第10話 説明という行為に関する説明

 談話室のドアが開かれる。ドルスは後ろを振り返ることができないが、それを開けたのが誰か知っていた。リ・ドゥが彼の背後に視線を向けて、目を見開く。一瞬、首を掴む力が緩められた。その隙を突いて、ドルスは彼女の拘束から脱しようとする。


 ドルスの抵抗と、背後からの衝撃は、ほとんど同時に生じた。だから、力が互いに干渉し合い、分散して、人の頭では予測するのが困難な作用が起こる。けれど、ドルスにはその結果がどうなるか体感として分かっていた。


 世界の範囲を頭で理解することは不可能だ。


 世界とは、ものか?


 それとも、動きか?


 もし後者である場合、それを頭の中で処理することはできない。


 頭の中には、ものしか入らない。


 世界が動きである場合、自分がその動きをしなければ、それを理解することはできない。


 すなわち、世界征服をするために必要なのは、運動であり、活動であり、行動だ。


 ドルスの首を掴んでいたリ・ドゥが、ドアから現れた少女に弾き飛ばされる。リ・ドゥは衝撃を受けて後方に流され、壁に当たって沈黙した。首を傾け、四肢を投げ出す。衝撃を受ける前に、すでに意識を失っていたかもしれない。


 一緒になって吹き飛ばされた姿勢のまま、ドルスはリ・ドゥを攻撃した少女を振り返る。


 金色の髪。


 細い手脚。


 リ・ドゥがそこにいた。


「これは、談話室の外に出たことになるのかな?」ドルスは咳き込みながら尋ねた。


「なる」彼女は端的に答える。


「しかし、ここも談話室だ」


「すべて、等価なんでしょう?」リ・ドゥは言った。「それなら、すべて談話室であると同時に、最早談話室という区分すら必要ないよ。それが世界なんだから」


「そういうふうに理解することにしたのか」


「そういうふうに理解することにした」そう言って、リ・ドゥは首を傾げる。「何か文句がある?」


「いや、何も……」


 リ・ドゥはドルスの傍にやって来て、彼に手を差し出す。彼女の手を掴んで、ドルスは床から立ち上がった。


 彼女から攻撃を受けた方のリ・ドゥは、もう姿を消していた。いや、最初から存在していたかどうかも怪しい。


 リ・ドゥはリ・ドゥとして等価になった。今はその代表形がドルスの前にいる。だから、彼女は自分で自分を攻撃したことにもなるし、何もしなかったことにもなる。


 リ・ドゥに手を引かれて、談話室の外に出る。談話室の外にも談話室があった/なかった。


「君の世界征服とやらを誤解した神様が、怒っているみたいだよ」


 そう言って、ドルスは空に向けて指をさす。そこにはまだ多くの隕石が飛び交っていた。その量は先ほどよりも増加しつつある。


「残念ながら、神様ではない」リ・ドゥが言った。


「すべて、君だから?」


「自作自演って、あまり好きじゃないな」彼女はわざとらしく溜め息を吐く。「私には向いていないのだ」


 リ・ドゥが空に手を伸ばすと、その手が肥大化し、落下する隕石の一つを掴んだ。掴まれたそれは、たちまち砕ける散る。弾けた粒子が周囲を飛ぶほかの隕石に衝突し、それらも次々と細かく散っていく。その連鎖が生じることで、空はやがて静かになった。


 キャンプファイヤーの残り火のように、燻った粒子だけが宙を漂う。


「綺麗」リ・ドゥが呟いた。


「あれも、自作自演だよね」ドルスは話す。「好きじゃないんじゃなかったの?」


「好きと綺麗が、同時に成立するとは限らない」


「君のせいで、同時に成立することになったのでは?」


「私って、綺麗じゃない?」


「綺麗だよ」ドルスは言った。「君はいつも綺麗だ」





 図書館を出ると雪が降っていた。特に天気予報を確認したわけではないので、すでに予想されていたことかもしれない。しかし、少なくとも、彼自身はそのような予想はしていなかったから、少々驚くことになった。鞄の中に折り畳み傘が入っているから、それを差せば問題ないが、なんとなく、取り出すのが面倒で、コートに付属したフードを被るだけで彼は歩き出した。


 道路には沢山の自動車が走り、頭の上を通る線路にはいつもと同じようにモノレールが走っている。横断歩道を渡る人の数は数えられない。時折鳥の声がして、振り返ると翼を生やしたそれが頭上を飛んでいく。


 リ・ドゥが世界征服をしても、世界は何も変わらない。それは、彼女のそれが成功した証拠でもある。けれど、最早それを確認する術はない。


 バスロータリーがあるエリアの一画に設けられた階段を下りて、ドルスは木製のドアの前に立ち止まる。


 もう、そこに「談話室」と書かれたプレートはない/ある。


 把手を握って捻ろうとしたとき、彼よりも早く、向こう側でそれを捻る者がいた。


 ドアが開かれ、隙間から長い金色の髪が見える。


 彼女はそこにいるのか?


 ドルスは自問自答する。


 でも、彼女の方が先に手を伸ばしてきて、彼の手に触れた。


「いらっしゃい」


 ドルスは顔を上げる。


 いつもと同じ笑顔が、いつもと同じようにそこにあった。

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「   」 羽上帆樽 @hotaruhanoue0908

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