終わりと始まりの戦い⑨ 彼方へと祈りを届けて


 かつての話。


 方舟が世界から離れ、その後、その方舟の中でも分裂が起こる少し前の事。


「あの……いーす」


 イスラリア研究機関の面々が集う研究施設にして、邪教徒達と戦うための前線基地にて、白髪の少女はおどおどとした様子でゆっくりと声を出した。声をかけられた「いーす」――――イスラリアは、感情の全く浮き出ない表情で振り返り、淡々と返答した。


「何、シロ」

「あ、う」


 折角、久しぶりに返事をしてくれたのに、白髪の少女、シロは上手く返事が出来ない。

 しゃべるのは苦手だった。

 考えていることは一杯ある。溢れそうになるくらい一杯だ。だけど、一杯ありすぎてどれを口にすれば良いのか分からなくなる。焦ってしまうと余計にそうなる。そうして、最後には上手くしゃべれずに沈黙してしまうのだ。


「もう良いかな」


 イスラリアはその様子を見て煩わしそうにそう言った。

 いけない、シロはそう思って、なんとか言葉を紡いだ。


「なかなおりは、できないの?」


 仲直り。

 イスラリア研究機関のメンバーと、ケンカの真っ最中だ。否、ケンカ、などという言葉で表現して良いほど可愛らしいものではない。ほぼ決裂に等しい。リーダーであるイスラリアと、それ以外の面々が徹底的に決裂している。

  

 方舟のリセットを進めようとするイスラリアと、それ以外のメンバーの決裂だ。


 方舟に間違いを残してはならないという彼の言葉は、言うまでも無く、あまりにも極端だった。戦争となった“外の世界”に対抗すべく創り出された様々な【真人】にたどり着けなかった人類を一度消し去るだなんて、蛮行にもほどがある。

 真っ当なら、通るはずのない意見。問題は、彼の知識と力があまりにもずば抜けていたこと。それ故に争いはどうしようもなく激化の一途をたどっていた。


 でも、それをなんとかしたいとシロは願っていた。

 だって、あんなにも皆仲が良い、友達だったのだから――


「無理だよ」


 だけど、そんなシロの願いは呆気なく一蹴された。今更、という様に切り捨てる彼の表情には、全く余裕がなかった。かつての、子供っぽいとすら言われていた笑みは何処にも残されてはいなかった。 


「どうして?」

「半端な情をかけて失敗したのに、また同じ事をしようとしてる。話すことはないよ」

「もっと、良い方向に、なるよう、協力、できない?」

「皆、使えないじゃないか」


 そう言って、おどおどと、苦労しながら言葉を紡ぐシロをみて、嘲りを浮かべた。


「君なんて、特にそうだ」


 そう言われたシロは大変なショックを受けた。


 傷つくような言葉を言われたからではない。


 そう言った彼が、自分の喉からこぼれ出た醜悪な言葉に驚き、死にそうな顔になったからだ。自己嫌悪で自分を殺しそうな表情で、引きつった笑みを浮かべながら、悲しそうに去って行った彼に、何も言えなかった自分があまりにも情けなくて、シロは泣いた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 そうして結局、彼と決裂し、更に時は流れた。


 彼とはもう会うことはできなかった。そうしようとした事は何度もあったけれど、彼は決して、自分の居場所を明かすことは無かった。会いたかったし、話して見たかったけれど、ダメだった。

 かつての仲間達も散り散りになって、方舟の形も次々に変わっていった。

 いつしか、彼女も疲れ果てて、足を止めた。

 なんだかとても、眠かった。疲れていた。慢性的に身体は痛くて、ぼんやりとすることも多くなった。延命処置をしなくなったからかもしれない。もうどうでも良いと、そう思った事もあった。


 だけど、外の世界からの侵略が起こったその時、身体は勝手に動いた。


 押し寄せる無限に広がる“森林の迷宮化現象”を押しとどめ、封じた。逃げ遅れた人々を救いあげた。残された命の全てを焼き尽くすかのような献身を、彼女は果たした


 何故こんなことをしているのだろう。


 否、それを言い出すと迷宮化を止められる程の魔術を研究し続けた自分が、もっとそうだ。彼と別れて、争い続けて、疲れ果てて、それでも尚研究を続けるのは何故だろう。

 助け出したイスラリア人達、自分たちの勝手で創り出してしまった子供達にその研究を教えて、託したのは何故だろう。


「魔女様!魔女様!!!」

「魔女様!私たちのことが分かりますか!?白の魔女様!」


 そしてその子供達に囲まれて、ようやく全てが終わろうというのに、どこか心残りがあるのはどうしてなのだろう。


 ――――皆、使えないじゃないか


 どうして?

 本当は分かっている。だからシロは口を開く。


「みんな」


 彼を助けてあげて。

 そんな事は言えなかった。だって、彼はこの子供達を消し去ろうとしたのだから。そんな願いを、子供達に押しつけるなんて事はできない。だから願うのは別のこと。自分の浅ましい願いをそっと隠して、そして子供達の未来を思って、言葉を紡いだ。


「その力を続けて、重ねて、いろんなひとを助けて、あげてね」


 そうすればもしかしたら何時か


 いつか、ずっと遠くになるかもしれないけれど、彼に届くかもしれないから。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 ノイズがまた、頭を過った。


 かつての記憶、その残滓だ。巨神の頭部にたたき込まれた激しい衝撃によって、再び記憶が揺らいたのだ。その所為で意識は一瞬途切れた。やらなければならないことがあるはずなのに、途切れてしまった。

 そして、意識を再び取り戻したその時、彼の目の前には、鮮烈極まる白と蒼の光が溢れていた。それは間違いなく敵の攻撃であり、対処しなければならない脅威だった――――にも、関わらず、彼の脳裏に過ったのは脅威に対する対処ではなく――――


〈――――シロ、クラウラン?〉


 かつての仲間達の顔だった。


 その一瞬の回顧が、彼の動作を滞らせた。

 そして次の瞬間、咄嗟に前へと突き出した二本の腕が消し飛び、咆吼が巨神の身体を貫いた。


〈が、ああああああああああああああ……!!?〉


 だが、巨神の肉体全てがはじけ飛ぶほどの衝撃は否応なく彼を正気へと引き戻した。

 神にも届きうる程の破壊エネルギー。そのエネルギーに焼かれながらも、我に返った創造主イスラリアの頭脳は未だ、冷静さを保っていた。あの粘魔の集合体の所為で直撃してしまったのは、不覚であったが、しかし致命には至っていない。


〈【排除・再構築】!!!〉


 破損部を排除し、再構築する。巨神の肉体が変形し、まるで大穴でも空いたかのようにして咆吼を素通りさせる。

 凌いだ。

 無論、向こうも確度を修正するだろう。だからその前にその巨大な使い魔をたたき落とすべく、残る四つの腕をそちらへと向けた。


 矛先の全てを、ウーガに集中させた。


「よくやった、ウーガ……!!」


 その隙を待っていたかのように、いなされた咆吼の向こうで、神呑みの女王が待ち構えていた。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 ウーガから放たれた咆吼、その全てを受けとめるべく広げた夜の闇は、見事その全てを受け止めた。その余波だけで全てを破壊し尽くすような嵐を、一息に女王は飲み干した――――が、


「【宵闇よ、喰らえ――――――っ!!】」


 魔王や、天魔のグーレから未曾有の大喰らいと評されるほどの底抜けの容量を抱える彼女であっても、神をも貫くに至ったウーガの一撃を飲み干すには容量が足りない。全身が内側から引きちぎれるかのような衝撃にエシェルは悲鳴を上げた。

 だが、それでも彼女は前を見据える。


 ――容量が足りない、ならば増やせば良い!!


「【虚飾プラウディア】!!」


 彼女の内側にあるもう一体の同居者、その力を引きずり出し、己自身をも変貌る。

 躊躇いなどない。既にヒトで在ることに対する執着なんて微塵も存在していない。あるのはただ、皆で幸いへとたどり着く事への祈りだ。そしてその為ならば、どのような罪すらも犯してみせる。


「【我は罪をも喰らい、幸いを願う宵の闇】」


 だから、世界をも喰らうことに躊躇いはない。


 闇が広がる。不足した容量を補うように彼女自身の空間が周囲に拡がり続ける。その闇夜は更に形を変貌る。何もかもを飲み込む夜が、まるで人々の畏れを形とするかのように。


 闇が、巨大なる竜の顎へと形を変える。それを従え、エシェルは叫んだ。


「【宵闇ノ竜ヨミラルフィーネ神ヲモ喰ラエグランデ】」


 ウーガを討つ。その為に意識を集中していた創造主イスラリアは、背後から返された一撃に完全に虚を突かれた。


〈――――――っが!?〉


 闇の竜が放った光は、創造主イスラリアが重ね固めた護りをも貫き、食い破る。攻撃をいなすために自ら空けた穴とは別の場所を貫いて、そして引き裂くように伸び上がった。胸部を引きちぎり、首を抉り、頭部を切り裂き、更に上へと光を奔らせる。巨神の残る翼をも破壊して、空を覆い尽くす術式を打ち抜いた。


「【う、ちやぶれええええええええええええええええええ!!!!】』


 神呑みの女王は吼え猛る。

 その雄叫びと共に、光は空を切り裂いて、術式を粉微塵に粉砕していく。光の硝子は砕けて雨のように降り注ぎ、その先に、赤黒い、禍々しい空が見えた。


「……見ろ」


 悪感情によって汚染された空は打ち抜かれ、その先にあるものが姿を覗かせた。ソレは僅かな亀裂のようなものであり、きっと間もなく汚染された空に埋もれてしまうもの。方舟の住民達が幾度となく見上げながらも、一度たりとも見たことが無かった真のソレ。


「……空だ」


 青い、青い空が、ほんの僅かに戦士達の目に届いた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 巨神が崩れ落ちる。

 無尽蔵の魔力を持とうとも、巨神を構築していたのは【真なるバベル】であり、大量の術式によってその形は維持出来ていた。だが、あの圧倒的な白と蒼の相克の光は巨神の構成物の大半を破壊し尽くした。創造主イスラリアにどれほどの技術があろうとも、ただちにそれらを再構成出来ぬほどの、徹底した破壊だった。


〈――――まだ、だ……!〉


 だが、それでも創造主イスラリアは執念を滾らせる。

 頭部が焼き払われ零れ落ちた眼部――――【廃棄孔】の中から太陽神と月神の混合体が再び稼働する。周囲に飛び散った巨神の肉体、そして破壊された【創世】の光をかき集め、凝縮する。完全なる崩壊が起こる前に、残された力の全てを自身の元に結集させる。

 既に再生し始めた【廃棄孔】を掌で掲げ、受け止めると、そのまま創造主イスラリアとして命じた。


〈【術式コード・合一】〉


 強引に【廃棄孔】と自身を結びつけ、収束する負の魔力を自身のエネルギーに還元する。最早何時崩壊してもおかしくないその有様をそれでも維持出来るのは、間違いなく創造主イスラリアが隔絶した天才である証拠だろう。

 無論、その彼をもってしても、この状態が長く持つ筈もない。それは誰であろう彼自身もよく理解している。だが、最早なりふりなど構ってはいなかった。


 なんとしても、この邪魔者達を討ち滅ぼす!!!


 悪性の魔力も、砕けた創世の断片も、全てを破壊の為の力に費やす。成すべき作業全てを後回しにした。今、目の前の敵を討ち滅ぼす。その為だけに彼は全神経を集中させた。


〈き、えろおおおおお!!!!〉

「嫌だっての」


 それを迎え撃つように、灰色の少年が再び目の前に飛び出した。追い詰め、叩きのめしても尚も立ち向かってくるその男を前にして、創造主イスラリアは顔をしかめ、放とうとした力を全て、彼一人に向けて解き放った。


〈【創世ジェネシス新星ノヴァ】〉

「【我等は己に従い、果てへと歩む灰の焔】」


 だがその直前に、灰色の炎が世界を満たした。

 放った自身の魔術が変容する。灰色の炎となって空間を満たし、自身のコントロールから外れていく。あまりにも異様な現象であったが、創造主イスラリアは動揺することは無かった。


 同化現象


 知っている。当然だ。竜を創り出したのは誰であろう自分自身だ。

 同化現象も知っている。最初期の構想、法則すらも違う可能性のある別次元の空間を開拓するために開発した【月神シズルナリカ】の機能の一端だ。


 だが、所詮は【月神】の断片で再現したに過ぎない貧弱な空間。


 だが出力は、圧倒的にこちらが上だ。故に押し潰し、


 今度こそなぎ払う――――そうするはずだった。


〈――――なんだ?〉


 しかし、ぶつかり合った空間と破壊の拮抗は、続いていた。どのような理屈があろうとも、出力において負ける道理はない。どのような規則ルールが相手の空間に満ちていようが、どうにもならない規模の格差だ。

 にもかかわらず、こちら側の破壊が、歪み始めている。


 ――――歪む、というよりも、


 覚えのある現象だった。その規模も、範囲も、知るものからはかけ離れているが、間違いなく、それは彼も知っている現象だ。何せ、ソレもまた、彼が創り出したものなのだから。


『ハ  ハハハ』


 声が聞こえてくる。灰色の炎の世界からあふれ出るようにして、全てをあざ笑うかのような声が響き渡った。


『ハ ハハ  ハ  アハハハハハッハ ハッハハ!!!』


 けたたましい声だ。同時に灰色の炎の中から、何かが出現した。それは炎を纏いながらも、禍々しさを有した巨大なる竜だった。鱗を持たぬ、白い肌の巨大なる竜、

 その笑い声を、創造主イスラリアは知らない。知る由も無い。その“知能体”は後付けによってもたらされたものだからだ。


 しかし、その知能体は、創造主イスラリアを知っていた。自分の大元、月の神という形を作り出した、忌々しき父を。


『初めまして  おとう さま?』


 灰炎混じりし色欲竜が、こちらを嘲った。

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