第21話

「この御恩は一生忘れません」

 ジャスミンお嬢様は最後にもう一度だけ頭を下げて、馬車に乗り込んだ。じいやが御者台に乗って鞭を振るうと、馬車はかたことと音をたてて動き出した。馬車が通り過ぎる時、ふわりと良い香りがした。きっとこれから先、この花の香りを嗅ぐたびに、ココンはこの町で起こった出来事を思い出すのだろう。

 ココンたちは宿に戻り、大量の金貨を分ける作業に取り掛かった。全員の取り分が出来るだけ同じになるようにし、それでも割り切れなかった分はお昼ご飯を作ってくれた分としてラージャオが貰い受けることとなった。

「さて」

 マーレが声を上げた。麻袋に金貨を詰めて、鞄にしまいこむ。

「ボクはそろそろ、この町を出発するよ」

「もう行っちゃうの?」

 突然の宣言に、ココンは思わず聞いた。何もこんなに早くなくても、とココンは思わずにはいられなかった。もう少しだけ、残ってはくれないだろうか。

 しかしマーレは、少し悲しそうな笑顔で応えた。

「これ以上一緒にいたら、離れがたくなってしまうからね」

 その言葉を聞いた途端、ココンの胸に何か温かいものが広がった。たったの二日間だったが、ココンたちは心を一つにして、ブロンちゃん捕獲のために精一杯頑張った。その体験は、マーレの中にもしっかりと、刻み込まれたのだろうか。

 引き止める言葉が見つからないまま、ココンはただマーレが荷物をまとめるのを見ていた。

「分かってましたけど、やっぱり寂しいもんですね」

 ラージャオがぽつりと口に出した。

「そう言ってもらえて嬉しいな。ボクも、キミの料理が名残惜しいよ」

 ラージャオとマーレの会話を聴いていたココンはふと、自分をじっと見つめる視線に気づく。振り向くと、ヤエンがフードの中から、怪しく目を光らせていた。粘りつくような眼光に、ココンはいたたまれなくり、つい目を背ける。

「マーレ、俺はお前の歌が聴けなくなるのが残念だ。もう少し聴いてみたかった」

 テァランギが立ち上がり、マーレに片手を差し出した。握手する二人を見ている時も、ヤエンはずっとココンを睨んでいた。

 ヤエンの言いたいことはよく分かった。「あのこと」を言うなら、今しかないのだ。今を逃してしまえば、マーレはこの町を去ってしまう。方向音痴の彼をこの広い世界の中から見つけ出すことは、ブロンちゃんを見つける以上に大変なことだろう。

「キミたちも、ありがとう。この二日間はとても楽しかったよ」

 マーレが言ったとき、ココンはわっと口を開けたが、なかなか言葉が出てこなかった。マーレは不思議そうに笑ったが、このまま扉のほうへ歩いていってしまう。

 ヤエンはとうとう業を煮やしたらしい。なんの脈絡もなく、突然喋り出した。

「いくらなんでも鈍臭すぎるから、オレが代わりに言ってやるよ」

「え、ヤエン…?」

 ココンの呼びかけは無視し、ヤエンは澄ました顔で続ける。

「オマエらよく聞け。コイツは実はオマエらと…」

「ちょっと待って!」

 ココンは慌ててヤエンに飛びついた。余計なことを言おうとしたその口を塞ぐ。それは、ココンが自分の口から言いたいことだった。ココンが自分の口から、言わなければならないことだった。

 当然のことながら、三人は目を丸くしていた。ヤエンを見ると、特に抵抗するでもなく、口を塞がれたまま大人しく座っていた。しかしその目は、冷ややかにココンを見据えている。その視線に耐えられなくなり、ココンはとうとう叫んだ。

「分かった、分かったよ!言う!」

 ココンはマーレを、ラージャオを、テァランギを見て、言った。

「僕、まだみんなと一緒にいたい。これからもしばらく、みんなで旅をしない?」

 部屋に沈黙が流れた。誰も何も言わない時間が続く。もしかしたらそれは、一秒にも満たない、一瞬の沈黙だったのかもしれない。けれどココンにとっては、何十秒にも、何分にも感じられた。

 ココンは祈るような気持ちで、みんなの答えを待っていた。

「俺もだ」

 最初に声を上げたのは、テァランギだった。頭からバンダナを外し、ココンを正面から見据える。

「町に来てから分からないことだらけだったが、お前達が一緒に行動してくれて本当に助かった」

 テァランギは、本当に真っ直ぐな瞳でココンを見ていた。

「それだけじゃない。お前達と行動するのは、単純に、楽しかった。とても」

 口下手なテァランギが、一生懸命に本心を伝えてくれたことが、ココンにとってはこれ以上なく嬉しかった。

「お前達は、どうなんだ?」

 テァランギは首を回して、マーレ達を見た。マーレの顔を見て、ココンはごくりと唾を飲んだ。マーレは、これまでになく険しい顔をしていたのだ。何かに怒っているような、そんな表情だった。

 拒否されてしまうかもしれないという恐怖が、ココンの頭をよぎる。しかしマーレが放った言葉は、意外なものだった。

「もっと早く言ってくれよ!」

「…え?」

「ボクだって、皆と旅がしたいなって思ってたよ!でもほら、なんかそんな雰囲気でも無いっぽいし、遠慮してたのさ!」

 マーレの顔はほんのり赤くなっていた。

「辛くなる前にさっさと出発しちゃおうと思ってたんだ!あぁ、ココくんもテァラくんも同じ気持ちだって分かってたなら、こんなに苦しまなくて済んだのに…」

「じゃあなんで言い出さなかったんです?皆と旅がしたいよ、って」

 呑気に言ってのけるラージャオを、マーレはキッと睨みつけた。

「断られたら、へこむじゃあないか」

 ココンは思わず吹き出した。マーレは不服そうに口を尖らせたが、ココンはなにも馬鹿にしたわけではない。マーレも同じ気持ちだったということに、安心したのだ。

「ココくん、言い出してくれてありがとう。この先ずっと、後悔しながら生きていくことにならなくて良かった」

 マーレはどこか悔しそうに笑った。

「これからもよろしく頼むよ。キミが奏でる音楽にも、ボクは興味がある」

 差し出された手を、ココンはしっかり握りしめた。

「ラージャオはどうなんだ?」

 テァランギが尋ねると、ラージャオはすっとぼけた顔で答えた。

「そもそも俺は、普通にこれからも皆さんと旅するつもりでいました!」

 えっ、というココンとマーレとテァランギの声が重なった。

「マーレさんが出発するとか言い出した時、本当にびっくりしましたもん。うわ俺、勘違いしちゃってたんだな、とか思っちゃって」

「ならそう言ってくれよラーくん!」

「いや〜、こういうことって言い出しづらいですよね」

「さっきと言ってることが違うじゃあないか!」

 マーレはラージャオの頭をぐりぐりと撫で回した。

「なんだかマーレさん、キャラ変わってません?」

「ああ、そうだよ。恥ずかしくておかしくなりそうなんだ!」

 ふざけ合う二人を見ながら、ココンはほっと胸を撫で下ろした。三人とも本当は、ココンと同じ気持ちだった。こんなに嬉しいのは、『巡り』になることが決まった時以来のことだった。

「ヤエン…!」

 ココンはヤエンのほうに振り返った。ヤエンが発破をかけてくれたからこそ、言い出すことができた。飛びついて黒マントごと抱きしめたいくらいの気持ちだったが、それをしたらきっとボコボコにされるだけじゃ済まないだろう。

 ヤエンは旅行鞄を持ち上げて、心底どうでもよさそうに言った。

「良かったじゃねぇかよ。アホ金髪」

 そのまま当たり前のように立ち去ろうとするヤエン。ココンはとっさに、はためくマントを掴んで止める。

「ぐっ」

 どうやら首がしまってしまったらしく、ヤエンは赤い顔で振り返った。

「おい、何すんだよ!」

「君もだよ。君も一緒に行こう」

 ヤエンは怒るでもなく、驚くでもなく、ただ呆れていた。「マジかこいつ」とでも言いたそうな顔だった。ヤエンはやれやれと頭をふり、眉をしかめながらココンに言う。

「なんで、なんでオマエはオレにそこまでこだわるんだよ。もう分かってんだろ、オレはこういう性格なんだよ」

 ヤエンは珍しく、自分を貶めるようなことを言った。ずっと自信満々な発言しかしていなかったので、この言葉は少し意外だった。同時に、ヤエンに対する理解が一層深まる。ヤエンはきっと、卑屈なのだ。ココンもつい自分を卑下してしまうが、ヤエンはきっと、それ以上に。

「でも君は、やっぱり優しいよね」

 ヤエンはものすごく、ものすごく嫌そうな顔をした。まるでココンが潰れたフンであるかのように、身を引く。

「気持ち悪いこと言うな。マジで」

 照れているわけでも、起こっているわけでもない。ただただ気持ち悪そうな声。しかしココンは構わなかった。

「僕たちに協力してくれたし、さっきだって僕の背中を押してくれた」

「俺はただ」

 ほとんど遮るようにして、ヤエンは強く否定した。

「非効率的なことが嫌いなだけだ。オマエらみたいなバカを見るのが、嫌なだけだ」

 ヤエンは一つ一つの言葉をはっきりと言った。これでココンが諦めてくれると思ったのだろう。だが、甘い。

「そう、僕はバカだから。ヤエンについて来てもらわないと、無事に旅ができるか心配でならないんだよ」

「めちゃくちゃな理屈だな」

 ヤエンのツッコミに、マーレがくすりと笑った。ラージャオとテァランギも、興味津々にココンとヤエンのやりとりを見守っている。

「オマエ、その大好きな物語とやらに、囚われてるんだよ。現実は現実だ。何も、嫌なやつとわざわざ仲良くする必要はない」

「ヤエンは、僕らと一緒に旅はしたくないの?」

「そんなわけあるか!」

 ヤエンはバッと背中を向けた。それを見てココンは、確信した。間違いない、ヤエンは嘘をつく時に必ず、目を逸らす。二日間行動を共にして、やっと気づいたヤエンの癖だった。

「意地張るなよ、ヤエン!こうやって無駄に言い合いしてるほうが、よっぽど非効率的なんじゃないの?」

「見てる分には楽しいがな」

 テァランギは穏やかに言ったが、ヤエンの興奮はおさまらなかった。ヤエンはココンを説得することは不可能だと判断したらしい。くるりとラージャオたちの方に向き直り、必死で訴える。

「というか、オマエらはどうなんだよ!オレが着いてきたら面倒だぞ!めちゃくちゃ面倒くさくて腹立つぞ!仲間にするのはやめておけ!」

 不思議なことを必死で主張するヤエン。ココンに言っても無駄ならば、他のメンバーを考え直させようと思ったようだ。そして対する三人はというと。

「ボクはいいよ」

「俺も全然いいですよ!」

「俺もだ」

 一瞬の隙もなく、返事が返ってきた。思っていた以上の爽やかな答えにココンは驚いたが、ヤエンはもっと驚いていた。しかし、すぐに顔を背けてしまう。

「オマエらが良くても、オレは嫌だね」

「なんでさ」

「それこそ非効率的だからだ!集団で旅なんて、面倒くさいだけだ。それ意外のなにものでもない!」

 ヤエンは、つらつらと集団で旅をすることで起こる不利益を述べた。旅先の決定で揉める、旅費の内訳で揉める、価値観の差で揉める、などなど沢山の項目があったが、どれもココンにはあまり響かなかった。

 それは他の三人も同じだったようで、ヤエンもすぐにそれに気づいた。

「とにかく、オレは行かない」

 頑なに言い張るヤエンに、ココンは小さくため息をついた。こうなっては仕方がない。

「分かった、じゃあいいよ。君は一人で行けばいい」

 あっさり引き下がったココンに、ヤエンは拍子抜けしたようだった。警戒しつつも、少し安心したように言う。

「分かればいいんだよ。じゃ、ここでお別れだな」

「ところで、参考程度に聞くんだけど、ヤエンは次にどの町に行こうとしてるの?」

「オマエ着いてくる気満々じゃねぇか!」

 ヤエンはまた旅行鞄をひっ掴み、あっという間に部屋から飛び出した。突然の出来事に反応が遅れる。

「逃げた!」

「追え!」

 マーレとテァランギが叫び、ヤエンの後を追って出ていった。ココンとラージャオも、慌てて自分の荷物を背負う。忘れ物と掃除のし忘れが無いかだけ確認して、ココンたちは部屋を出た。

 宿泊代の支払いは既に済んでいる。ココンたちは宿の人にお礼を言って、そのまま宿を出た。急いでヤエンたちを追いかける。

「ブロンちゃんを捕まえたばかりだっていうのに、まさかまた追いかけることになるなんて!」

 ココンが叫ぶと、隣を走るラージャオも笑いながら答えた。

「おいしいエサでも用意しますか?」

「そういえばヤエン、ラージャオの料理気に入ってたよ!」

「本当ですか?嬉しい!ヤエンさん大好き!」

「チョロすぎるよラージャオ!」

 町を駆けていると、ブロンちゃんを追っていた時には気づかなかった、たくさんの音が聞こえて来た。猫の鳴き声。人の声。少しネズミの鳴き声が聞こえたような気もした。自分の足音、ラージャオの足音。遠くではヤエンが何か叫んでいる。

 ヤエンは体力がないので、きっとすぐに捕まるだろう。そうしたら、もう一度頼んでみるのだ。もしかしたら返事が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。変わらなくたって、構いやしない。

 一緒に旅をしよう。

 皆と離れなければならなくなる日は、きっと来る。旅はいつかは、終わるものだし。でも、終わりを気にしても仕方がない。ココンの旅は。ココンたちの旅は、始まったばかりなのだから。

 とうとうココンたちは、ヤエンに追いついた。

「じゃあヤエン、こんなのはどう?これからは僕がヤエンの荷物を持ってあげる。ほら、効率的!」

「意味分かんねぇけど、効率的といえば効率的だな!」

 ヤエンの鋭いツッコミに、ココンはお腹の底から笑い声を上げた。マーレもラージャオもテァランギも、笑っていた。

 相変わらずマントに隠れて見えなかったけれど、ココンにははっきりと分かった。

 ヤエンもたしかに、笑っていたのだ。

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巡り巡ってどこまでも! 春瀬三千七 @kurubushibakari

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