理想と現実とスパイス
結局、燻っていた彼女は、自分が忌み嫌った不良教官に助け出された。
逃げ回ることしかできなかった
彼女を
――なんで、助けたんだ……
――見捨てるつもりだったが? 感謝するなら口喧しくお前の心配してたロッズにしておけ。
騎士団からの聞き取りが終わったあと、尋ねた彼女に不良教官の告げた言葉は実に素っ気なかった。それが余計に腹が立ったが、それでも助けられたのは事実で、何も言えなかった。
この一件の後、彼女は無茶をすることはなくなった。
白亜として地道に、自分ができることを一つ一つ積み重ねることができるようになった。
無鉄砲な自分を、徹底して律した。かつての彼女を知る者がいれば驚いただろう。誰に対しても敵意を剥き出しにするような彼女は既にいなかった。等身大の自分を理解し、ひたすらに努力を重ねていった。決して不相応な事をしようとはせず、どれほどそれが地道であっても、自分の手が届く依頼をこなし続けた。
そうして何年も続けているうち、銅級に至り、尚も更に努力と、実績を積み重ね続けた。
――なんでそこまで頑張るんだ?
ある時、酒場でそんなことを聞かれたことがあった。
――あの男を見返す為だ。
彼女はそう答えた。それが冗談なのか本心なのか、誰にも分からなかったが、それでも彼女はずっと絶えず努力し続けて、とうとう、銀級の冒険者に至った。
彼女は、カルメは、一般的な冒険者の目標、英雄とも言える場所に辿り着いたのだ。
だが、そうやって必死になって、かつてよりも遙かな高みに登った後、彼女は立ち止まった。
銀になる過程で、黄金級にはなれないことは悟っていたからだ。グレンとは別の黄金級、“鮮烈なる雷”の戦いを見る機会があったからだ。
そして、グレンを見返すという自分を突き動かし続けた動機も、結局彼の前で無様を晒した自分を鼓舞する理由でしかなかった事を悟った。彼は、訓練所を出た教え子達をいくらか気にかけても、その選択に対して一喜一憂することはない。
彼女は足を止めた。ここが自分の到達点で、終点なのだと悟った。
そう自覚すると、途端に疲れと、安堵が訪れる。へたり込むようにして彼女はその場にうずくまった。ムリをしない、自分の領分を超える依頼は決して取らない、受け身の姿勢になった。
別に、悪いことではないはずだ。実際、依頼者達にはいつも感謝されている。
だけど、そう言い訳をする度に、なにかの視線を感じるときがあった。
闇の中ギラギラと輝く瞳、子供の頃の飢えた自分、満たされる自由を願った幼き自分が、攻めるように見てくる。昔、
――これが自由で、満足なのか
何も分かっちゃいない子供が。
カルメはかつての己をそう罵った。
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「そんな感じで、最近夢見が悪いんだがどう思う?」
「最近どうだ? って軽く聞いたら、まさかガチの人生相談されるとは思わなかったな!」
鍛冶屋街にある行きつけの鍛冶店【火の導】の職人、土人のギードはカルメの愛剣【断切り】の点検を続けながら、どこか愉快そうに笑った。
彼はずっと昔、カルメが駆けだしの白亜の頃からの付き合いで、跳ねっ返りだった自分のために色々と世話を焼いてくれた男だった。ちなみに、彼女の【断切り】も彼の作品である。
こうした、少々他人に聞かせるには恥ずかしくなるような話も、躊躇うことなく口に出来る相手だった。
「ただまあ、なんというか、ありきたりな話だな」
「ありきたり?」
「元の理想からは遠い今の自分への燻り。もっと違う“何者か”になれたんじゃないかって口惜しさ。もしかしたらここが
ギードはどこか演技がかった口調で語る。それは、現状のカルメが抱えたモヤモヤをそのまま言語化していた。
「……よくわかるな」
感心するカルメに、ギードはニヤリと笑いかけた。
「言っただろう、ありきたりだってな。誰だって、似たようなことは悩むもんだよ。一握りの成功者になってるだけ、アンタは良くやった方さ、カルメ」
「それは……分かっている」
冒険者としての生涯を銅級で終えたとて、決してそれは珍しい事ではないし、銅級のままでも立派な冒険者として活動して、名を残した者もいる。
そんな中、冒険者の中でも一握りになれる銀級へと至った自分を卑下していたら、それは失礼というものだろう。それは分かっているのだが――
「じゃあ黄金級を目指せばいいんじゃないのー?」
そんな時、カルメとは違う女の声が聞こえてきた。
見れば、冒険者と職人の行き交うこの職人街では珍しい、全身を魔術装飾で身を包んだ姿の魔女が、どこか愉悦に満ちた表情でこちらを見つめていた。
「マギカ……適当は言うんじゃない」
「発注した商品をとりきたんだけどー、お客に失礼じゃなーい?」
「“竜牙槍の刃”だろう。もうできてるから受け取ったらさっさと帰れ」
ギードはその来訪者に対して、面倒くさそうにため息を吐いた。
マギカという名前にはカルメも覚えがある。魔力、魔術と同じ意味合いを持つマギカの名を冠した魔術士の女となれば、この辺りでは一人しか該当者はいない。
「マギカ……【人形遣いのマギカ】か」
「私のこと知ってるんだねー、【断切り】カルメさん? または【悪食】かしらー?」
近代
「おかしなこと言ってるー? 貴女は銀級なんでしょー?」
どうやら、自分とギードの会話を聞かれていたらしい。
そして彼女の発言は、普通に考えるならおかしくはない。銀の次は金、順序としては至極当然で、カルメも元はそうなろうと志した事もあった。
だが、今のカルメは黄金を目指していない。何故ならば、
「安定を棄てて挑戦を選んだとて、私は黄金には至れない。あそこは、
カルメはこれまでに二人の黄金級に出会ったことがある。
一人は言うまでも無く、グリードの訓練所の主であるグレン。
そしてもう一人は、かの冒険者の頂点である【
グレンを見たときは、まだ自分は未熟で、無理解だった。それ故に絶望はなかった。
だが、【神鳴】の戦いを目の当たりにしたとき――知った。
自分では、逆立ちしたって、彼女のようにはなれないと――あんな風には
だから、カルメは恐らく生涯黄金を目指さない。
もし、これからなにかに挑戦することはあっても、黄金とは別のなにかだろう。
そう言うと、マギカはなにやら意地の悪い笑みを浮かべた。
「つ、ま、り、今の成功を手放さないまま、安全にスリルだけをつまみたいって訳ねー」
聞きようによっては、ケンカを売ってるかのような挑発的な言い方に、ギードは呆れたように、咎めるようにため息を吐き出した。
「お前な……」
「間違ってないでしょー? 私も気持ちはわかるわよー」
だが構わずマギカは悪い笑みをカルメへと向けた。
「私も、まだ“何者”にもなれてないよーな連中が縋ってくるのを、気持ち一つで除けたり、エサをぶら下げて揶揄ったりするものねー。成功の安寧には、
「お前の悪趣味とカルメを一緒にするな」
「えー? 方向性が違うだけでしょ-?」
上を見てるか、下を見てるかの違いだけ。
ケラケラと笑うマギカに、ギードはため息を吐き出した。だが一方でカルメは、
「まあ――、正しい、かもな」
「……カルメ、あのな」
「確かに。手段や方向が違うが、根本的には同じ事だ」
マギカの指摘を肯定した。
彼女の言葉は容赦ないが、正しい。
深刻な顔で現状に不満を感じても、今の安寧を手放す気はサラサラない。安全で安心な地位から自分で動こうとはしないまま「退屈」だと抜かすのは、贅沢だろう。
それを言い当てられたのは格好の悪い話だが、少しすっきりもした。
「魔物喰いも、リスクを楽しむための自傷行為だったのかもしれないな……」
「それは単にお前が食い意地はってるだけだと思うが……」
ギードの指摘を無視して、カルメは二人に笑いかけた
「くだらない話を聞かせて済まなかった、二人とも」
「……ま、自分が納得したならいいけどよ」
「私は面白かったわよー? 銀級の人生相談なんて滅多にないしねー?」
「お前は勝手に絡んできただけだろうが」
「えー、いいじゃーん。折角いいものあげようと思ったのにー」
「いいもの……?」
カルメが首を傾げると、マギカはニタリと笑みを浮かべた。
「日常への安心と不満を抱く成功者、銀級冒険者カルメ様に刺激的なプレゼントがございまーす!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――簡単に使えるから、試してみてね? 使ったらレポよろしくー
そう言って、手渡されたのは装飾品にも見える奇妙な魔道具だった。鎖で巻き付けるように造られた代物で、中央には赤く輝く宝珠が収まっている。
無論、それは単なる宝石の類いではない。【魔導核】と呼ばれる代物だ。
マギカ曰く、それを自分の武器に巻き付ける事によって、
要は、魔導核をその身に宿す武器――竜牙槍の
そんな雑な説明を終えて、マギカは自分の発注した品を抱えて(すべて浮遊魔術で浮かせて)満足そうに去って行った。
「要は、てめえの研究成果のテスターを探してただけか。まったくあの女は……」
「ちゃっかりしてるな」
「言っておくが、報告なんてアイツにせんでいいからな。もしくは金を取れ」
「勿論、分かっている」
新しい武具のテストを銀級が無償で請け負えば、沽券に関わるし、他の銀級冒険者の迷惑にもなりかねない。そこら辺を承知で向こうも渡してきた気もするが……
「
マギカの誘惑を口にしながら、カルメは懐にそれをしまった。
ギードも愛剣の整備はしてくれた。これ以上だらだらとここ居ても迷惑になるだろうとカルメは立ち上がる。だが、その直後、表の方からなにやら怒鳴り声が聞こえてきた。
「なんだ?」
「……ったく、またか? あいつら……」
ギードはその怒鳴り声を知っているらしい、迷惑そうな表情でため息を吐き出した。カルメは首を傾げながら軽く表を見てみると、なにやら若い三人の男達が、職人達と口論している。男達の方は格好を見るに冒険者だ。装備品も随分と豪勢でピカピカで、つまりロクにまだ、迷宮潜りもしていない連中だとすぐに分かった。
そんな彼等が、何やら「無能」だの「金なら出す」だの、正直あまり聞くに堪えないような言葉を職人達にぶつけ、職人側は呆れたような、面倒くさそうな表情で頭を掻いていた。
「最近、冒険者“もどき”になった新人だよ。どこぞの豪商のドラ息子らしい」
「新人か……。だがグレンの訓練所にはきていないだろう」
少なくともつい先日、カルメも手伝ったグレンの“初めての迷宮訓練”時はいなかったし、その後の訓練所でも彼等の姿はみていない。時々様子を見るが、今もグレンの元に通って、彼に殴られているのはあの灰色と白銀の少年少女だけだ。
「どうも、受付の誘導もはねのけた、筋金入りの困ったちゃんらしい」
「ああ……」
訓練所に通うのは新人の必須ではない。
受付のロッズ達は“危うげ”な新人達に対して、言葉巧みに訓練所に向かわせて、グレンにその鼻っ柱をたたき折られるように務めているが、当然その誘導にかからない者もいる。
そういう輩はよほど思慮深いか、その逆かの二つだが、大抵は後者だ。
「それで、何を荒れてるんだ?」
「どうも、不相応な威力の武器を造らせようとして、断られたらしい。相手は【黄金槌】だ」
「ああ……」
「別に金さえ払って貰えば何だって構わない連中じゃねえってのになあ」
黄金槌
金にがめつく、五月蠅く、冒険者に容赦なくたかろうとする彼等は、一見してみると金の為ならなんでもするような守銭奴に思える。
だが、彼等にも独自の矜持というものがある。
彼等は価値に対して真摯だ。自分の商品が不当に低く見積もられるのも嫌うが、不当に高く見積もられるのも拒絶する。あくまでも“相応”であると納得して初めて、それを売れることを喜ぶのだ。
その価値の見定めは、商品のみならず、それを振るう相手に対しても容赦なく向く。
どれだけ金を持っていようと、見合う価値が使い手になければ売らない。
価値があれば、相手がどんなに突飛な要求をしてきても、話をきいてくれる。
そういう独自の、不動の矜持を彼等は有しているのだ
少なくとも「金はあるんだぞ!」などと喚いてるあの“もどき”らの相手は絶対しないだろう。
「やかましい、帰れボンども」
「貴様……!」
だが、これ以上ここで騒がれても迷惑だ。白亜とはいえ、一応冒険者ギルドの末席にいる連中が、ここで騒ぎを起こしているのも放置するわけにもいくまいと、カルメは立ち上がった。
「大概にしろ、お前ら。白亜といえど指輪をしながらここで騒ぐな」
「なんだお前は……」
カルメの言葉に、もどき達は振り返る。実に好戦的な表情を浮かべている。血の気が多く、威圧的で、実に“もどき”らしいとカルメは一周回って感心しながら片手を上げ、そのまま身につけている銀級の指輪を晒した。
「同業者だ」
自分の有している階級で威圧するなんてやり方はあまり好きではないが、取るに足らない諍いを早々に始末するには便利だ。これで済んでくれればと思いながら彼女はそれを見せつけた。
「銀級……獣人……お前、知ってるぞ……悪食カルメ、魔物喰い!」
だが、残念ながら目の前のドラ息子は、そんな彼女とその指輪を見て、何故かむしろヒートアップした。先ほどの鍛冶師らから完全に意識をこちらに向けて、爛々と瞳を輝かせはじめた。
「いいか! 僕らの名は【優麗ナル鳳凰】お前のようなエセ冒険者を正すために立ち上がった!!」
どうやら、早くも付けているらしい
なんともまあ、これはどうやら本当になかなかの
「昨今の冒険者は堕落している! 大罪迷宮踏破の志も忘れ、日銭稼ぎに終始してるばかり……! だからお前のようなゲテモノが名を馳せるんだ!」
「それほど意識が高いなら、まずは訓練所に通ったらどうだ。お前らと同じくらいの時期に白亜を授かった連中は、死に物狂いであそこに通ってるぞ」
グレンにボロボロにされて、それでも何度も立ち上がって今もあそこに通ってる灰色と白銀を思い出しながら、カルメは言う。するとドラ息子らのリーダーらしき男はせせら笑った。
「堕落した黄金級、紅蓮拳王に教えを請えと? あんな男ろくでもない!」
「困ったな……その点は否定できない」
グレンが堕落してるかといわれれば、している。
人目憚らず冒険者ギルド併設の酒場で酔いつぶれてる時もあるのは本当にどうかと思う。
彼を正してくれるというならしてもらいたいものだ(できるものなら)。
「僕らは正す! 真の冒険者の有り様を示してみせる! 神鳴のイカザ様にふさわしい精鋭となって、お前のように銀級に甘んじて黄金を目指さず特権を啜り続ける連中を一掃する! 」
なんというか冒険者を馬鹿にしてる……というよりも、冒険者に対して過剰な信仰を抱いている手合いらしい。まあ、だからどうしたというか、迷惑な事には変わりはないが。
「そうか、頑張れ。だが、ここで騒ぐな。迷惑だから」
「……馬鹿にしているのか?」
「していない。やれるものならやってみろといっている。ヒトの迷惑にならないようにな。だからここでないところで騒げ」
淡々とカルメは告げるが、彼等の表情は剣呑に染まっていく。そして、
「僕らは正すと言った。そしてソレは別に、今でも構わないんだぞ……!」
血の気の多さは、まさに冒険者にふさわしいらしい。カルメはため息を吐いて、そのまま【断切り】の整備代金の釣り銭銅貨を、手の中で転がした。
そしてそのまま指先で、それらの銅貨を勢いよく弾き飛ばした。
「――っが!?」
「ぎ!?」
「ごっ」
ただ指で弾いたとは思えぬ速度で、銅貨は彼等の頭部に着弾した。綺麗に脳を揺らされた三人のもどき達は、鈍い悲鳴と共に綺麗に並んで地面に倒れ伏した。
カルメが銀級に甘んじて、黄金を目指すのを諦めたのは事実だ。
だが銀は、それでも一流の冒険者の証で、この程度の事は、まさに片手間にできるのだ。
「悪いが、片付けておいてくれ」
「おう、武器の手入れが必要なら来いよ」
ギードにそう言って、カルメは鍛冶街から立ち去った。
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