紅蓮と新人
銅級にもなれず燻っていた頃の彼女を誘ってきたのは、都市国外の開拓を担う冒険者達だった。
武具も整っていて、他の
――冒険者ギルドも、実のところ制約が多いからね。銀級なんかになると特に。
その言い訳は、
訓練所から敗走して、敗北感に打ちのめされていた彼女には、冒険者ギルドを悪しく言う彼等の言葉は、甘く響いた。自然と零れた悪逆教官の愚痴を、彼等は優しく受け止めて、同情してくれた。
見た目だけを整えるなんて誰にでもきる。
優しい言葉をかけることも誰にでもできる。
詐欺師にでも、できる。
その事を理解していなかった彼女は、やはり子供だった。
――君みたいに、若くて有望な冒険者なら、訓練じゃなくて、実戦を積むべきだよ。
そうして、彼等に誘われて、彼女は都市国の外にある迷宮へと挑むこととなった。
辿り着いた迷宮は、大罪迷宮ほどではないが、かなり古い迷宮だった。
誰にも攻略されずに残り続けた迷宮、理由はその最奥を陣取る【主】にあった。
見える範囲でも五メートルはあろうという巨大な頭部――――が、五つ。
それが一つにまとまり伸びた胴は何処までの長く、どれほど長いのか見当も付かない。
【
迷宮の奥、巨大な【真核魔石】に誰も手出しできなくなっている理由だった。
彼女に与えられた役目は陽動であり、その隙に【主】を討つ。その作戦を承知し、彼女は【主】の前に飛び出した。絶望的な逃走劇が始まった。
絶対に逃げ切れない。それを予感するほど五頭の蛇は恐ろしく速かった。
だけどいつまで経っても、誰も蛇を討とうとはしなかった。
自分は釣り餌だと気付いたときは遅かった。
一方で、彼女はそれでも必死に逃げた。逃げて逃げて逃げ回る。
自分が騙されたことに気付かなかった情けなさに涙と鼻水を流しながら、それでも死にたくなくて必死に逃げた。それでも最後は逃げ場のない行き止まりに追い詰められた。
恐ろしい、十の眼に睨まれて、彼女は絶望した。そして――
――雑魚は身の程を知れっつったろうが、大間抜け。
紅蓮の炎が、彼女の絶望全てを焼き払った。
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冒険者ギルドグリード支部、受付にて
「なるほど……ありがとう、カルメさん」
「任された
ある意味、もっとも冒険者達が行き交い、トラブルが起こりやすい激務の場にて、それらを全て捌いて冒険者ギルドの平穏を護る守護者、受付嬢ロッズに対して、カルメは淡々と応じた。
渡したのは、【深窟領域】の地図と出現した魔物の詳細な情報だ。
「といっても、地図はやっぱり、暫くしたら使えなくなるけど」
「ええ、それは分かっている。とはいえ、傾向くらいはこれで掴めるはず」
先日、新人たちを
普段以上に迷宮のあらゆる場所が、入れ替わり、新しくなる。それは特殊領域も変わりない。
「変動でそのまま
迷宮の変動は、時に領域そのものの位置を変えたり、一時姿を消したりもする。確かにその可能性も本来であれば十分ある。だが、ロッズの表情は優れない
「でも、貴女の話の通りだとすれば……」
「ヘタすると、その守護者と思しき奴を倒さないと居座り続けるわね。あの場所」
あの強大な魔物が闇の中に潜み続ける限り、領域の形が幾らか変わっても、領域そのものは維持し続ける可能性は高い。
というより、間違いなくそうなるだろうと、カルメもロッズも口にださずとも確信していた。
こういう、
「上と相談すれば賞金はつくと思うけれど、討伐したいってヒトは少ないでしょうね……討伐祭も、中層では厳しいし……」
討伐祭、要は誰もが倒しがたいと思いながらも、手を出さなくなってしまった賞金首の“在庫処分”をするための祭りだ。とはいえそれはロッズも言うとおり、あくまでも低層向けの行事であって、中層のような深くでやるものではない。
「そういえば討伐祭、最近はやってないわね」
「そう、だからそろそろ始まるかもって、あちこちで噂になってるわ」
「……となると、低層に上がってきた“アレ”?」
「流石にそこは立場上ノーコメント……まあ、想像は付いちゃうでしょうけどね」
立場上、冒険者個人に依頼以外の情報を贔屓するわけにはいかないロッズは律儀に口を閉じる。
カルメも別に聞き出したいわけではない。そのまま流すことにした。
「その時期はまた中層に潜っておくかな……また仕事おしつけられそうだし」
「流石に、銀級の貴女に討伐祭の新人達のお世話は任せないとは思うけどね」
「分からないわよ。あの男がまた――」
と、そんな風に話していたときだった。
まるで、爆弾が破裂したかのような激しい音が、冒険者ギルドに響き渡ったのは。
しかしその事に対して誰も、なにも驚くこともなければ、いちいちそちらに視線をやることもなかった。彼等にとってその騒音は何一つ驚くことでもなく、いつも通りのことだったからだ。
勿論、カルメにとってもそうだ。しかし、彼女はどこか少し、忌々しげな表情をしていた。
「……次期の新人募集って、もう集まったの?」
「いえ、貴女が手伝ったときの子達がまだ残ってるの」
「……あれから一週間と少し経ったわよね。まだ生き残ってるの?」
「根性あるわよね」
「根性の問題で解決出来るようなものじゃないわよ。あの男のリンチは……」
そんな風に言っていると、その騒音の音源、【訓練所】の扉が開く。同時にやってきたのは無精髭を生やした大柄の男だ。彼は周囲の視線など気にすることなく、ずかずかとまっすぐこちらにやってきた。
その両手で、
「ロッズ、そいつら癒やしとけ」
ロッズとカルメの前に引きずっていたそれを放り投げる。それは二人の少年少女だった。あちこちに打撲跡を作り泥まみれになって、気を失っている。
二人を放り投げた大男の命令に対して、ロッズはため息をついた。
「私、癒者じゃないって何度言ったら分かるのかしらね……」
そう愚痴をこぼしながらも、彼女は言われるまま、二人の治療を開始した。
一方で、無精髭の男ははカルメを見つけると、面倒くさそうに鼻を鳴らした。
「銀級が何ヒマしてんだ。さっさと迷宮にでもいけや」
「私の勝手だろう、命令するなグレン」
訓練所の主であるグレンを前に、カルメは苦々しい表情を浮かべた。
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「まだ、あんなめちゃくちゃな指導続けてるのか……また皆辞めるぞ」
グレンを前にすると、カルメは少し荒っぽくなる。
彼は
「だったら仕事がサボれるな、やったぜ」
「本当にまったく……」
それでも、彼はカルメの反応を気にすることなく接してくれる。それがありがたいやら腹立たしいやらで、カルメはため息を吐いた。そして、彼が放り投げた二人を見つめた。
「あの子達は?」
「マシな女と無能な凡人」
「まだ続いてたのね」
以前グレンに押しつけられた
「五日で逃げ出したお前よかマシだな」
「逃げた方が遙かに懸命だったと思うけど」
昔ボコボコに殴り飛ばされ恨みを抜きにして、この男の指導は雑の極みだ。
他の都市国の冒険者ギルドの訓練所で、真っ当な銀級が丁寧に指導しているところを見たときは、あまりの違いに驚愕したものだった。同時に、大罪都市国グリードでの鬼教官の悪名は各国に知れ渡っているということもその時知った。
しかしその当人は、そんな悪名が広まることなどまったくこれっぽちもイヤではないらしい。何一つ気にする様子のない顔で、カルメがロッズへと渡した資料をひらりと眺め始めた。
「【虹色蜥蜴】ねえ……? 賞金がつきそうだな」
【虹色蜥蜴】はカルメの報告後に付けられた名前だった。
新種、もしくは亜種の魔物で、それほど危険な階位の魔物となれば、固有名称が必要になる。グレンの言うとおり、遠からず賞金がつくことだろう。
「で、お前が討つのか?」
グレンからそう聞かれたカルメは「冗談」とため息を吐いた。
「無駄なリスクなんてごめんだ」
「ふぅん」
「……文句でもあるの?」
なにやら意味深に返された気がして、カルメは眉を顰めた。しかし、
「あるわけねえだろ馬鹿馬鹿しい」
そんなカルメの反応を、グレンは鼻で笑った。
「……
「“冒険者”らしからぬってか? 挑むかどうかは選択であって、上下じゃねえ」
っつーかなあ? とグレンはこちらを面倒くさそうに見下ろす。そしてこちらの額を指で弾き飛ばした。
「った!?」
「一端になった癖に、引退した男の顔色なんぞ伺うな。自分で考えて自分で決めろ」
痛みに顔を顰めるカルメを無視して、そんな風に乱暴に言い捨て、グレンはそのまま冒険者ギルド併設の酒場へと足を運んでいく。
相も変わらず、耳の痛くなる言葉を容赦なく叩き付ける男だと、カルメはもう一度ため息を吐いて、そのまま彼が投げ捨てた新人達を見つめた。
「……っぐ、……」
「……」
「やれやれ、また酷い目にあったわね」
灰色髪の少年と、白銀の美しい少女の二人にロッズは治癒術を与える。冒険者ギルドの受付嬢らしからぬ手際の良さで治癒を施す彼女の技を眺めながら、カルメは尋ねた。
「その子達、訓練所にしがみついてまで鍛える理由でもあるの?」
「女の子の方はわからないけど、男の子の方は妹のため、だそうよ」
「そう、私よりは立派ね」
勿論、だからとて自分を卑下したりすることはないが――
「まあ、潰れない程度に、見守ってあげて」
――少し、その若さとひたむきさが、羨ましかった。
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