したり、悪さをしたりすると、現れるとも言うね」

 僕は一から説明し、姫との遭遇はうまく誤魔化し、正直に話した。

 伯父さんは祠を元に戻したのだから大丈夫さ、と励ましてくれた。



 僕はあの姫の悲愴感漂う、顔を思い出した。

 本当は山の草や花、生き物たちを心の底から、信頼していたのではないか。



 銀鏡は現実世界とは異次元の事案が起こりうるのだ、と改めて実感した。

 東京に住んでいたときとは違い、銀鏡には銀鏡川沿いにある、メインストリートにコンビニさえもないし、小さな商店があるくらいで、しかも、信号機もない。

 蒼色の山々が競うように聳え立ち、空は碧海をひっくり返したかのように青い。

 都会の誘惑もないし、時代が止まっているんじゃないか、と信じられるくらい、昼間から閑散としている。



「東京じゃ、こんな話なんて昔話のアニメみたい、と思っちゃうだろう? 銀鏡では今も大事に信じられているんだよ。伯父さんも幽霊とか、超常現象とか、あまり信じるタイプじゃないけれども、山に行くと後ろに何かいる、と思ったことは一度や二度じゃないさ。何か棲み付いているのかもしれないね」

「もののけ姫」

「ん? 何って言ったか?」

「もののけ姫です。ジブリの」

 この前の話の続きを始めるように、伯父さんは目を丸くした。

「伯父さんの家にはまだ、まっくろくろすけが出そうだな。よく、よそから来た人が言うんだよ。もののけ姫の舞台は銀鏡じゃないか、って。まあ、主題歌を歌った米良美一さんは東米良の出身だし、何か、関係あるのかもしれないね」

 銀鏡では、もののけ姫のサンとアシタカが飛び跳ねていそうな、峻厳な森が広がっているから僕は妙に納得した。


「米良の地名の由来は知っているか? その昔に石長比売が、米良の山々に籠られたとき、稲作を拵えたんだ。山の斜面に棚田をお造りになって。その年にできたお米がすごく、美味しかったんだろうな。石長比売は大層お喜びになったそうなんだ」

 初めて、銀鏡に来たときに見た棚田も石長比売が拵えられたものだろうか。



「それで米良し、米良し、と里の者たちは呼び合って、唄を歌い、語り継いだのさ。米良し、が訛って、米良という地名がついたんだ。伯父さんもあの映画を見たときは山の風俗や風習が、よく織り込まれて感心したよ。映画の中に猪の神様が出ていただろう? 銀鏡では大山津見神の化身は、猪だと言われているんだ」

 伯父さんは銀鏡の話をしたら、止まらない。

「神楽を辰一君は舞うだろう? 辰一君も伯父さんの甥っ子だし、ちゃんと、練習すればうまく舞えるよ。そろそろ、舞の稽古が始まる時期だな。未成年は『花の舞』を舞うんだよ……」

 伯父さんは急に神妙な顔になった。

「あっ! そういえば今日が神楽習いの日だった。辰一君、今日は金曜日だから神楽会館に行こうか」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る