第4話 舞い散る蝶

 さて、どうしたものか。


 俺の目の前に魔法使いのスクレがいる。

 ただし、うっとりとした顔で俺のことを見上げている、といういささか奇妙な状況だ。


「はあ……う、うう……ヘルト、は、早くここから……逃げなさいっ」

「……」

「わ、私のことは……置いて行ってっ……構わないから」

「……って言われても、スクレ……お前の体調は大丈夫なのか?」

「……ち、ちょっとだけ体調が悪いだけだから、気にしないで」


 そう言って、なぜか頬を赤く染めて、俺から視線を逸らした。

 いつもであればおっとりとした雰囲気のスクレは、今は甘美な雰囲気を漂わせている。


 ……くっそ、なんで今のこいつはこんなにも可愛いんだよっ!?

 こっちの調子が狂うではないか。


 現在、俺とスクレは一緒の牢屋に入れられている。

 この奇妙な状態に至るまで遡ること数十分前のこと。


 レヴィーのいた禍々しい教会に現れた魔王テアはなぜか俺を拘束した。


『へー、やっぱり逃げようとしていたんだ』

『はい、お嬢様』とメイドのテラさんは淡々と答えた。


 もとよりテラさんが俺の味方ではないことはわかっていたが、鮮明に懇切丁寧に俺の行動を説明してくれた。


 そして何かスクレの耳元で二言三言呟いてから、魔王テアは俺と体調のわるいスクレを一緒の牢屋へと入れた。


 牢屋と言っても、いささか豪勢だ。

 まあ、悪い意味でだがな。

 

 そう。たとえば、魔法の類いは使えないように魔力吸収の魔石で囲われた壁で囲まれていることだ。

 枯渇していた魔力はやっと回復してきたはずだったが、それも使うことができない。


 また、なぜかベッドが一つしか用意されていなかった。


 当然、体調の悪いスクレを寝かして、俺は殺風景な牢屋に似つかわしくない高級そうな椅子へと腰掛けていた。


 そして現在へと至る。


「お前は魔王に何をされたんだよ?」

「う……剣士くんや聖女ちゃんよりはマシかもしれないけど……」


 なぜかスクレは頬を朱色に染めて、視線を逸らした。


 何かをためらっているのか?

 とにかく、俺に知られたくないことをされたのは明らかだろう。


 それに、なぜかちょこんと猫耳のようなものが頭から生えているところを見ると、獣人に身体を変えられてしまったのかもしれない。


「わかった。無理に言わなくてもいい」

「あ、ありがと」

「それで体調は戻りそうなのか?」

「ちょっと、無理かな……」

「だから、さっき俺だけで逃げろ、って言ったのか?」

「うん」とスクレは小さく頷いた。

「ばか……お前を見捨てることなんてできるわけないだろ?」

「ヘルト……すき」

「え?」


 聞き間違いだっただろうか。一瞬、魔王テアと同じように俺のことを「好き」と言った気がした。


 スクレは乱れた息で、身体を上げた。

 無言で俯いたまま動かなくなった。


「どうした……?」

「ごめん……完全に発情期に入ったみたいっ」


 魔法使いスクレは何かをつぶやいた瞬間、俺を無理やりベッドにひきづり込もうとした。


「……おい!?」 


 ——この馬鹿力はなんだ!?

 獣人化したことで身体能力も向上しているのか?

 

「ごめん、今は黙って私に身体を差し出してっ」

「いやいや、俺はエリザ姫と婚約しているんだけどっ!?」

「知っているわよっ」

「だったら——」

「もう、何度も聖女ちゃんと××したの知っているんだからねっ」

「そ、それは俺の意識のない時の話だ」

「それに魔王も……したって言っていたもん」

「それも俺の意識のない時の話だっ!」

「私だって……君のこと大好きなんだもんっ」

「……本気か?」

「うん」とこくりと小さくスクレは頷いた。


 思い返すと、確かにこれまで魔王城にたどり着くまでの道中、やたらと献身的にサポートしてくれることは多かった……。

 

 たとえば、ご飯を作るときも、なぜか俺のものだけ多く盛り付けてくれたり、なぜか眠るときも毎回、俺の隣で眠ることも多かった。


「ごめん、気が付かなくて」

「ううん、いいの」

「すまん」

「謝らないでよ……惨めになるでしょ」

「でも——」

「謝るんだったら、今だけはいいでしょ?」

「いや、しかし……」


 一瞬だけ、いいかもしれない、と思ってしまった。

 それがいけなかったのだろう。


 気がついた時には、すでに押し倒されていた。


 目の前にはスクレの潤んだ瞳があった。

 吸い込まれそうな大きな瞳。


 エリザ姫……こんな不甲斐ない婚約者を許してくれ……。


 スクレの乱れた吐息が近づいてきて——


「——ん」


 唇が触れた。


▽▲▽▲


 正常な判断ができていなかったスクレだったが、何度か絶頂してから冷静さを取り戻したようだ。

 おそらく罪悪感からだろうか。

 今にでもこぼれ落ちそうな涙を堪えて、小さく何度も『ごめんなさい』と繰り返した。


 それにしたって色白い肌が目に毒だった。

 だから仕方なかったんだ。

 

 気がついた時には、抱きしめてしまった。


 スクレは胸元で涙を流した。


 それから数分ほどして、スクレは『ありがと』と言った。

 やっと落ち着いたようだった。


 しかしそれにしたって気まずい。

 そのため、俺は咄嗟に『なんで勇者である俺が魔王に助けられたのか、気づいたことあるか?』と話題を振った。

 

 すると、スクレはパーティで一緒に行動していた時のように冷静になって考えを述べてくれた。


 どうやら魔王テアが俺のことを好きになったというのは大方間違いないようだ。

 

 魔王テアはおそらく今まで自分と同等の力を持った異性と出会ったことがなかったのではないか。そしておそらく俺が魔王テアを後一歩というところまで追い詰めたことで、魔王テアはピンチの高揚感を好きという感情と勘違いしたのだろうとのことだった。


 ピコピコと猫耳が動き、スクレはチラチラと俺のことを見た。


「わ、私だって君のこと好きだから……魔王の気持ち少しはわかるもん」

 

 だめだ。

 これ以上ここにいると俺はもっとダメになってしまう気がする。


 早くここから出て行ってしまいたい。


 でも、スクレを見捨てることもできない。


 その時だった、カチンと牢屋の扉が開かれた。


「私にできる最後のことだから……」


 スクレがつぶやいた。

 どうやらこの牢屋から脱出するための特別な魔力を隠していたのだろう。

 それに、どうやらスクレは俺と共に脱出するつもりはないらしい。

 獣人化してしまったから、すでに人間界へと戻るつもりはないのだろう。


「早く、行きなさいよ」

「すまん……わかった」

 

 俺は牢屋を後にした。


 それにしても、なぜ魔王はわざわざ俺とスクレを二人きりにしたのだろうか。

 その疑問が不安感を募らせた。

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