第5話 胡蝶の夢

「ふふふ、ヘルト……勝手に家出しちゃダメでしょ?」


 魔王テアの少し拗ねるような声が聞こえた瞬間、俺の身体は棒のように動かなくなった。 


 もうバレてしまったのかっ!?


 魔王テアは不敵な笑みを浮かべて、俺の元へと近づいて来る。


 トントン、と赤いヒールが大理石の地下道に当たる音を反響させた。


 くっそ、足が痺れて動けない。

 あと少しで……いや、あと数歩で魔王城から抜け出せる!

 そうすれば勇者としての力を思う存分に行使することができると言うのに!


 魔王テアは吸血鬼特有の赤い瞳で俺を見た。


「ねえ、ヘルト……ううん、私だけの勇者さま」

「お前の勇者なんかじゃない……俺は、エリザ姫の元に帰るんだっ!」

「ふふふ……往生際の悪いところもすきだよ?」

「俺は魔王であるお前のことなんて——」

「人間のお姫様のことなんて私が忘れさせてあげる」


 俺の言葉を遮って、耳元に息を吹きかけるようにささやいた。


 そして、魔王テアの吸血鬼特有の八重歯が……俺の首筋へと刺さった。

 ちくっとした痛みが一瞬、襲った。すぐに痛みは快楽へと変わった。


「うっ」

「……ん」 


 魔王テアの喘ぐような声が俺の思考を奪う。


 いや、違う。

 くすぐったいようでそれでいて締め付けられるような快感が身体中を駆け回る。


 そのせいで正常な判断を奪っていく。


 テアの細められた瞳、サラサラとした深紅へと変化した長い髪、色白い肌の全てがなぜか魅力的に感じてしまった。

 

 そして、少し冷んやりとするテアの舌がザラザラと首筋をなぞった。細い腕が俺の腰を押さえつけるようにまとわりついてくる。

 そうかと思ったら……焦らすように一度テアは吸血行為をやめた。


 真っ赤に染まった瞳が、俺を見つめた。

 口元から血がこぼれ落ちた。


「ヘルトの血……すごく美味しい」

「ふ、ふざけるなっ!」

「もう認めなよ?ヘルトだって、快楽——私に溺れそうだったでしょ?」

「そんなことは……ない」

「ふふふ、ためらった時点で認めたようなものだよ?」

「っく」

「それにエリザ姫?だっけ、その子も、ヘルトのことなんて忘れて、今頃、他の男でもあさっているんじゃない?」

「そんなことあるわけない——」

「ああ、それにヘルトの仲間だって魔界に残ることになったでしょ?えっと……名前なんだっけ?ほら剣士、聖女、そして魔法使い」

「何を白々しいっ!お前が籠絡したんだろうがっ!」

「みんな、取引しただけだよ?」

「取引だと?」


 ま、まさか、わざと俺を仲間の元へと向かわせたのか!?

 それでわざわざ仲間の現状に憂いて、同情でもさせようとしたのか。


「ほんとは、ヘルトも友だちに会えば気持ちを変えてくれるかと思ったんだけど……それに、あの魔法使いがどうしてもヘルトと交わりたいって言ったから引き止めることできるかなと思ったけど、逃がそうとするなんて期待はずれ」


 プクッと幼い子供のように頬を膨らまして、テアは言った。

 そして口元に嫌な笑みを浮かべた。


「そっか、ヘルトの身体を私なしじゃ生きられない身体にしてしまえばいいんだね」

「何を言っている……?」

「私のことを怖がらないたった一人の理解者……私と同じ強さを持った唯一の人間……ヘルトだけが私のことを理解できるんだよ」


 だめだ。

 テアは完全に自分の世界に入っている。

 俺の存在をわかっているはずなのに、それでいて俺のことを見ていないように感じる。

 

 元より話が通じるとは思わなかったが、ここまでとは……。


▽▲▽▲


 何日経ったのだろうか。

 時間の感覚がない。


 相変わらず毎日のように俺の隣ではテアが引っ付くように「スー」と気持ちよさそうに眠っている。寝返りを打って、真紅の長い髪が俺の身体にまとわりつく。


 どうやらテアは吸血鬼としての力を発揮する際に黒い髪が真紅へと染まるようだ。

 

 そして「んー」と寝言のような声を出して、俺の胸元に顔を押し付けるように頬ずりした。

 

「……おい、起きているんだろ?」

「ふふ、バレちゃった?」

「暑いから離れろ」

「減るものじゃないんだから、いいでしょ?」

「……勝手にしろ」


 俺の身体はすでに、以前までのように魔王と互角に戦えるほどに強力な光魔法を簡単に行使できなくなってしまった。


 どうやら、テアに無理やり襲われ続けた結果、半魔となってしまったらしい。

 ハーフヴァンパイアに近いらしい。


 と言っても、勇者としての力として最低限使用できる程度に光魔法は行使できるため、定期的にレヴィーへと俺の体液を摂取させることはテアの公認で習慣となった。


 それと、猫種族として獣人化したスクレとは発情期に身体を重ねることも俺に課された新たな使命となった。


 エペスバーダはというと、相変わらず恋人のサキュバスと怠惰な生活をしているらしい。最近はめっきり会うこともない。


 その時、濁った瞳を向けて、冷たい笑みを浮かべた。

 それから、どこかテアの嬉しそうな声色が俺の思考を遮った。


「ふふ、これで永久の時を一緒に過ごすことができるね……?」


 魔王たちは人類を襲うことは無くなった。

 すでに人間界へと繋がる門が閉ざされたからだ。

 その代わりに俺と仲間である剣士、聖女、魔法使いは魔界から人間界へと帰還することはできなくなった。


 魔族たちから人類を救うためには仕方がない結末だったのだろう。


 それにしてもエリザ姫は今頃、何をしているのだろうか。

 元気に暮らしているだろうか。


「ねえ、ヘルト。他の女のこと考えたら——殺すよ?」

 

 テアはそう言って俺の身体を貪るように牙を首元に突き刺した。

 すぐに快楽が俺を襲った。


 それから俺たちはお互いに貪るように身体を重ね合った。


 ああ、これは夢か現か。


 ——バッドエンド(終)——

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【短編】勇者はヤンデレ魔王に監禁された 〜クエスト:婚約者であるお姫様の元へ帰るために、魔王城から逃走せよ〜 渡月鏡花 @togetsu_kyouka

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